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自分のあり方を問う。

早いもので、27になりました。

お祝いのメッセージをいただいたみなさま、本当にありがとうございます。

いくつになっても、こうしてお祝いしてもらえることはうれしく、あたたかいきもちになります。


さて、今日は、みなさまにご報告があります。

2023年3月をもって、「教育魅力化コーディネーター」を卒業することにしました。
(引き継ぎ等も含め、6月中旬までは津和野にいる予定です。)

そして、卒業後は、しばらく「学び直し」の旅に出ようと思っています。

この旅に関しては、決まっていること決まっていないことが混ぜこぜなので、もう少し整ってきたら、また改めてお伝えできればなと思いますが、実現させるぞ!という宣言としていうなれば、ニュージーランドでワーホリ後、デンマークのフォルケホイスコーレに留学に行きます。

その後は、さらに未定ですが、大好きなフィンランドで暮らしてみる。
ユーロトレイルでヨーロッパ周遊するのもいいな、なんて考えています。

願いはことばに出すことで叶いやすくなる。

これを読んでくださったみなさんとも、もし、なにかどこかでご一緒できることがあったり、一緒に叶えられることがあればうれしいなぁという思いで綴ります。
いっしょに企めますように!

さて、ここからは、なぜ、私が今、「卒業」と「旅にでる」という選択をすることにしたのかを、最近考えていることとともに、綴ってみたいと思います。



新型コロナウィルスが広がった2020年。
突然の予想もつかない事態に世の中が大きな不安に包まれました。

幸い、わたしの暮らしている津和野町では当初、感染がそれほど大きく広がらず、ほどなく再開となりましたが、いろいろな制限がかかる中でよりよいものをつくるために何ができるのかを模索することになりました。

できないとあきらめたり、やめることは簡単だけど、どうやったら形を変えてよりよいものができるかを考えたい、という気持ちで試行錯誤しながら進めていきました。

難しくなったことも多くありましたが、その一方で、例年通りにいかないことで、これまでの当たり前を見直す機会にもなったし、こどもたちと学ぶ日々はコロナ前と変わらずとても楽しくて、みなさんのサポートのおかげで、さまざまなチャレンジをさせてもらうことができました。


ハッとしたひとこと

そんなある日、中学生とのやり取りの中でこんなことがありました。

中:「仕事、楽しいですか?

ひ:「楽しいこともたくさんあるけれど、大変だな〜と思うことももちろんたくさんあるよ」

ひ:「どうして?」

中:「いや〜なんか、石川さん楽しそうだな〜と思って…」

すごく短いやり取りですが、なんだかハッとさせられて、今でも、ずっと心に残っています。

この4年間の間に、こどもたちがコーディネーターをひとつの仕事として認識してくれているなぁと感じる瞬間がいくつもありました。

たとえば、「みなさんの知っている職業を挙げてください」という問いに対して
「コーディネーター」と書いてくれている生徒がいたこと。
職場体験で「コーディネーター」に体験にいきたいという生徒が出てきたこと。
将来、「コーディネーター」になってみたいという生徒からの声があったこと。 

全国的にみると、まだまだこの仕事に就いている人は少なく、職業名をいう度に追加でどんなことをしているのか説明を加えることも多い中、津和野の子どもたちには、ひとつの職業として捉えてもらえている。
こんな大人や働き方もあるんだと思ってもらえてるのかな、と。

私としては、大人になることや働くことがこどもたちにとって、楽しみになってくれたらいいな。と思って授業をつくってきたこともあったので、コーディネーターの仕事を楽しそうだなと思ってくれたり、憧れてもらえるのはとても嬉しいことでした。
まさに、背筋が伸びる思い。

一方で、ドキッとした自分もいて。
ちょうどコーディネーターとして関わることの難しさや行き詰まり感のようなものを感じていたタイミングでもあり…(それを彼女は感じ取ったのか…?)

