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2023年で印象に残った本・文章など

ハンチバック(市川沙央)

「本を読むたび背骨は曲がり肺を潰し喉に孔を穿ち歩いては頭をぶつけ、私の身体は生きるために壊れてきた。」井沢釈華の背骨は、右肺を押し潰すかたちで極度に湾曲している。
両親が遺したグループホームの十畳の自室から釈華は、あらゆる言葉を送りだす――。

ジャンル分類不可能、障害者表象と私小説とわずかな恋愛小説の要素、どんでん返し。ラストに賛否両論があったようですが、わたしは「主人公が見たかった夢」と解釈するとすとんと腑に落ちた側です。
露悪的とはまったく思わないです。そして、「障害者について書いてくれてありがとう」とも思わない。正しい作家によって書かれた歪んだ小説という印象(あるいは歪まされてしまったのか)。
『ハンチバック』についてはこちらのnoteでも長文を書きました。


阿Q正伝・狂人日記(魯迅)

魯迅が中国社会の救い難い病根と感じたもの、それは儒教を媒介とする封建社会であった。狂人の異常心理を通してその力を描く「狂人日記」。阿Qはその病根を作りまたその中で殺される人間である。こうしたやりきれない暗さの自覚から中国の新しい歩みは始まった。

魯迅の文庫本はいろいろありますが、岩波文庫版に収録されている『故郷』『吶喊』をよく読みました。
魯迅は百年前の中国の作家で、とにかく真っ当な血が通った稀有な作家のイメージです。根本には革命思想があり、先ほどの『ハンチバック』とともに「現状をひっくり返す」思想として大きく影響を受けました。


『君の膵臓を食べたい』はヤバい。『植物図鑑』よりヤバい。(一階堂洋)

ブログの記事ですが。
一階堂洋は賛否両論のある作家です。この切れ味は流石だと思う一方で、SFと研究職の愚痴の部分はあまり諸手を挙げて評価が出来ない印象です。もっとも、わたしのSFについての引き出しがないのが大きいとは思うのですが。
これほどまでにウエルベックの的確な批評は読んだことがない。同時に、なぜ一般的な恋愛小説を読んで死にたくなるかの文章は頷くばかり。

私からすれば、ヒロインは完全に装置であり、『私たちの関係』とは『装置と使用者』だ。彼女という装置を用いることで、主人公は1. 人と接するようになり、2. 精神的に成長し、3. ヒロインの友達といい感じの関係になる。おそらくこっちとセックスをする(しかもそれは物語の外に置かれる)。分かるか? この装置は目的を果たすし、しかもセックスの相手も提供してくれ、しかも勝手にこっちを見つけてくるのだ。完璧だ! 全国民に配れ! ひろゆき見てるか? うさぎを配るのは古い。時代はネアカで六ヶ月後に死ぬ女。ふざけんなよ。

そういうことですよね。恋愛小説で「わたしを忘れないで」とヒロインがけなげに死ぬとき、女性が都合のいい演出として使い捨てられているに過ぎないという指摘は重要です。
同ブログの『霞ヶ関に東大生を洗脳させて年収2000万で雇わせることで日本を先進国にしろ』も良かったです。

どうで死ぬ身の一踊り(西村賢太)

非運の長期に散った、大正期の私小説家・藤澤清造。その作品と人物像に魅かれ、すがりつく男の現世における魂の彷徨は、惨めながらも強靱な捨て身の意志を伴うものであった。―同人誌時代の処女作「墓前生活」、商業誌初登場作の「一夜」を併録した、問題の第一創作集。賛否と好悪が明確に分かれる本書には、現代私小説の旗手・西村賢太の文学的原点があまねく指し示されている。

去年から今年にかけて、何回か読み返した小説です。
登場人物が全員最悪なのに、するすると読んでしまえるこの読後感。読者もこの本を読んでしまったからには、自然と『観測してしまった第三者』として関わらざるを得ない、巻き込むような力強さを感じます。
西村賢太に関しては、町田康の追悼文が印象的でした。


「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。(赤木智弘)

2007年に「『丸山眞男』をひっぱたきたい――31歳、フリーター。希望は、戦争。」で論壇を揺るがせた著者のデビュー作が待望の文庫化。文庫化にあたり最終章を大幅に加筆。過剰な若者バッシングへの不満。年収130万円で生活する不安。「自己責任」の一言で思考を停止させる社会への違和感。フリーターの立場から「無縁社会化」など2010年代の日本の論点を看破した本書の主張は、時を経て、さらに説得力を増している。

読むたびに「本当にそうだな」としか思わない文章です。その一方で、ゼロ年代と今とは違う部分もあり、例えば、今はもう国力の減退によって「国民全員が苦しみ続ける平等」がすでに実現されつつある、という点でしょうか。
日本という国が斜陽になっていく中で、「国体さえ取り戻せば全て上手くいく」と考える人が出てくるのはこの本の想定の通り。この文章の結論は「若者を戦争に向かわせないでほしい」ですが、戦争の気配がより濃くなっていく中で、これから反戦がテーマの本も徐々に少なくなっていくのではないでしょうか。

まとめ

全体的に左傾化している、というのがざっと見た自分の読書歴の印象でした。昔からそうなので、三つ子の魂百まで、ということなのでしょう。
とにかくハンチバックや魯迅で革命思想にどっぶり浸かって、「絶対に現状を変えてやる」という意志がみなぎった一年でした。自分の影響されやすさによる暴走と脆弱性を感じつつ、ひたすら創作を投稿しては結果を待つ繰り返しだったので、少しは前進できたのではないでしょうか。
しかし、「自分の人生を削ってまで創作活動をする必要はないのでは……?」と、年の瀬にようやく気付いたので、これからはもっと自分の人生でどう創作活動をやっていくか考える必要がありそうです。
とにかく生き延びていかなくては。
2024年はどんな一年になるんだろう。何はともあれ、今年もよろしくお願いいたします。