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石じいさん、安らかに

「明日はバスまで時間があるんで、氷見へ行きませんか?」

そう言われた僕は、氷見という地名も、そこに海があるということも知らなかったけれど、その地名のイントネーションから、きっと良いところなんだろうと思った。

翌朝は快晴で、氷見へ向かう車窓からの眺めがとても気持ちよかったのを覚えている。

それが何度目かの富山だったのか思い出せないけれど、僕の富山体験はほとんど天気が良くて、よく言われている曇りがちな日本海のイメージよりも、常に立山連峰が遠くに臨める素晴らしい土地柄という印象がとても強い。

車の中ではどんな話をしたっけな。

上京前のはなちゃん(羊毛とおなは)の話や、外国で音楽をしている息子さんのこと、高岡のシンガーソングライターのたちなみえみちゃんの素晴らしさとか、ギターの地主さんの人柄とか、Ishi-G雑楽工房に集う人のこととかかな。

氷見までのドライブは、まるで孫にでもなった気分だった。じきに開通するという新幹線の話もした。優しいのかぶっきらぼうなのか定かでない富山弁を思い出すと、今でも耳がくすぐったい。

駆け出しのシンガーソングライターの僕にとって、そんな風に知らない土地に応援してくれる人がいることがとても励みになった。

高岡駅のバス停で東京行きのバスに乗る時、僕は確かに上京する若者の気持ちで、次に帰る時の自分を想像しながら石じいさんに手を振った。

もう10年くらい前だけれど、僕の頭の中にはその日のことが切れ切れに残っている。快晴だったと言ったけど、多分薄い雲が満遍なく広っがっていて、青空も、立山連峰も、少し霞んでいた気がする。


昨日、石じいさんの訃報を受けてから、少しずつ広がる後悔の念があって、これを書きながらその正体を探しているんだけれど、心の中を徘徊しているとそれらしい影を見つけた。

単純に、もっと話をしたかった。

今の僕には、あの頃には無かった問いがあって、それを石じいさんに伺ってみたかったという事や、改めて感謝を伝えたかったということ。その機会が永遠に無くなってしまったということへの心の行き場が今、こんな風に文字列となって可視化されている。

そしてこれからも、こんな風に突然の別れが順番に訪れる。そのことだけが確かなのだと、改めて思う。

石じいさん、
どうか、安らかに。

ありがとうございました。


2021年5月27日、富山県高岡市の石じいさんこと石浦昭雄さんが永眠されました。心よりお悔やみ申し上げます。

石じいさんは、富山県高岡市でIshi-G雑楽工房(音楽イベントや音楽教室、スタジオ)をされており、富山市や高岡市で笹倉慎介のライブを開催してくださいました。




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