見出し画像

ゴールデンカムイ読者的新潟観光③~佐渡(前編)~宿根木で月島少年を思う

 2022年4月28日から全国を巡回していた「連載完結記念 ゴールデンカムイ展」最後の開催地・新潟会場が、2024年7月7日、惜しまれながらついに閉幕してしまいました。

 まるでゴールデンカムイの完結をもう一度迎えるかのような喪失感。寂しくて寂しくて、その直前の6月下旬に、滑り込みで新潟へ行ってきました! せっかく新潟まで行くのだから、月島軍曹の出身地・佐渡へもぜひ行かなければ!!


1.ルート

①新潟→②新発田→③新津→④新潟→⑤両津→⑥宿根木→⑦相川

 新潟一日目に新発田と新津を観光済(別記事)。その夜に佐渡へ渡って宿泊し、二日目のまる一日観光したら、さらにもう一泊して三日目の朝に帰ります。この記事では佐渡さどの思い出の前半を綴ります。

2.タイムスケジュール

07:46頃 「両津港佐渡汽船」停でバスに乗車する。
08:24頃 「真野新町」停で下車しホテルに荷物を預け、街を歩く。
09:00-9:45頃 【佐渡歴史伝説館】
09:57頃 「佐渡歴史伝説館」停でバスに乗車する。
10:56頃 「小木民族博物館」停で下車する。
11:00-12:00頃 【佐渡国小木民族博物館】
12:00-13:30頃 【町並み保存地区・宿根木】

13:35頃 「宿根木」停でバスに乗車する。

宿根木の滞在時間は2時間半くらいです。

3.佐渡島を路線バスで観光する極意🔰

 たった一日かつ車なしゴールデンカムイ読者がある程度満足できる佐渡観光をするためにはどうすればいいか? 初めて佐渡島に上陸した分際ではありますが、いろいろと調べたばかりの私は今、佐渡島を路線バスで観光するプロかもしれません。自惚れている今のうちに頭の中身をここに記しておこうかと思います。

①佐渡島はでっかいどう!

 「そんな北海道じゃないんだから(笑)」と思われるかもしれませんが、地図で見て感じる以上に佐渡島はでかいです! 北海道の場合は単体で見ると実際よりも小さく感じてしまうのだと思いますが、佐渡島の場合はもっとでっかい新潟本土がすぐ隣にあるため比較して小さく感じてしまう現象が起きるのだと思います。

https://illustimage.com/?id=22437を編集。
もしも佐渡島が太平洋に浮かんでいたらこれくらい大きく見える🏝

 さらに佐渡は北海道と違って鉄道がありません。なので佐渡観光は予想以上に移動時間が長いと念頭に置いて旅程を計画するといいです。

②その路線、土日祝は走っていないかも!?

 佐渡島は山地がふたつあり、その間と外周が平地になっています。

https://sado-geopark.com/download/
佐渡島のなりたち(「佐渡ジオパークマップ」より)

 路線バスは平地の部分に走っています。すなわち、島の外周と島の横断部です(つまり8の字)。

https://www.sado-bus.com/route/
「紙面時刻表(土・日・祝日版)」

 ですが毎時走ってて土日祝も頼れるのは本線(赤)・南線(青)・小木線(黄)の3本だけです。その他の路線はすべて前日の17時までに電話予約が必要です(この3本は観光に便利な路線で、その他は生活に便利な路線なのだろうと思います)。
 つまり、路線バス巡りでの観光だと、夫婦岩と尖閣湾を見るのはちょっと厳しい……! 私は諦めました。ただ、夫婦岩だけはどうしても見たかったので、夕方に七浦海岸線だけお世話になりました(後編で書きます)。

③バス乗り放題パスがお得すぎる

 佐渡島へは新潟港から両津港へ行くルートだけじゃなく、直江津港から小木港(宿根木の近く)へ行くルートもあります。でもゴールデンカムイ読者は新発田の白壁兵舎も見たいから、新潟港から両津港へ行くという人が多いと思うんですよ。すると両津港から宿根木までバス移動になりますよね? それって片道約1500円かかるんですよ。

https://www.sado-bus.com/route/
バス乗り放題バスのリーフレット

 1dayパスが1500円ってどういうことですか?? たぶん私、今回の佐渡観光で2500円くらい得してます。本当に大丈夫なんですか??
 バス乗り放題パスは車内で運転手さんから現金で購入できるほか、両津港の観光案内所などでも購入できます。モバイルチケットならもっと便利!

