見出し画像

【ショートショート】鬼の目にも涙 #初めての鬼 #毎週ショートショートnote



「左手が遅い!」
当時近所の子どもを相手に、ピアノの講師をしていた。

「やり直し!」
私は厳しく、鬼と呼ばれていた。

「いい加減、置物で遊ぶのやめなさい!」
レッスン室には、タキシードを着た熊のオーケストラの置物を置いていた。

「…はーい」
子どもたちは、よくその置物で遊んでいた。

ガシャンッ
「こらっ!」
何度注意しても、置物は触られ、床に落とされた。

もう、そんなことも20年前。
生徒たちは中学校をあがる頃にはほとんど辞めた。熊の置物も子どもたちの成長につれ、触られず寂しく埃が被っている。

「先生ご無沙汰してます」
ピアノ教室も閉じようかと考えていたある日、昔の教え子が訪ねてきた。

「この子にもピアノを習わせたくて…あっちょっと!」
その娘は、熊の置物のところにかけていった。

「子どもは皆、こういうものが好きなのね」
もう誰にも触れられないと思っていた熊の置物で、かつての教え子に似たその娘が遊び始めた。

「あっ!」
かつて鬼、と呼ばれていた私は、生徒の前で初めて涙を流した。


(424文字)

▼以下の企画に参加しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?