自分の引き出しがもう少しあればできたかもしれない。と何度思ったことか...。

この場面だけでなく、さまざまな場面で、こどもたちは大人のことをすごくよく見ているし、ことばにはしなくても伝わっていることがある。と感じることがたくさんありました。

子どもと大人。としてではなく、人と人。として関わりたい。と、こどもたちと学び合う中で、「(こどもたちにメッセージとして伝えたり問いかけていることは)果たして、自分はどうだろう?」

「自分のあり方」を問われるような気持ち
になることが増えていきました。


こどもたちの周りにいる大人たちのしあわせ。

コーディネーターをする中で、感じたことのひとつに、こどもたちの周りにいる大人たちの影響の大きさもありました。

先生と楽しみながら一緒に作った授業は、やはりこどもたちからもいい反応が返ってくることが多くて。
でも、そんな授業をつくるには時間も労力もかかる。
なにかにチャレンジするにはエネルギーがいる
そんなときにコーディネーターがいることで、先生やこどもたちのチャレンジをいっしょに「よいしょっ」と形にするサポート(応援)ができたらいいなと思い、お仕事をしてきました。

ひとりで頑張らなくてもいい。
いろんなひとやものに頼りながら、自分だけではできない、よりよいものをつくっていけばいい。

これはわたしが4年間のコーディネーター生活で学んだことの一つでもあります。

小学校での講師をしていた頃、社会人1年目ながらも自分でなんとかしないと!と必死で、でもその気持ちが空回りしてうまくできないことの方が多かったし、苦しかった。

今もお願いするのは得意ではないけれど、少しずつできるようになってきました。
そんな私だから言えること、できることがあるのでは、と思って。

先生たちに、
「大変だったけど、チャレンジしてみてよかった」「またやりたい!」と思ってもらえるように、コーディネーターとしてどんな伴走ができるかを考えながら模索する日々でした。

毎日、本当に忙しくも、やりがいをもって一生懸命こどもたちのためにお仕事される素敵な先生方のそばで、こどもたちのよりよい学びの環境を整えたり、考えていくにあたり、そもそも、こどもたちにとって、身近な周りの大人がどれだけしあわせであるか。が重要なのでは?というわたしなりの仮説が大きくなってきました。


こどもたちのしあわせを考える大人たちがしあわせであること。

それが、結果としてこどもたちにも伝わり、こどもたちのしあわせにもつながる
のではないか。

と思ったのです。

しあわせってなんだろう?という
問いは、わたしの中でずっとあるのですが、
私の現時点では、自分が満たされている状態なのでは、と、考えています。

自分が満たされていて、余裕や余白がある。

だからこそ、他者にもやさしくなれたり、他者のしあわせを願ったり、喜ぶことができる。
他者のためになにかしたい!と思えるエネルギーが湧いてくるのでは、と思います。

(この、「自己と他者」の関係については、これから学び考えてみたいことなのですが、今日は、一旦この辺で。)

話は変わって、授業は生もの、種まきだなと思っています。

こちらの予想を超えた反応が返ってくる時がおもしろくて、このお仕事のやりがいだなと思う瞬間です。

いろいろな授業を通して、たくさんの人たちに関わっていただきましたが、その日、そのとき、その場、そのメンバーとでしか生まれない学び、その人にしか語れないことばがあるなと感じてきました。

そして、その学びや感情がどこかで芽がでたり、花開く時がくる。
でも、それは、いつくるかわからない。
もしかしたら、いつまでたっても来ないかもしれない。

イメージ画 byももさん。
わたしが大切にしていることがこの絵に詰まってる。


それでも、わたしは、ここで学んだことがどこかで彼らのなにかになってくれたらいいな、と願って種を蒔きたいと思うのです。

(これって、わたしの(大人の)エゴなのでは?と思ったことは何度もあります。)

それでも、やっぱり、わたしは願いたい。
彼らにはこれからを生きることを楽しんでほしいから。

生きていればいろんなことがあります。
めちゃくちゃに悩んだことも、しんどいことも、悲しくて仕方がないこともある。
その時は、それしか考えられないくらい辛くて、しんどくて、悲しい。