https://ticket.jorudan.co.jp/sado-bus/ja/

4.佐渡歴史伝説館さどれきしでんせつかん

 さて、早起きして両津港からバスに乗り、真野新町まのしんまちまでやってきました。

街路樹が柳で風情があります。

 真野は史跡の里。佐渡の古代・中世が偲ばれる史跡がたくさんあります。月島生誕に至るまでの佐渡の歴史に思いを馳せながらてくてくと歩きます。

看板のコースより内側の真野川沿いを歩きました。

 真野宮まのぐうが見えてきたらその向かいが佐渡歴史伝説館さどれきしでんせつかんです。

真野宮
仁治3年(1242)この地で崩御した順徳院を祀る神社です。
佐渡歴史伝説館。
複合型施設でテーマパークっぽさもありました。

 佐渡歴史伝説館とは、佐渡の歴史伝説をタイムスリップ感覚で鑑賞できる体感型ミュージアム。「そことゴールデンカムイと何の関係が……?」と思われる方もいるかもしれません。私が佐渡歴史伝説館を訪ねたのには理由がふたつあります。

①趣味と実益

 佐渡で一番観光したいのは宿根木でした。ですがバスが宿根木に到着するのは一番早い時刻でも10:57。なのでその前に一時間くらいどこかを観光する余裕がありました。そこで地図上で目にとまったのが小木線沿いにある佐渡歴史伝説館。私は刀剣乱舞も大好きなので、承久の乱に敗れて佐渡へ流された順徳院にはちょっと特別な思いがありました。佐渡歴史伝説館は順徳院の火葬塚である真野御陵まのごりょうにも近く、時間の隙間を埋めるのにちょうどよかったのです。

②月島父子の「人殺し」

 佐渡島は律令制で定められて以来、遠流おんるの地でした。つまり重罪人の流刑地でした。ですが言葉から受ける印象とは違い、実際に佐渡へ配流されたのは、順徳院を初めとする政治的敗北を喫した文化人たちでした。佐渡ってなんだかその歴史から、「罪とは、刑とはなんだろう?」と考えさせられる土地でもあるんですよね。
 月島は島の人間から「人殺しの息子」と呼ばれていました。そして月島自身、人殺しになってしまいました。この尊属殺人というトピック自体も明治憲法下だなあという感じですが、佐渡で繰り広げられた月島父子のストーリーには「その罪は本当にその刑を受けさせるべき罪なのか?」という問いがあり、佐渡歴史伝説館で上演されるストーリーにはそれと同質のものが感じられるのです。

佐渡歴史伝説館のトップバッターだった順徳院の長女・慶子女王けいこじょうおう
時間になると照明がついて音楽が流れ出し、ロボットが語り始める仕掛けです。
鎌倉幕府と対立して佐渡へ流される前、処刑されかけた日蓮にちれん
右のロボットの表情が秀逸でした。
室町幕府第6代将軍・足利義教に疎まれて72才で佐渡に流されたとされる世阿弥ぜあみ
ここでは雨乞いの舞が演出されます。
これが動きに迫力があってなかなか良かった!
おじいちゃんとおばあちゃんが佐渡弁で佐渡の伝説を語るゾーン
(手前の人影も人形です)。
佐渡の伝説のなかには鶴の恩返し(!)も。
佐渡生まれの鋳金家・佐々木象堂ささきしょうどう記念館も入っています。
佐々木さんは明治15年(1882)生まれなので、尾形宇佐美と同い年くらいです。

 滞在時間45分しかありませんでしたが意外としっかり見れました。お土産なども充実していて、とても観光客向けの施設でした。さて、バスに乗車して、いよいよ宿根木を目指します!

ここで佐渡のおいしいお米が育つんだなあ🍚

5.佐渡国小木民族博物館さどこくおぎみんぞくはくぶつかん

 「宿根木」停のひとつ前の「小木民族博物館」停で下車します。なぜなら『佐渡さんぽ』がそうおすすめしてくれたから。

https://www.visitsado.com/pamphlet/
『佐渡さんぽ』p.8

 こちらの『佐渡さんぽ』、両津港にいろいろ置いてあった観光リーフレットのなかでナンバーワンに重宝しました。佐渡観光の御伴にイチオシ!

https://www.visitsado.com/pamphlet/
こちらからPDFもダウンロードできます。

 到着してみておすすめされた理由に納得。ここが宿根木の上り坂の一番上なんですね。

佐渡国小木民族博物館
さすが元小学校。かなり広い!

千石船展示館せんごくぶねてんじかん

 受付で4館共通入館券(小木民俗博物館+宿根木の公開民家3館)を購入したら、まずは千石船せんごくぶね展示館へ。

で、でか~~~!!

