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20201018:舞台「BIRTH」を見て考えたこと。(キャラクターについての垂れ流し)

 今、書かないと一生書かないと思ったので、眠たくなるまでの時間をフル活用して、書こうと思っている。
 全体のざっくりした感情だけの感想は観劇初日のnoteに上げたので、今日は2回目の舞台で感じた、キャラの掘り下げについて書きたいと思っています。

※注 あくまでも私の経験と主観で書いているものなので、異論は認める。
   しかしながら、文句は受け付けない。笑
   あなたの意見はあなたのものだし、私の意見は私のものなので、お互い認め合おうぜ!
   ということを了承していただける方のみお読みください。


1.ユウジの話。

 個人的に、今回のBチームの最大の見せ場は、玉様のユウジだと思っています。
 入ってきた時から、姿勢が違う、オーラが違う、顔つきが違う。
 もう、何もかもが違っていて、とにかく怖い。しかも、圧が強い系の怖さではなく、何をしでかすかわからない系のちょっと剣呑とした怖さを漂わせている。
 完全にハマり役だった。素晴らしかった。
 玉様のイカれたユウジを見るためだけに、チケ代一万円払う価値がある

 と、キャストさんを褒めるのはこれくらいにして、今日のテーマであるキャラについての掘り下げをしておこうと思います。

 私は、この舞台でユウジのことが一番怖かった。
 それは、暴力的なユウジが怖かったのではなく、ユウジの中にある闇というか無が怖かった。

 ユウジはいわゆる「サイコパス」なんだと思った。
 ダイゴとのやり取りの中で、ユウジはダイゴが「かわいそうだ」といった意味が最後までわからなかった。
 今までも「かわいそう」だったけどお金は取れたのに、なぜ、今になって急に「たくさんのかわいそう」になって、お金は取れないなんて言い出すのか? ということがさっぱり通じない。
 多分これは、ユウジには「かわいそう」という感情の持ち合わせがなくて、かわいそうは、ちょっとずつ積もっていって、限界を超えるとあふれ出してくるものだ、ということがわからないのである。
 そもそも「かわいそう」を知らないから、「かわいそう」だとどうしてあげたくなるものか、がわからない。

 話の途中で、ユウジの成育歴の話が少し出てくる。

 母親が男を家に連れ込んでいて、ユウジは暴力を受けて育ってきた。
 そして、力が付いた時に二人とも殺したんだって。
 どこまで本当かわかんないけどなー

 というのが劇中で語られるユウジの生い立ち(うろ覚え)
 そして私はユウジを以下のように理解した。

 ユウジは人に対するコミュニケーションのバリエーションを「脅す」「威圧する」「謝る」くらいしか持たない。
 最後はすごむことで、自分の思う通りに周りを動かしている。
 あれは、ユウジが今までされてきたことをそのまま返しているだけなのだろうな、と思います。
 ユウジはきっと何かあれば殴られて、結局謝って、相手のいうことを聞くしかなかった。
 ダイゴがこれ以上詐欺を「続けるのを辞めたい」と言い出した時、ユウジがダイゴを褒めようとして、ちょっとだけまごついた。結局「演技がうまい」と褒めたのだけれど、恐らく、ユウジは人を褒めることもなれていない。
 あそこの場でダイゴに伝えるべき言葉は「演技がうまい」ではなく、ダイゴの「優しさ」に共感するものであるのがよかったと思うんですが、ユウジは恐らく、「ユウジの気持ちを考えて行動してもらう」ってことをされてきたことがないから、その選択肢がない。そんな選択肢があることは知らないのだから。

 そして、「実は自分の母親だと思うんだ」と衝撃的な事実を伝えるダイゴに対しても、ユウジは「だからどうした」である。
 前述の通り、ユウジにとっての親は、何一つ特別な「いいもの」ではなかったのだ。
 ユウジにとっては、「母親」に特別な思いはないのである。むしろ、本当か嘘かわからないにしろ、「親を殺した」と言いふらせるほどの最低の親だったんだと思う。
 それはつまり、ユウジにとっては「こんな母親いない方がまし」な人間だったのではないだろうか?
 ユウジにとっては「いてよかった」でも「いた方がよかった」でもなく、「いない方がよかった」存在。
 それはもう絶望的なまでの違いである。
 だからユウジは、「母親だからこれ以上やめたい」なんていうダイゴの日本語を絶対に理解できない。

