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2023/12/12 間違った人間による正しい壊れ方

「人と話すと緊張する」ー「あてはまる」
「いつも自信がないように感じる」ー「非常にあてはまる」
「自分はいなくてもいい存在だと思う」ー「非常にあてはまる」

とある場所でメンタルのチェックリストに丸をつけていた。解答がすすむにつれ、質問の内容も徐々に深くなっていく。
「仕事でミスをするとそれしか考えられなくなる」「いつも不安でそわそわする」「ここ一週間以内で自殺を考えたことがある」
それらにてきぱきと「はい」に丸をつけていく。もはや機械的と言ってもいい。書いていくにつれ、これはあまりにも典型的な、精神疾患の患者の回答だろう、と自分でもわかる。
職員が「リファレンス(結果)を知りたいですか?」とわたしに尋ねたので、わたしは「大丈夫です」と答えた。なのでわたしのメンタルチェックがどうだったのかは知らない。


自分は生まれたときから壊れているな、と思う。
脳の器質的な障害(アスペルガー)は言うまでもなく、それ以上に、生きていくうえでボロボロになっていった人生だったように思う。まわりの環境は悪くなかったし、今は親を責めることもない。自分も努力した方だったと思う。それでもどうしても壊れてしまうことはある。
まわりの人たちはみんなそれぞれの人生を送っているのに、ガラス一枚をへだてて自分だけ別の世界にいる。それは、どんなに人と打ち解けたり、何かで上手くいったとしても、しこりのように残っている感覚だ。

でも、その壊れは「良くない」壊れ方だったんだろうか。
生きていくうえで、どうしても壊れざるを得ないこともあるんじゃないだろうか。
「死にたい」「生きていたくない」「消えてしまいたい」これらの感情は、必死で今まで生きてきたからこそ、生まれてくる気持ちなんじゃないだろうか。

雑踏を歩くと、大勢の人たちを見てふと思うことがある。
この中で自分だけが「正しくて」、他の人は全員「間違っている」んじゃないかと。
そんなことはない。自分は常に異邦人の側だった。でも「自分だけが正しくて、周りはすべて間違っている」「自分だけが間違っていて、周りはすべて正しい」ほんとうは、そんなに違いがないんじゃないだろうか。
そしてわたしは未だに、白と黒の中間を考えることが出来ない。

ほんとうは、正しいことも間違っていることもすべて捨ててしまいたい。
今まで自分をすり減らしながら生きてきたことは、勇敢だったわけでも、強かったわけでもない。ただ、そうしないと生きていけなかったからだ。
雑踏のすみで一人で壊れていたとしても、誰もわたしに気づくことはない。ほんとうはわたしに気づいてほしかった。「今まで間違った世界に生まれてつらかったね。ほら、こっちだよ」と手を引いてほしい。運命のあなたに。


窓の向こうはもう夜が更けている。明日は仕事があるし、もう寝なければ。
おりてきた睡魔にやわらかく手を繋がれながら、入眠の姿勢に入る。
おやすみ世界。このまま、永遠に目が醒めませんように。