千石船「白山丸」
安政5年(1858)に、当地小木町宿根木で建造された「幸栄丸」を当時の板図(設計図)をもとに忠実に実物大に復元し、地元の白山神社にちなんで「白山丸」と名付けた。

 千石船とは、米千石相当の積載量を有する荷船の汎称。幸栄丸こうえいまるの実際の積石数は512石だそうです。展示されている白山丸はくさんまる平成10年(1998)に幸栄丸を復元したもので、日本初の完全復元千石船だそうです。

船に上がれるだけじゃなく、中にも入れる!
天井が低い!
当時の人が身長150cmくらいだとしても、みんな頭ぶつけたと思う。
そこのところどうなんですか、船頭さん?
船の下にも入れて、運ばれる米俵気分も味わえる。
船の外に出て展示館の中二階から全体像を見ることも。
大迫力です!

 佐渡には「松前稼まつまえかせぎ」なるものがあり、ふたつの形があったそうで。ひとつは蝦夷地への佐渡の産物の売りさばき

売りさばかれた皆さん。

 もうひとつが松前への出稼ぎだそうです。

明治30年代から北海道は空前のゴールドラッシュに沸いた。佐渡からも砂金採りの指導者として、笹川集落の人たちをはじめ多くの人が稼ぎに行っている。

 佐渡の船は佐渡金山の衰えが顕著になり出した享保期(1716~1735)からが蝦夷地への航海を始めたそうです。宿根木では明治18年以降に千石船の造船が激減したため、ほとんどの船大工は蝦夷地へ出稼ぎに渡ったそうです。なんだかいろいろ繋がってますよね。
 もちろん、佐渡から船で出て行くものばかりでなく、入ってきたものもたくさんあります。

なかでも、朽ちることのない陶磁器は、そのまま残った。

君も残ったんだね、アンコウくん。

 展示館の随所にゴールデンカムイっぽいものが発見できて、思ったより長居してしまいました。

これは展示館の片隅にあった最もゴールデンカムイっぽいもの

②本館

 本館は大正10年(1921)開校の旧宿根木小学校校舎です。

ギシギシと物凄い音がする廊下。歴史を感じます。

 現存する佐渡の学校校舎としては最古とされますが、残念ながら月島の生まれが古すぎるため、こちらの小学校は月島少年にとってはかなり新しい建物です。
 明治5年(1872)(月島が誕生する2年くらい前)の「学制」発布により下等小学校4年と上等小学校4年が登場。明治19年(1886)(月島12才くらい)の「小学校令」により義務教育3~4年(尋常小学校を卒業するまで)と規定されます(参考:我が国の義務教育制度の変遷|文部科学省)。学制発布以降、寺子屋をベースにして小学校は全国で急速に広まったそうなので、月島少年は宿根木小学校よりもこじんまりとしていてまだ寺子屋っぽい雰囲気が残っているような、小さな小学校に通ったんじゃないかなあと思います。 

「衣」の教室にあった明治末~大正初年の佐渡の人々の写真。
「信仰」の教室にあった石仏。北海道へも輸出されたそうです。
「看板にみる廻船業→薬種問屋→郵便業」

 明治20年(1887)には宿根木で廻船業を営む者は1~2軒ほどに減少したそうです。もしかしたら月島の親父さんも廻船業に携わる者で、月島が13才くらいのときには失職してたのかなあなどと想像してしまいました。

「3年教室」。窓の向きが左利きに優しい。
「陶器」の教室。
佐渡の物はひとつもないのがかえって佐渡の特徴になっている。
ここにもいる「あんこう」。正体は携帯型の手あぶりらしい。
漁師の人たちはこれを船に乗せて海へ出ていたそうです。
「昔の道具」の教室にあった曲げわっぱ。
……かと思いきや、「チゲ」という漆器らしいです。

 最後の大型展示室は量が多すぎるため割愛。中庭へ出て新館へと向かいます。

左が出てきた本館。

 木造旧校舎、赤い灯油タンク、咲き誇る大輪の紫陽花……美しい✨
 中庭への出入り口には注意書きがありました。

お客様へ
鳥・猫が入りますので、戸を閉めて出入り下さい。

 へぇ~と思っていたら……

鶴見中尉「ん 猫ちゃん 猫ちゃん!!」

 まさかの現行犯を生んでしまうところでした🐈

③新館

 こちらには漁具農具がたっぷり展示されていました。

展示室の入口から見た図。
桶・樽のいろいろ。

 小木半島は水用農業の開発がおくれたため農業に関する桶は比較的少ないとのこと。公式ファンブックで好きなものが白米(とえごねり)とされていた月島、てっきり米どころ出身だから米が好きなのだろうと思っていましたが、実は月島も軍に入るまでは白米をあまり食べられなかったのかもしれません。