 ユウジは劇中で「俺が正しい」と主張する場面が何度かあるのだけれど。
 ユウジのいう正しいは、「お金を得る」という目標に対して、手段を選ばず、一番簡単かつ早い方法でやるという意味では、何一つ間違ってはいない。
 そこに「罪悪感」とか「感情」の要素がなくなり、「善悪」さえもなくしてしまえば、ただ目標を達成するためには確かにユウジの方法が一番いい。
 しかし我々は人間だ「効率」とか「目的達成」の前に、「罪悪感」「葛藤」「感情」その他もろもろを合わせて総合的に判断をする。決して、「目的のためには手段は選ばない。善悪なんてどうでもいい」ということはやらないし、できない。

 ユウジには「人に愛される」という経験がなかったのだと思う。
 そして、愛されたことがないから「愛」がわからない。
 きっと「友人」を自分の言うことを聞いてくれるやつ だと思っているんだと思う。

 本当の本当のサイコパスである。
 こんなサイコパスをこんな熱量でもって演じられたら、もう惚れるしかないだろう……。

 本当に玉様のサイコパス見るためだけに買ってくれ

 それが私が思うユウジの話。
 愛情が何一つ理解できない空っぽの子。
 知らないわからないというのはそれこそ絶望的である。
 人間は生まれてから、愛情や経験やその他もろもろから十年二十年とかけて人格を作っていくのだけれど、与えられなかったものをその二十年から先に与えるのは、それまで過ごした年月以上の歳月がかかるんだというのが、実感。

 その辺りは、時間に余裕があれば「ユウジを救う方法はなかったのか?」ってタイトルで別途記事を書きたい。(期待しないでください)

 多分私は、ユウジに対する考察を永遠としていられるので、この辺りで一旦おしまい。


2.ダイゴの話。

 ダイゴにはいろいろな要素があるのだけれど。
 何より初めに思ったのは「この子は周りで争ってほしくないんだな……」というところである。
 誰かと誰かが争うのが嫌いで、そのことで周囲が争うと、率先して止めに入る。
 誰かが「お前がやれよ!」と言い合っていたら「じゃあ僕がやるよ」と言って、その場を収めようとする。
 彼には「みんなが争わない事」が第一優先なんだなって、感じた。
 まあ、キレイな日本語で言えば「みんなが笑顔でいられること」。

 ただ、彼の判断基準にも、「善悪」はない。

 自分に対しても、周囲に対しても、楽しいこと、争わないこと、が第一優先なので、その行動をとることが「正しい」とか「間違ってる」とかはどうでもいい。
 そういう意味では、「こうしろ」「ああしろ」と言ってくるし、その通りにさえ動いていれば機嫌よくしてくれるし、お金をくれる(簡単に手に入れる方法を教えてくれる)ユウジは、ダイゴにとっては一緒にいて楽な相手だったんだろうなっていうのは納得できる。
 いわく「わかりやすいだろ?」である。
 そりゃわかりやすすぎるよね。ユウジはいつも自分の主張しかしない。
 言う通りに動いていればいいのだ。
 そして、「いい」「悪い」はどうでもいいことなので、楽に(簡単に)、自分が楽しく生きるための方法を教えてくれるユウジは「いいやつ」なのである。
 いくら傍から見たら、「犯罪に引きずり込まれてる」ようにしか見えなくても、ダイゴにとってはその行為が「犯罪かどうか」なんてどうでもいいことなので、ユウジはいいやつ、だ。

 歪すぎる……。

 結局のところ、ダイゴは、この周囲の調和を第一優先する性格から、オレオレ詐欺の電話をターゲットにかける役目を担ってしまい、そのことが物事の大きなキーポイントになってくる。

 そういえば話していなかったけれども、ダイゴの成育歴は
 2歳上の兄(サトル)がいて、4歳の時に母親に捨てられ、父方の祖母に引き取られ、母親は「男と逃げた」と言われて育ったけれども、結局、二人の兄弟を持て余した祖母によって、施設に預けられた。
 というところまでが明かされている状況。

 ここから想像するに、4歳まで母親に愛された記憶があって、「他人の気持ち」がなんであるかは知っている。
 だからこそ、母親と接触して「かわいそう」って感情が生まれてくるのである。
 ここがユウジとの大きくて、絶望的な違い。

 しかし、「母親と会話をする」という方法を知らないし。
 最初は戸惑いと不審もあったから、「試し行為」の行動にも出てしまったのだと思う。


3.マモルの話

 今回、実は私が一番よくわからなかったのはマモルである。(推しなのにな)
 先の二人がキャラが濃すぎるくらいに濃すぎるので、マモルに割くことができた時間が舞台上でも圧倒的に少なかったせいもあるのかもしれないけれど、なんだかちょっとよくわからない。役どころ的にもキャラクター性も。
 ただ、私が思うマモルについて、ちょっとだけ書いておく。

