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眠るということ

私には日常の中で誰もがする行動のひとつにとても恐怖心を抱いている。

それはタイトルにあるように、「眠る」という行為である。

このまま目を閉じて夢の中に溶けたとして、明日目が覚める保証はどこにあるのだろう。
今日会えた人やここ最近会えてない人に会えるのだろうか。
一度手放した意識は、また私の元に帰ってきてくれるのだろうか。
明日また恋人と話せるだろうか。
また人の温もりを感じられるのだろうか。

と考えては止まらなくなり、夜遅くまで目を閉じるのが怖い日を何度も経験してきた。きっとそれはこれからも変わらなくて、私の中の根本的な何かが変わらない限り一生続いていくことなんだろうと思う。

今日後悔ないように生きれただろうか。
そんなことを考えるくせに毎日何もできていない私。
あぁ、今日も在り来りな一日だったな。
そんな思いを抱いて泣く泣く意識を手放す毎日。

人は、この世に生まれた時点で、必ず最後は眠りについてもう二度と戻って来ない日が訪れることを約束される。
それが毎日してきた行為でも、明日が来ないという事実が私に恐怖を抱かせる。

しかし、それはきっと今の生活に満足しているからなのかもしれない。
こんな私を愛してくれる恋人がいて、私の幸せを喜んでくれる友人がいて、心が暗闇に溶けたとき話を聞いてくれる人がいる。
だからその人らと離れることが怖くて、「死にたくない」「消えたくない」と無意識に思うのだろう。

けれど、今の自分に満足していない心があるのも確かだと思う。
「明日こそは」「次こそは」と決意していることも、その時が来なければ叶わない。このままなんて嫌だと思うから、明日が来てほしいと願うのだ。

今日も私は眠る。
何も出来なかった一日に後悔し、明日に不安を抱き、ほんの少しでも夢が見たいと願い、恋人や友人の顔を思い浮かべる。そうして遅くに眠りに落ちる。

どんなに疲れていてもそれは変わらない。
いつになれば「眠る」ということに素直になれるだろうか。

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