昔の宿根木の写真もたくさん。
海に細く連なっているのは小舟で立ち漕ぎしている人たちです。
ハンギリ漁。

 味噌樽半分に切ったものを舟代わりに利用するのでハンギリ漁。小木半島は入り江が多い岩礁地帯で浅瀬かつ舟揚場が狭いため、明治に入ってからハンギリを使い出したそうです。月島が生まれる少し前か同時くらいでしょうか? 月島はハンギリ漁第二世代くらいになるかもしれません。

そんな佐渡近海で捕られているお魚たちがこちら🐟
アンコウも捕れる
(そしてで食べる)。

 軽い気持ちで立ち寄った小木民族博物館でしたが、月島の生まれと育ちの理解をかなり深めてくれる施設でした(そしてなぜかアンコウにたくさん出会いました)。さて、お手洗い(※)を済ませたら、佐渡さんぽのおすすめどおりに眺望ポイントへ向かいます。

※どうやらここで済ませておくのが宿根木観光の最適解っぽいです(↓こちらの素敵な記事が詳しいです)。

6.町並み保存地区・宿根木しゅくねぎ

①眺望ポイント

 小木民族博物館を出たら、郵便局と十王坂の間の坂道を下るように歩いていきます。

右の十王坂のほうが涼しそうだけど、今は我慢!
するとこんな立札が。

「美しい屋根の村」
 三崎の谷の中にこのように美しい村があろうとは、誰が想像出来ただろうか。

 ここが……

 あなたが生まれ育った場所……!

杉の丸太を薄く割り、屋根に敷きつめた上に押えの石を並べた。何とも簡素な屋根であるゆえに美しい。

 ここは国指定重要伝統的建造物群保存地区で、現在は約40棟が石置屋根いしおきやねに復原されているそうです。事件の現場になった月島の実家もこんな屋根でしたね。
 原作どおりの景色に感動しつつ、そのまま階段を下って町へ降りてみます。

この町、路地裏しかない……!

 お家のすぐ側を通過してしまってすみません……という気持ちを抱きながら、すぐそこにある公開民家・清九郎せいくろうを目指します。

清九郎せいくろう

 安政5年(1858)頃建築の公開民家・清九郎

道幅が狭すぎて広角レンズでも収まらない!

 2隻も廻船を所有した家主の邸宅で、宿根木のなかで最高水準を誇る建物です。

家の随所に船と同じギミックが搭載されているのが見どころです。

 月島家が暮らす村の長に挨拶しに行ったらこんな感じかなと想像。各部屋にスピーカーが置いてあり、自分で順番に再生していくスタイルでした。

裏庭が崖に面していて、貯蔵室な洞穴があります。
中にも入れて肝まで冷える涼しさ🥶
二階。
簡素な外観と対照的に内部が豪華な造りなのは、宿根木の家屋の特徴の一つです。

三角家さんかくや

 清九郎を出てまっすぐ歩いていくと……

もしやあれが……!?

 例のあの家!!

みんなが撮ってるこのアングル!

 弘化3年(1846)以後の建築とされる三角家さんかくや。実は元々は小木港の近くの羽茂大橋はもちおおはしにあった家だと伝えられており、ここに移築されたのは明治30年頃以前ではないかと推測されています。なので、月島が「悪童」をしていた頃には、三角家は宿根木にはまだなかったかもしれないし、既にあったのかもしれません。
 ちなみにこの写真を撮った位置が月島の荒くれ現場になるわけですが、ここには何があるかというと……

地面の赤いマークアップが撮影位置
(路地裏への入り口ですが、奥へ進むのはちょっと憚られる)。

「洗い場」
(略)洗い場は、かつて14箇所ほどあり、上流と下流で洗うものをきちんと区分けし利用していた。今でも時折、畑で採れた野菜などを洗う光景が見られる。

 「悪童」月島のあの喧嘩は、洗い場をめぐるトラブルだったのかもしれません(月島が何かを洗っていたら「下流を使え」と揶揄われたとか)。 

三角家の二階。意外と広い!
平成18年(2006)までここで暮らしていた深野アサさんの仕事を伝える品々。

 三角家は昭和24年(1949)から深野さん一家が暮らし、昭和40年(1965)からは妻のアサさんが約40年間一人暮らしをした建物。昔から塩の専売に携わり、そのスキルを活かして直近ではヤクルトの販売でも良い成績を上げたやり手の女性だったそうで、一階のおしゃべりなガイドさんがその半生を語ってくださいます。