 劇中で出てくるマモルの成育歴は
 2歳の時に両親を事故で亡くし、施設に預けられる
 ということだけ。

 私がマモルについてすごく強く感じるのは、施設育ちの3人の中で、唯一彼だけが「 善 悪 」を判断基準に持っているということである。
 物語の冒頭でダイゴと二人で、クスリではないものをクスリとして売るシーンがあるのだがその行為を、彼は「詐欺なんじゃねえか?」という。
 そして、ムショから帰ってきたユウジに対して「まともじゃない」という判断をし。
 オレオレ詐欺への協力を「俺とユウジは1カ月だけだ」と言い、なるべく関わりたくないという姿勢を前面に出す。

 随分まともである。

 マモルの両親は「事故にあって亡くなって」いる。
 だから、恐らくマモルには、両親に対するマイナスの感情がない。
 事故なのだから、不可抗力だから、マイナスの感情がない。

 ダイゴには、今回のことがあるまでは「母親が男と逃げた」と祖母に言われていたせいもあって、「捨てられたのかもしれない」というマイナスの感情が少なからずあったように思う。
 だけど、マモルにはダイゴが母親と話したことを「うらやましいなあ」と素直に言える程度に、むしろ「憧れ」に近い感情を持っている。
 そこは大きな差であるように感じる。
 恐らく、マモルは2歳までは愛情を注がれていたんだろうなっていうのは「親の夢を見る」という話からも伺える。
 親に対してマイナスの感情を抱いていたユウジとダイゴ、それがないマモル。その差は大きいように思う。
 親に対する悪感情がないかその他の『社会』とか『世間』にいる人間に対してもマイナスの感情がなく、だからこそ、『社会』のルールを守ることに対しても抵抗感がないんだろうな、と思います。
 だからこそ、善悪を自分の価値判断の基準に入れることができる。

 そんな感じでマモルのことを分析しているのだけれど、私には一つどうしてもわからないことがある。

 なんであいつ、ダイゴに対して「口でしよっか?」って言ったの?

 個人的に推しの口から出るとは思えない日本語が衝撃的すぎて、ちょっと受け止め方が冷静じゃなかったのは認めるけど、2回目見たけど、マモルがダイゴのことが好きって話す必要性があったとは思えない。

 なぜそれが、友愛の範囲を超えた感情だと思ったのか? というところが見えない。

 そもそも「口でしよっか」という流れが唐突すぎたし。
 言った後に、ダイゴとマモルの関係が変わったのか? という点についても、多分、告白してもしなくても物語の流れは変わらなかっただろうと私は思う。
 確かに物語上は、マモルの告白を受けた後、ダイゴが救いを求めるように母親に電話をしていたけれど、多分、ダイゴはそれがなくても「母親かもしれない」人に対して遅かれ早かれ電話をしていた、多分。
 ではなんの意味があったのか? マモルは何をしたかったのか? という点について、私の中では答えが見つけられない。

 マモルがダイゴを慕うのはわかる。
「俺は愛がわからない」というのもわかる。
 恐らくマモルだって人に愛された経験は圧倒的に少ないから、そりゃわからないだろう。
(施設の人によくしてもらったとしても、母親1人に対して、自分の家族である子どもの人数なのと、施設のように先生1人に対して数十人の子供がいるのとは、物理的に割ける時間が違う)
 ダイゴは(争いごとが嫌いなので)、(誰にでも)やさしいから、好きになってしまうのもわかる。

 でもなんで、告白があのタイミングであの言葉だったのかがわからなすぎる……。
 もっと言うなら。

 あのシーン必要だった? である。(ぶっちゃけ)


 個人的にはあれなかった方が引っかからなくて済んだし、もうちょっと告白の仕方変えてもよかったんじゃないかなあってぐるぐるしてしまう。
 少なくとも、佐藤祐吾さんが演じるマモルには別のやり方でもよかったよなあ……ってモヤモヤが消えない。
 だからこそ、後藤大さんが演じる別のマモルではどういう意味を持つシーンだったのかってことを知りたくて、AチームVer.を見たい。(チケット取れなかったので配信買います)


 そんな感じが主要3メンバーにおける、私なりの理解でした。

 オザワの話も書こうと思ったんだけど、私は3人目のオザワにまだ会えてないので、オザワの話は3人目に会ってから書こうかな……。

 ちょっと思いついた内容があるので、別の視点からまたこのキャラクターたちのことは書くかもしれない。

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