SNS等で「政治」の話が倦厭される理由についての一考察

1 書く動機

 初一発目で書く内容なのかこれは? とも思いましたが、そもそも自分がtwitterで「政治・思想」系の話を極力しないようにしよう! と思い立ってnoteを始めたのでこれでいいんです。

 「政治・思想」系の話をよくする人は苦手だなと感じる人はそれなりに多いと思います。政治と宗教と野球の話はするな、ってことがあるくらいですからね。でも、もちろん政治は大事ですし思想を確立するのもこれはこれで大事。ついつい熱くなってめっちゃ連投ツイートしちゃったり……もしちゃいますよね?(私だけ?)

 で、なぜ大事なのに倦厭されるのか? ということを考えればちょっとは落ち着いたtwitter生活が送れるかなぁと思って書きました。(私は自分の政治信条を啓蒙するより、「ぬるい」twitter生活を重視したいので)

2 理由1:党派性がある上に割と「人格・所属」に直結する

 政治や思想には党派性が付き物です。民政党か? 政友会か? のような政党だけでなく、各政策ごとに賛成・反対が当然あります。自分の意見と反対の意見を聞き続けるのは自分の想像以上にストレスになります。

 でも、馬が合わない話というのは「政治・思想」以外でもあります。特異なのはそれが「人格・所属」に直結しがちであるということです。例えば、私は大手企業に所属する2×歳の若手でありながら、数名の部下がいる上司であり、ブラック企業社員であり、それなりの高給取りでもあり、男であり、2次創作を好む同人作家であり、コスプレを通して世間体的には女装をしており、うつ病患者である。のように人間には人格や所属が沢山あります、顔と言い換えてもいいかもしれません。

 なので、政治の話をされながら、自分の顔はだめだ、と言われることは往々にしてあります。逆に、自分の「人格・所属」を守るために政治や思想の話をすることもあります。そのことが理由2につながるのです。

3 理由2:自身の正義を信じており、ややもすれば攻撃性が高い

 「政治・思想」の話をするとき自らの考えや政策はあっているものと信じて話します。相反する相手のいうことは間違っていると思いますし、自分の考えが人に理解されないことはとてもつらいことなので一生懸命話します。

 これが理由1の「人格・所属」への攻撃性の高さにつながったりします。例えば、大企業は利益を独占しており、残業時間の多さは上司の管理能力不足である、女性の社会進出を阻害するのは男性の不理解である。といった形の政治的発言をすれば、私の属している大企業・上司・男性というすぐには変えられない属性への攻撃性を持ったものが完成します。

 しかも、「政治・思想」の話をするときは問題意識を持ったときなので相対的に啓蒙的もしくは感情的になることがほかの話題より増えます。社会を悪くしているのはアイツだ、真の国賊はアイツだ、みたいな。攻撃力上がりますね。

3 まとめ(言いたいこと)

 政治や思想を表現する自由は憲法上の権利であることは、言うまでもないことであります。活発な表現をしあうことは民主主義社会において必要なことでありますし、SNSを通じた革命であったり市民運動もありますよね。

 でも、聞く側には表現を受け入れる義務はありません。本人にとっては大事なことであっても、ほかの人にとってはうるさいし不快なことでしかないことかもしれません。その場からそっと離れる自由があります。

 まとめのまとめは

 (聞く人向け)「政治・思想」を聞き疲れたときはそっと離れていいんですよ、っていうのが1つ目。

 (話す人向け)「政治・思想」を発信する自由もある、だけど周囲の人間はそれから逃れる自由がある。もし周囲の人間から距離を置かれたくない、ということに重点を置くならば「政治・思想」のもつ「人格・所属」への攻撃性を理解して、その話題を話すのをやめるか、減らすかした方が良い。正しいことだからと言って常に聞き入れられると思わない。っていうのが2つ目です。

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