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2019.7.13 誰にでもできることこそ

もう一度おさらいすると、僕は歌が下手だった。
そこそこ歌えるようにはなっているけれど、未だにこんなことをしているので、悪あがきだと思う人もいると思う。僕が一番そう思っているので、誰かもきっとそう思っているだろう。

10代の僕が思っていた歌手になる条件というのは、とにかく人より声量があって高い声が出る。なんだか分からないけれど、とにかくすごい人のことだ。

歌は体が楽器だから先天性にかなり左右されるものだと思うし、だからこそスペシャルなのだ。

高い声も出ない、カラオケでも声が裏返っていた僕が歌を目指し始めてしまった理由。それは、僕が歌える音域で歌っている歌手が存在して、その人たちの音楽が好きになったからだ。ジェイムス・テイラーはその筆頭だろう。

そして、色々な音楽を知るほどに、世界には日本の流行歌手のように高い声で歌い上げる人たちばかりでは無く、誰にでも歌える音域で歌う歌手も沢山いるということ、そして僕が心を動かされるのは、そんな誰にでも歌える音域で歌い、それでいて圧倒的にうまい人たちだった。

そんな歌を聴きながら、誰にでも歌える音域で歌うということは、圧倒的に良くなくてはいけないと思い始めた。歌は誰にでも歌えるけれど、誰もが歌手になれるわけではないというところが最大の難関で、そのことについてどうしたら良いのかなんて、誰も教えてくれない。ボイストレーナーは結局歌手になれなかった人がやっているという偏見があったので(今はそうとも言えないと思っている)あまり参考にならないし、それならばと、自分が大好きで世の中にも認められている人を研究して真似るしかないという思考になった。

現在はもう誰の真似もしていないし、そういう発想からは違う見地にいるが、参考にはしている。そう、参考にして、なによりも自分の体が持つ最高のパフォーマンスを探すということに明け暮れている。

また、原理として誰にでもできるってことは、そのプロセスを踏めば誰にでも可能性があるということだ。(誰にでもとはいっても、できない人もいるはずなので、大雑把に)

例えば、超特別な才能がなせる圧倒的なパフォーマンスはオーロラを見るように感動するだろうが、それは届かぬ別世界だ。物理的に不可能というのは存在するから。

ただ、僕のような、いわゆる普通は、普通のことを普通以上にすることでしか他との差別化はできない。それはつまり、できることの精度をあげる。その精度をしっかりと把握して積み上げていく。毎日、毎日だ。休息は必要だが怠けてはいけない。(たまに飲みすぎて翌日使い物にならないけれど)

そして続けていると、たまにご褒美のように訪れる幸福がある。超特別だと思っていた世界の秘密みたいなものが、少しずつ見えてきたりすることだ。例えばオーロラの美しさが実は太陽からやってくるプラズマから成っている、みたいなものに出会えたりするのだ。でもそれは、知っているからできるというものでもなく、知ったからこそ絶望する瞬間でもある。ただ、それを知っていれば、応用のようなことはできたりするのだ。

ジェイムス・テイラーに憧れたけれど、彼と同じには決して歌えないだろう。でも、彼の仕組みや謎を見つめて、自分に応用することはできるはず。

例えば、彼の音域は、男性であればかなり誰にでも歌える。ただ低めの音域というのは音程が見えにくいのが欠点。ただJTの場合、その音域の音程の見え方がずば抜けている。音の見え方が全然違うのだ。そして音程の見え方の違いがわかっていれば、自分の声とその声の違いについて、様々な考察とトライを始められる。そうやって考えを実行に移す。

誰にでもできること、つまり自分にもできることを最高まで高めたら、それは誰にもできないものになってくれるはずだと、僕はそう考えている。

それは歌に限らず、大切なプロセスだろう。

そして歌は、他の楽器と違って自分という歴史分しか育たない。だからこそ育てがいがある。

自分という声は楽器屋では買えないし、自分で育てるしかない。

そして表現は、その先にある。


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