でも、それと同じくらい、うれしいことも、感動することも、しあわせだなぁと心から思う瞬間がこれから起こるかもしれない。

ただ、それはこれからを生きてみないとわからない。

長い目でみれば、いつかは、今のしんどさや悩みが自分の強みになったり、人生の味わいになるのではないかと、最近は思うようになってきました。

悩んだ分だけ、弱さをもってる分だけ、同じように悩んだり、弱くて生きづらい人の気持ちに寄り添えたりする。

人生の中には、選べないこともたくさんあるけれど、自分に委ねられている部分も多い。

本当は、自分で選択できるんだ。と気づくには時間がかかるし、いわゆる世間の常識とか、普通とか、社会のあたりまえからくる「べき」や「ねば」から、少し距離をとってみたり、「本当に?」と自分で自分に問わねばいけない。

それってエネルギーも使うし、みんなと違うことを考えたり、行動したりするのが怖いなとも思うけど。

自分の中にあるちいさな声に耳を澄ませること

それが、ワクワクする未来を描くための一歩だと思います。

書きながら、この本が浮かびました。
ヨシタケシンスケさんの本は社会の中の
なんでだろう?と思うような
でも、あたりまえ。とされてしまうものを
やわらかく、わかりやすく
ほどいて、ほぐしてくれるから好き。


こどもたちや未来に期待する(託す)前に、私たち大人自身が自分たちが暮したいまちや未来をつくるために努力すること。

そんな大人の姿に影響を受けて、子どもたちは自分たちで考えたり、行動したりしていくのだと思います。


余談ですが、コロナ禍になってからラジオにハマり始めました。

「北欧暮らしの道具店」と「コテンラジオ」が特に好きで、移動しながら、たまった家事をこなしながら、寝る前によく聴いています。

おもしろくて勉強になるエピソードがいろいろあるのですが、そのなかにこんなエピソードがありました。


歴史的な観点から見ても、
「ひとは影響しあっている。その出会いがどんな影響としてでてくるか、なににつながるかなんてすぐにはわからない」「存在すること、生きているだけでいい」

人生の中でどんなひとに出会うかが自分の生き方を決める上で大きく影響することもあると思います。

でも、どんなひとに出会うかってこどもたちが自分たちだけで決めることも難しいし、限界もある。

そういう意味で、いろいろな生き方や価値観、世界に出会ってもらえたらなと思い、「にちはらベース」のような場を作ってきたのだと思います。

「にちはらベース」のような場をつくり、まちの外とつなぐことはできるけれど、できることならもっとこどもたちの身近で、自分ごとになりやすい距離感の大人たちが、人生を思いっきり楽しんでいたり、いきいきと働いていたり、多様な生き方をしているようなまちになったらいいな。

そうすれば、これからを生きるのがもっと楽しみだなぁーと思う子もでてくるのではないだろうか。

そんなふうにも思うようになっていきました。

大人たちが生き生きと人生を楽しんで生きるにはどうしたらいいんだろう。

年末から年始にかけてこの本を読みました。
大切なものを思い出させてくれました。
「これまで、ますますおおぜいの人たちが、あらゆる方法でたえず時間を倹約するようになってきたんだが、それなのに時間はますます少なくなっている。いいか、みんな、この倹約した時間は、人間からうばわれてしまっているんだ。...」
モモ/ミヒャエル・エンデ
彼らは余暇の時間でさえ、すこしのむだもなく使わなくてはと考えました。
ですからその時間のうちにできるだけたくさんの娯楽をつめこもうと、もうやたらとせわしなく遊ぶのです。
彼らはじぶんたちの生活がほんとうはどうなってしまったのかを心のどこかで感じとっていましたから、しずかになると不安でたまらないのです
仕事が楽しいかとか、仕事への愛情をもって働いているかなどということは、問題ではなくなりました。ーむしろそんな考えは仕事のさまたげになります。大事なことはただひとつ、できるだけ短時間に、できるだけたくさんの仕事をすること...
モモ/ミヒャエル・エンデ

長くなってきたので、続きは、別noteに☟
「自分のあり方を問う。その先に。」













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