2019.7.21 倍音と煩悩
倍音を調べるほどに納得のいくことが多い。
基音に対して、調和する倍音もあれば、不協和音の倍音もある。
この本では、倍音を様々に比喩したりしながら説明しているが、かなり納得がいった。
特に、基音以外の倍音を煩悩に例えるところなんかは、ため息が出る。
そこで、僕が良いと思う声は、基音の倍音が豊かなものなのだろうなと思い当たる。
ジェイムス・テイラー、ニール・ヤング、ボブ・ディラン(昔の)、ジュディー・シル、カレン・カーペンター、ケーシー・マスグレイブス、ジョン・レノン、エリック・クラプトン、、
ぱっと思い浮かべる。彼らの声は、基音の倍音が吐出して聞こえる。もちろん、基音以外の倍音は出ているが、基音がよく見える。でも、イコール、メロディーがよくわかる、イコール、曲がよく聞こえる、イコール、他の楽器と調和する。
声という、楽器の中でも一番不安定なもの中に、さらに倍音が存在して、それをコントロールして調和させるというのは、頭で考えてしまうと、神業だ。
彼らが、生まれつきなのか、それとも、教育で身につけたのかはわからないが、確かに言えるのは声が立っているということ。つまり、伴奏楽器に負けないで、声で音程を主張できている。特にジェイムス・テイラーはバリトンキーでの音の立ちが素晴らしい。
話を戻すと、基音以外の倍音を煩悩とするならば、悟りとは、煩悩を切り捨てることではなく、煩悩を受け入れてもなお、基音を見つめることだということがわかってくる。
なぜならば、倍音という煩悩は消えないのだから。
僕が心を奪われる声の主たちは、決して聖者ではないのかも知れないけれど、音楽に求めるものが、救いだとか、許し、慈しみであるということは、音から見えてくる。
煩悩は消えない。それでも、基音を求める姿が音に現れている。
そんな音が出せる人は、やっぱりスペシャルなのだろうけれど、その謎に少しずつ近くにつれて、もうなんとなく答えは見えてきている。
自分という楽器を基音を強調するために最適な方法で鳴らす方法は、人間の構造上、意外と多くの人に当てはまるのではないかという仮説が僕の中にあって、その方法もメソード化できるような、、。
そして、その方法で生まれるのは、煩悩という倍音を引き連れた基音が先導する、悟りのような声だと考えている。
それは、人それぞれの本来の自然な声。
生まれてから知る様々に犯された概念や、身につけた知識、経験が生み出す様々な煩悩、それは声の中に倍音として現れてくる。
そんな煩悩は、決して消えない。
消すのではなく、それを知りながらも、基音、生まれたてのものを見つめることが、生きるということ。
歌声紀行は倍音から始まっているが、倍音に見た仮定を証明することが、こんなにも始まりに帰ることだとは。。
人生は、始まりに帰る旅でもあるのか。
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