うさぎ餅
うさぎ餅は、今では静岡市にある松木屋さんだけで作られています。たしか昭和の頃には一度完全に無くなってしまい、伊勢丹の働きかけで復刻したとか。今では松木屋さんの本店と、近くの伊勢丹に売られています。
小説咲夜姫にうさぎ餅を登場させようと思ったのは、この作品がかぐや姫の話を題材にしているからです。この作品での咲夜姫は月へ帰るわけではないのですが、竹取物語は月を連想させる話なので、趣の一つとして描きました。物語のそこかしこに、咲代さんが月を見上げる場面はあります。
また小説出版後、松木屋さんへは個人的に本を送らせていただきまして光栄です。書店回りの際のお土産用にもうさぎ餅の詰め合わせを買わせて貰い、後日にある書店のお母さんからは「また個人的に注文した」ともいわれました。
一時期、富士宮にうさぎ餅のブームが訪れたようです。ぜひ静岡全土の流行になってほしく思うばかり。
十団子(とうだんご)
十団子は、東海道の宇津ノ谷で江戸時代頃から売られていた団子です。室町時代頃からあったという話もあります。
十団子は一種類ではなく、宮城県塩竈市の名物あられもちも同じようなもので、また名古屋に伝わる藤団子も同じものとされています。
小説咲夜姫では第二章の冒頭で、妹へのもてなしの菓子として出されます。十団子は「子供の病気を治す」「地蔵が鬼を退治した」といった話の縁起物として伝わりますが、咲代さんは臆面もなく糸を解いて団子を竹串に刺して出しました。
このあたり、咲代さんが大きな神様の化身であるような素振りの描写でもあります。縁起物を仰々しく扱うのは人の仕事であって、神様自体が縁起物を大切にするといった行為には違和感もあります。その縁起そのものが彼女なのですから。
追分羊羹(おいわけようかん)
追分羊羹は、静岡の清水の追分に伝わる羊羹です。清水の地方なので実はうさぎ餅とはほぼ同郷にあたり、清水出身の友達いわく「うさぎ餅は何となく無くなり、羊羹が残った」そうな。
本文の中では「羊羹」とだけ言われますが、まあ追分羊羹と思って間違いないでしょう。
追分羊羹は300年の歴史があり、1695年頃の創業だそうです。小説咲夜姫の舞台は江戸時代中期と書かれますが、最後に宝永大噴火が起こるので1707年から少し前のことです。創業間もない追分羊羹が、咲代さんへの土産として渡されたのでしょう。
その羊羹を咲代さんがかまどの隣の桶の中に置いていた理由は、作者の私も知りません。
蜜柑(みかん)
お菓子とは違いますが、ミカンも出てきます。静岡は実は日本有数のミカンの生産地で、昨年には愛媛県を抜いて日本二位の生産量になりました。
(一位は和歌山県)
一般的に見られるこぶしサイズのミカンは「うんしゅうみかん」といって、江戸時代に九州で偶然に生まれ、江戸時代中期に岡部町に植えられたのが最初といわれているそうです。岡部町は現在藤枝市に含まれている、かつての宿場町です。
小説咲夜姫では、宝永大地震の後、家を失った人たちを匿っている宿坊へ甚六さんと咲代さんが訪ねる際、土産物として持参しています。この頃には街から避難している人も多く、菓子を手に入れるような余裕もなかったことがうかがえます。