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映画『ミスティック・リバー』

10本映画を観てみよう!という宿題がある。
その中にこの作品があった。クリント・イーストウッド監督だ。少し前に観た同監督の『チェンジリング』にかなりの衝撃を受けたので少し覚悟して挑んだ。

レビューではないので、どのような作品なのかは書かないので悪しからず。どちらかと言うと観た人でないと何が何だかだと思う。

ネタバレも含む。ということで無意味に画像を挟む

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観終わって一言。
「後味わるぅ~~~」
誰が犯人だ?というミステリー感は面白いし、それそれの人物の心理描写も興味深い。ただ、結末がその人間関係のどれにもさほど深く絡んでいなくて拍子抜けで後味が悪いのだ。

もしかしたら始まりが少年なので私が感情移入できる人物がいなかっただけかも知れない。女性目線で作られているチェンジリングと比べて作品から受け取れる量が違うんだろう。

ただ受け取った女性目線からの内容は印象的だった。中心人物のデイブ・ショーン・ジミーの三人の妻たちの対比だ。

特にデイブの妻セレステ。
夫が夜中に血まみれで帰ってくるのだ。その時、自分ならどうするだろう。「警察に行きましょう」とも言わずに庇おうとするセレステ。男・女関係ないかも知れないが、女とは惚れた相手にはこんな馬鹿になってしまうのだと理解してしまう自分がいる。

翌朝、自分の姉の家族の若い娘が殺されているのが発見される。明らかに怪しいではないか。その時どうするだろう。セレステは夫が怖くなり、その被害者の父親に話してしまう。何故、父親に相談したんだろう。身内だから?警察に売るよりはいいと考えたんだろうか。多分、一番強そうだからだ。

最後、パレードの人のシーンの対比は考えさせられる。

ショーンの妻は無言だけれど電話をかけ続けたから戻って来られた。

ジョンの妻の判断が正しいとは思わないけれど、夫の業を共に背負い生きていくんだろう。

セレステだけが夫を信じられなかったせいで、無実・誠実な夫を失い一人で生きることになる。救われない。救われない。

これらから何か見出したいのだが何も見えない。けれど、もしかしたらこの胸に残ったしこりはいつかふとしたタイミングで何かを見せてくれるのかも知れない。映画に限らず、物語にはそんな一面もあるから。

これは私にとって多分そういう物語。

ペンギンのえさ