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【5分で学ぶプリツカー賞建築家シリーズ】2024 山本理顕

こんにちは。

先日山本理顕さんがプリツカー賞を受賞しましたね。

ふとプリツカー賞受賞者の一覧を調べたら半分ぐらいの人を知らず、、プリツカー賞受賞者ぐらいは知っておきたいなと言うことで、自分の勉強も兼ねて一人一人まとめていこうと思います。

これほどの建築家を「5分で学べる」などと銘打つのは失礼極まりないことは承知の上ですが、あくまで学びの入り口になればとおもいます。

※ひとまず最低限の知識を身につけることを目標にまとめております。間違いありましたらお伝えいただけると助かります、、

今日は2024年受賞 山本理顕さんです。

基本情報

出身 日本
生まれ 1945年(79歳)
受賞年 2024

受賞に関して

山本理顕の受賞はメディアでも広く取り上げられました。
いくつかの記事を見てみましょう。

受賞理由は、公的空間と私的空間の境(No man's land)を丁寧に扱い、建築を通じてコミュニティを豊かにする彼の理念にありました。彼の作品は、環境と調和し、人々の生活を豊かにする設計が特徴です。これは山本さんのプリツカー賞受賞講演でも話されていた「閾(しきい)」という概念につながってきます。

原広司との集落研究

山本さんはキャリア初期、原広司と共に集落研究を行いました。創発的な集落においては、どの建物が一世帯かという線引が非常に難しいようです。山本さんは集落における世帯の単位として閾(=公共の空間、男性のための社交場)を発見しました。閾となる空間を発見することで、どの建物までを一つの家族が使用していたのかを判別することができました。
男性のための社交場とは今の時代では声高にはいえないですが、古代の集落研究をするうえで画期的な視点です。

代表作

山川山荘(1977)

長野県に建つ山本理顕の初期の代表作。
森林の中に建つこの住宅は、外部と内部という区別を持たない。明確な玄関はなく、オープンエアな板張りの空間から各諸室にアクセスできる。

Riken Yamamoto Official webより引用
Riken Yamamoto Official webより引用

ここには不意のお客さんもこなければ、ご用聞きも新聞配達も牛乳屋さんもヤクルトのおばさんも、そしてセールスマンも近所の奥さんも尋ねてはこない。山荘とか別荘はあらかじめ外部とは隔絶された場所としてある。もしさまざまな部屋の性質が外部との関わりによって決められるものであるとすれば、ここには外部と関わるための場所のない、つまりあらゆる部屋は内部の者だけの同質の場所だということができる。だからそれぞれの部屋の結合因(結合の原因、関係)を説明することは不可能なのだ。用在的機能だけがあればいい。それが結びついていようとバラバラに離れていようと、どこにあろうとどうだっていいことなのだ。   

(新建築1978.08)

https://www.riken-yamamoto.co.jp/index.html?page=ry_proj_detail&id=102&lng=_Jp


熊本県営保田窪第一団地(1991)

山本さん初の公共建築。当時山本さんは46歳。

くまもとアートポリスの一環として建設された団地。

一戸の構成が
玄関→和室→中庭(外から見える)→DK
という順番の動線になっている。

中間領域を住宅の真ん中に配置することで、団地として一体のコミュニティを醸成するねらいである。
建設当時は新聞などでスキャンダラスに報道されたこともあるらしい。


Riken Yamamoto Official webより引用
住宅特集 1993年1月号 より

「くまもとアートポリス」の一環として1988年7月にスタートしたこのプロジェクトは、90年4月に1期工事が、そして91年9月に2期工事と集会室が竣工し、91年11月に中央広場を含む植栽工事が完成した。
 110戸からなるこの集合住宅は、3つの住棟と集会室が中央広場を囲む構成となっている。中央広場は敷地内の単なる空きではなく、生活の場としての積極的な意味づけがなされている。
 この完全に閉じられた中央広場に入るためにはふたつの方法しかない。ひとつは住戸内を通過して中央広場に入る方法、もうひとつは集会室を通過して中央広場に入る方法である。つまり単に通過するためにのみ、また無目的に外部から中央広場に入ることはできないようなシステムになっているのである。
(新建築1992.06より抜粋)

https://www.riken-yamamoto.co.jp/index.html?page=ry_proj_detail&id=122&lng=_Jp

2007 横須賀美術館

横須賀にある美術館。
建物の大部分が地下に埋まっている。
海岸部に建つたえ、塩害を考慮してガラスの外皮とし、内側に鉄板を仕込むダブルスキンとした。外皮と内皮の間に構造体をいれることで、外皮は自由な造形が可能。コーナーをフィレットし、中から見ると壁の奥行きがなくなる。
内部は入れ子構造プラン。開放的な機能を外部に、落ち着いた機能を中心部に配置できる。


Riken Yamamoto Official webより引用

敷地は北側が海に面し、三方を山に囲まれた横須賀に特徴的な谷戸状の地形をしている。このランドスケープと一体になった美術館とするために、大部分の建物ボリュームが地下に埋込まれている。さらに臨海部の厳しい自然環境に対する解答として、外周部にレストランやワークショップと言った開放的な施設、中心部にデリケートな展示・収蔵施設というように、何重にも入れ子状になったプランニングである。展示・収蔵棟を覆う、ガラスの外皮と鉄板の内皮の二重のシェルターは、自然光をコントロールするための装置であると同時にその二重のシェルターが大空間を支える構造システムになっている。来館者はこの巨大なシェルターで覆われた内部空間を巡りながら、アートを媒介とした様々な出来事を体感することができる。

https://www.riken-yamamoto.co.jp/index.html?page=ry_proj_detail&id=150&lng=_Jp

横須賀美術館は2024/7/1に無料公開がされます。展示を行っていない素の美術館を見学する貴重な機械で、写真撮影も自由なようです。

おわりに

いかがだったでしょうか。多くの作品で、一貫してパブリックとプライベートの中間の領域を見出すことを目指されていますね。中間領域という言葉は建築学生もコンセプトとしてよく使いますが、ここまで人生を捧げてそれを実現する姿は尊敬します。
保田窪団地のような住宅はどのような住心地なのか、一度住んでみたくなります。
山本さんの代表作品をまとめることで私自身の勉強にもなりました。

【5分で学ぶプリツカー賞建築家シリーズ】の第一回目は2024年受賞者からスタートしました。年代を遡るように他の年の受賞者も網羅的にまとめていく予定です。

↓↓2023年受賞 デイビッドチッパーフィールド編はこちら↓↓

よろしくお願いします。ではでは。

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