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2019.7.11 いちばん喜んでもらえたのが「歌」だった

僕は小さい頃からスポーツをすることが好きで、小学生の時は野球選手、高校まではプロテニスプレイヤーになりたかった。

テニスでは全国大会に出たり、そこそこいいところまで行ったが諦めてしまった。ある時期から、何をどうしたらいいのか分からなくなった。ガムシャラでは越えられない壁のところで、それを超える術を知らなかったし、諦めていくことが大人になることだという世間の風潮は都合の良い言い訳になった。あと、試合に勝つ時、負ける人を見るのがあまり好きではなかった。

ある試合で、その時僕は圧倒的に勝っていた。あと2ゲームで勝利だった。県大会で後輩と対戦することになったのだが、彼は県外から来ている特待生。ご両親と兄弟もはるばる応援に来ていた。試合中にイライラを募らせる彼を見ていると、彼の家族のことがとても気になった。僕の家族は来ていなかったけど、自分の家族にそんな姿を見られたく無いだろうなと思った。僕は一度、なんとなくわざと気の抜けたプレイをしてポイントを相手に与えてしまった。相手の家族が喜んでいるのを見て、なんだか少しホッとした。バカみたいな話だが、複雑な安堵だったと思う。そこから僕は一ゲームも取れずに負けた。悔しかった。なんであそこから負けてしまったんだろうと後悔した。それからの僕は伸びなかったし、テニスをそれ以上好きにはならなかった。

ここで思うのは、誰かが喜ぶ実感が有るのか、無いのか。ということ。人は自分の為にやっている事でも、誰かに喜ばれたい、認められたいと思うのだ。そして、その実感がある者と無い者ではまるで違う。テニスをやっていて、僕に無かったのはそういう実感だろう。

テニスを辞めてなんとなく弾きはじめたギターで、なんとなく書いていた自分の詩を歌ってみた。下宿の友人も、母も、道ゆく酔っ払いも、喜んでくれた。調子に乗ってシンガーソングライターになろうと思った。大学進学は決まっていたけれど、もう音楽をやっていこうと決めていた。それからの友人もバイト先の仲間も喜んでくれていた、、筈。だからそれに安心して歩みを進めることができた。だた、決して喜ばせるために僕は歌を歌い始めた訳ではない。そこで大きな心の溝が生まれた。ライブは楽しませるものだという当たり前の風潮にもずっと馴染めなかったし、今もそうだ。
CDを出して歌い始めると、テニスをしていた時みたいな無意味さにも出会う。盛り上がることが正しさのようなムードに僕の表現は勝手に傷つき続けた。それでもその時々で、僕の歌を必要としてくれる人がいたことで、今も僕は保たれている。

テニスの時に越えられなかった壁を越えようと思う原動力はそこなんだろうな。

僕が信じているのは、本当は僕では無く、僕に言葉をかけてくれたこれまでの人たちだ。僕は僕を信じているのだけれど、誰も認めてくれないものを信じる強さは僕には無い。僕が信じて作り上げるものを、きっと誰かが信じてくれるんだろうなって思うから続けられている。

ただ、僕はエンターテイメントをしているという意識よりも芸術作品を作っているという意識の方が強いから、喜んでもらうという意識の棲み分けをしていないと表現が崩壊してしまう。喜ばせよう、楽しませようという思いは原動力ではあるが、必ずしも創作の目的では無いのだ。

あの頃を振り返ると、何をどうやっても歯が立たない化け物みたいな選手を前に、何もできなかったし、なんとかしようっていう思考も湧かなかった。毎日の練習が、まるで大嫌いな文系の暗記科目のようにその意味を見出せなかった。考える力が圧倒的に欠如していたし、論理的な思考という思考すら無かった。あの頃の僕に考える力を、方法を教えてあげたい。教育っていうのは、その考え方を誘導することだと思う。今、身をもって実感している。

歌は失敗の連続だ。伴奏の旋律との調和を完璧にこなすことは、ほとんど不可能だろう。でも、なんだかそれは僕たちの生きている姿そのものだ。ずれていても愛しいし、好きだ。同じ地球という旋律に乗って、なんとか上手くやろうって頑張っている。足並みなど完璧に揃うはずない、それはもう分かりきっていること。それでも、なんとか今より良くしてやろうっていう想いだけが、世界を少しずつ良くできるのだと思う。

とりあえずこの20年、たくさんのことをやって来たけれど、歌が一番喜ばれた。
もしかしたらこの先、もっと違う道が待っているのかもしれないけれど、なんにせよ喜ばれる事が源なのだなと思う。

来週からEテレ2355で新しい歌が流れる。佐藤雅彦さんの作るものは、普遍的で真理だ。

つい先日、「笹倉さんに頼んで本当によかった。」そんなメールが届いて、心底嬉しかった。続く言葉にも、熱いものがこみ上げてきた。

レコーディングをしたのは去年の9月だったけれど、佐藤さんのその言葉を信じているから、僕は僕を信じていられる。

そういう言葉が僕の中にたくさんあって、歌い続けている。

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