④茶房やました

 ランチは三角家の向かい側にある茶房やましたさんでいただこうと決めていました。

二階の相席
テーブルは「たらい舟」のリメイクです。

 というのも、たらい舟に興味はあるけれども、体験はちょっと怖いなあ……と日和っていたから。でも席に着いてみたら思ってたよりも大きくて、これなら怖くないかもしれないと感じました。
 メニューは手作りのピザやカレー、その日のおすすめデザートなどです。地元産のイカのピザをいただいたんですが、注文を受けてから作り始めている感じでした。採れたて素材の出来たてアツアツをいただけて滅茶苦茶美味しかったです(写真も撮り忘れるくらいに)!

【未練】はんぎり体験、しとけばよかった!

 宿根木ではんぎり体験ができるのは事前に知ってはいたんですよ。でも予定に組むのはやめてしまいました。先ほど少し触れたように、旅先で海に落ちるのが怖いという気持ちがあったのも本当ですが、それよりも不安だったのが、体験にかかる所要時間でした。宿根木を13:35に出発するバスに乗り遅れてしまったら次の出発は15:10なんですよ。もしも乗り遅れてしまったときに自分のなかでそれを、はんぎり体験のせいにしたくなかったんです。

ホテルで入手したセンス抜群のフライヤー

 でも、こちらのフライヤーのを見てみたら……

■Aコース 700円/所要時間約15分

 ええ~っ! たったそれだけしか要らなかったの……!? と後悔。

宿根木・はんぎり乗り場。
ちょうど空いていたし、初めから予定していたら余裕で体験できたなあ。

白山神社はくさんじんじゃ

 茶房やましたさんを出たのが13:20くらいで時間が足りず、残り一つの公開民家・金子屋かねこやは断念しました。船大工職人の家らしく、楽しそうだったのですが。最後に、三角家のすぐ近くにあって気になった白山神社はくさんじんじゃの姿だけ見納めて宿根木を後にしました。

白山神社

 もしも日清戦争から帰った月島がいご草ちゃんと出会えていたら、島を出る前にふたりはここで神前結婚の真似事のようなことをしたかもな……と想像してしまいました。というのも、第242話の杉元のセリフ「俺は…梅ちゃんと一緒になるはずだったんだ」のコマで、梅ちゃんの背後にも鳥居が描かれているから。

第242話の鳥居のモデル・旧信濃神社(北海道開拓の村)。

 あのセリフを発したとき杉元の脳裏には、梅ちゃんと結婚する自分の姿が浮かんでいたと思うんですよね。月島もそんな自分の姿を想像した日があったかもしれない。
 ちなみに白山神社の例祭のひとつが、かの有名なちとちんとん(県指定無形民俗文化財)です。

7.まとめ

 宿根木を訪ねたゴールデンカムイ読者にはこの感想を持つ人が多いだろうと思っているのですが、私のなかの月島像が「佐渡の男」から「宿根木の男」にアップデートされました。それまでは漠然と「島の海沿いでたらい舟漁をしてたんだなあ」くらいに思っていたのですが、宿根木はかつて廻船で栄えた町で北海道との関りも深く、それが衰退した頃に始まったのがはんぎり漁でした。水田開発が進められたのもそれと同時期であり、月島が生まれた時代の宿根木は新しい集落の在り方を模索していた時期であったといえそうでした。
 月島の父親の「悪い噂」は宿根木が最も困難な時期に発生したのかもしれず、ちょうど集落の人々が疑心暗鬼に陥っていた頃なのかもしれません。というのも、宿根木の人たちってお喋りで人当たりが良くて親切で、ここは月島が居場所をなくすような地元ではないと思ってしまったんですよね。
 私は変則的な周り方をしてしまいましたが、本当は「宿根木町並み案内所」で滞在予定時間を伝えて、おすすめの散策コースなんかを地元の方に聞くとベストかもしれません。

宿根木の町並みの入口は本当はこんな感じなんです。

 観光施設の営業日や営業時間は毎年度変わる可能性があるので、宿根木 公式ホームページのお知らせページも要チェック!

 さて、定刻どおり宿根木を13:35に出発するバスに乗ったら、佐渡島観光の定番・史跡佐渡金山を目指します!

海岸線がずっと綺麗で見飽きません✨

 記事が長くなりすぎてしまったので、午後の観光は佐渡(後編)で綴ります✍️


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?