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ポケットにプリン

私の母は認知症のため、実家近くの施設に入っている。父は毎日母の顔を見に行っていた。
「今日は機嫌がよかった」
「ずっと眠そうだった」
たまに実家に顔を出すと、父は私にそう教えてくれた。

母が認知症と診断されて数年が経つ。最初の頃は、忘れっぽい母に苛立ちを感じながらも普通に会話ができていた。が、今では、娘である私のことなど忘れてしまっていた。父のことはわかるのだろうか、それさえ私には疑問だった。

父は昭和1桁生まれの頑固な性格で、母がこんな状態になるまで、料理や洗濯など一切の家事をやったことのない男だった。朝目覚めてから夜寝るまで、全てのことは母が用意してくれていた。
そんな父だが、今では実家を訪れるたびに、父が一生懸命作ったであろう料理や、母が元気だった頃よりはるかに整理整頓された冷蔵庫の中を見て、そのポテンシャルに驚いたものだった。

父の日課である施設訪問に、ときどき同行した。父は決まって上着のポケットにプリンを突っ込んで持って行った。栄養管理をしてくれている施設の人の目を気にしながらも、自力で食べられなくなった母に、スプーンですくって食べさせていた。1個100円もしない安いプリン。表情も無くなってしまった母に、「おいしいか?」「今日は娘が来てくれたよ」と一方的に話しかけながら、甘い香りのプリンを根気よく母の口に運んでいた。

コロナ禍で介護施設は出入りが厳しく、事前予約と面会者の数日間の健康観察記録が必要になってからは、父は月に数回しか行かなくなっていた。

スーパーでプリンを見かけるたびに、父の膨らんだポケットを思い出す。恋人同士のようにプリンを食べさせる日々はまた来るのだろうか。私には父のようにプリンを食べさせてくれる人はいない。無表情で口をポカンと開けてプリンを待っていた母を、心の底から羨ましいと思う今日この頃であった。

(おわり)

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