脳内整理44(日記)

小川洋子さんの「猫を抱いて象と泳ぐ」読み終わったよー。

感受性が豊かも豊かで豊かすぎる少年の話。


昔デパートの屋上にいた象でも、路地裏で亡くなった少女の噂話でも、チェスひとつとっても、
少年は盛大なストーリーを思い浮かべて、それらの感情を想ってひとつひとつ真摯に向き合ってく。

特にチェスとの向き合い方がとても好き。

キングの駒を偉いお父さんに見立てて説明されたときに、偉いお父さんなら家族を犠牲にして最後まで矢面に立たないのはおかしい!って思って、
キングは村の長老で知恵に溢れてるけどお年寄りだから大きく動けないって少年は考えてる。

チェスを指すにあたって、そんなことは重要じゃないどころか考えるに値しないことはずなのに、少年は空想をやめない。

そのあとビショップの話もするんだけど、少年はビショップが最初に配置された升目の色にしか移動できないことに着目して、

「白い升目なら白、黒い升目なら黒。二つのビショップは仲間同士でも、お互いに心を通わせることができないんだ。斜めに威勢よく移動しているようで、実は寂しがってるんじゃないかと思って、慰めてやりたくなることがある」って。

この少年、物事をマクロでもミクロでも見れるぞ。なんだその視野と感受性。この子の世界観どうなってんだ。

そして、同じ升目の色に立つことを心を通わせるって考えられるの素敵すぎるでしょ。

描写はないけど、これ、升目の色に意味を持たせることで、盤上にも意味を持たせてることになるよね。

升目の色が理解の世界で、盤上が在てある世界。
知ってか知らずか、このレイヤーの違いを少年が察してるんだよ!なんだコイツ。化け物か。

そしてこの空想を、さらに空想で実在に昇華させた路地裏で亡くなった少女の噂話に説明してる。

この少年の世界はとんでもないな。
捉えてるものと意味づけされたものが多すぎる。
感性の寵児だぁ。なんじゃコイツマジで。


あと、少年が遠慮していないことを示すために、胸焼けするほど甘すぎるココアを無理やり飲み干すシーンがあるんだけど、これ偉すぎる。

しかもそのあと、「これ、とっても美味しいです」って言って二杯目もゴクゴク飲んでる。

君は少年なんだぞ!
っていうと失礼だけど、少年でその気遣いできるの凄すぎでしょ。


少年の出来事への向き合い方がすごく情緒的。
物事に対する感性の切り出し方が素敵すぎる。

たぶん、バタフライナイフで切り出してる。
じゃなきゃこんな優雅な物の見方できないよぉ。

ただ、ただ、この少年の豊かな感受性が時折りジャックナイフばりの切れ味を誇ることもある。


少年と一緒にチェスを指しているマスターって呼ばれている人がいるんだけど、まあ、この人は百貫のふくよかさを携えてる。

あと、マスターはもともとバスの運転手だったけど、なにやら訳アリの様子で、今は免許を返納してバス会社の寮の管理の仕事をしてるらしい。

普段、改造したバスの中に住んでいて、少年とはこのバスの中で対局してる。

気のいいというか落ち着いていて安心感のある人で、めっちゃ理想の大人。チェスの難しい局面でうつ手がわからない時に少年といっしょになって唸ってくれるタイプ。好き。

この時点で、少年は鋭い感性でもってマスターの情報をたくさん切り出してる。

でも、少年の鋭感がいっとう冴えたのが、チェスをしていない時のマスターを描写したとき。

たどたどしい歩き方、チェスを指している時には気づかなかったマスターの淋しい背中、外出したときのおどおどとした頼りなさ。

鋭利すぎる。やめてくれ。見せないでくれ。

遠くから富士山を見ていたときには荘厳だったけど、近くで見たらただのありふれた山だったみたいな感覚。

マスターの不思議な魅力がえぐられてく。
マスターの情報を切り出して残ったのが頼りない大男でしたなんて知りたくないよー!

少年はシュールレアリスムみたいな考え方をすると思ってたのに、なんでマスターの描写はそんな現実主義なんだ。


少年は「超現実」と「超 現実」。両方の性質をあわせ持つ!


量が多くなってきたので区切りまーす。寝ます。

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