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FF14 Origin Episode -The Ghost in the Machine- Cp3


Chapter 3


1.

 耳に届くのはさざなみの音。
 遠くではない。とても近く。
 低地ラノシア沿岸部。東ラノシアとの境に位置する浜近くの洞穴で僕らは休んでいた。
 目を開くと入り口から光が差し込んでいる。閉じた瞼の下で感じていたことだったけれど、夜が明けていた。
 ナナシは――眠っているように見えた。夜中のうちにここに到着して休むことにしたのだけれど、僕が「眠れ」と言うと彼女はすぐに目を瞑った。寝息が演技でなければ僕の命令通り就寝したのだろう。
 僕はというと――見張りも兼ねて半分睡眠、半分起床といったところだろうか。安心して眠れない場所で休息を取ることには慣れている。完全に眠った場合に比べて疲労回復の度合いは劣るけれども、周囲に気を張りながら眠るのは僕にとって難しいことではなかった。
 おかげでたっぷり四時間は休息できた。
「さて、どうしたものかね」
 とりあえず立ち上がって深呼吸。吸い込んだ空気には、まだ夜気の湿った気配が残っていた。
 このまま北上してあの漁師小屋に向かえばいいのだろうか。また舟を借りてバイルブランド島をぐるりと回り……海都に潜り込めば『陸戦隊』を撒けるとは思うが。
 しかし僕らの野営地を正確に見つけたくらいだ。きっと僕が舟を借りた場所くらい調べが付いていることだろう。
 ――あるいは元より尾行されていたか。その線もあり得る。
「元軍人で構成された傭兵派遣集団ね……」
 正直なところ厄介極まりない。
 野盗や山賊程度の集団ならばやりようがある。大抵の場合統率が取れておらず、突ける隙は膨大だ。その場の工夫でなんとかなる。
 だが高度に訓練された連中は別だ。性質上、集団対集団に長けているし、集団で個を追い込む術も従軍時代に身に着けているはずだ。
 これまで何とかなっているのは、僕が彼らとまともに交戦していないからだ。最初の三人は僕のことをそこらの冒険者と思い、交渉で済むと油断していたから殺せただけ。
 そもそも無事に殺害できていない。援軍を呼び込ませてしまった時点である意味敗北と言っても過言ではなかった。
 少しでも状況を有利にしたいが、使える手札が少ない。持っている情報も――昨夜の『死体男』からもたらされた、わずかなものだけだった。
 懐を探る。目的の革袋を見つけて紐を解くと、中身は丁寧に紙に巻かれた葉巻が一本。
 一本だけだ。
「ち……」
 僕の趣味は煙管だ。ただ煙管はどうしても持ち運びに適さない。だから葉巻や紙巻で代用しているのだけれど――補充を忘れていたようだ。
 最後の一本を使うわけにはいかない。これはただの葉巻ではないからだ。
 紫煙を愉しむのは諦めて、革袋をしまった。僕は道連れを起こすことにした。
 取れる手は多くない。
「ナナシ、起きろ」
「……起きる」
 この言葉に関する反応は、やや遅れがあった。様子から推察するに、やはり本当に眠っていたのだろうか。
 他人の意識、内面のことなんかわからないな。僕はナナシを前にして改めてそう感じた。
「きみに戦い方を教える」
「戦い方」
 ナナシは何の感情も載せずに復唱するだけだった。
「きみがどれだけ現状を理解しているのかわからない。けれど事実として僕らは追われている。僕はできる限り手を尽くしてきみを守るけれど、必ず完璧に守れるかは正直自信がない。だからきみには、敵と戦う術を身に着けてもらう」
「敵……」
「敵がわからない?」
「わからない」
 そうか。
 そうだな。
 敵って一体何なんだろうな。どこからが敵で、どこからが味方なのか。考えてみれば哲学的だ。
 いくらか考えてみたが、傀儡人形のごときナナシに上手く定義させることができない。
「何をもって『敵』とするかは次の講義にでも。とりあえず僕ときみに危害を加えようとする連中を敵としておこう。あるいは僕が『敵』と呼んだものが敵だ」
「わかった」
 どこまで理解しているのかはわからない。けれど彼女が頷いたので先に進むことにした。
 僕は地面に置いたままの背嚢から、鞘に包まれた一本の短剣を取り出した。柄の方をナナシに差し出すと、彼女は静かにそれを受け取った。
「まずは便利な短剣の扱い方から教えよう。さあ、外に」
 彼女を外に連れ出す。
 革鞘の扱い方を教えて、自分も腰から短剣を抜く。
 姿勢を真似するように言うと、彼女は完璧に模倣して見せた。
 上手くやれそうだ。僕は彼女の髪を手に取ると、後ろで束ねて紐でまとめた。白の長髪は絹のような滑らかさがあった。
 うむ、こうすれば訓練の邪魔になるまい。
 ……一時間ほど経っただろうか。
 ナナシは見事に短剣の扱い方を身に着けていた。
 彼女は僕の言う通りのことを、即座に実行してみせた。
 まだまだ経験が足りず、技術を裏打ちするための知識も少ない。しかし初心者とは思えない速度で学習している。
 僕は他人に自分の技術を教えた経験は少ないけれども、彼女は過去最速と言っても過言ではない。
 己の持てる技術は弓に限らず色々あるけれど……これは教え甲斐がありそうだ。
 この日はナナシへの訓練に終始する一日となった。
 ここはごく小さな入江であるものの、浅瀬となっている範囲が長いためか、船が近づく気配がなかった。背後もまずまず急な崖であるため、人気がない。昼前に簡易的な接近監視装置を設置したけれど、いずれも日が暮れるまで反応がなかった。
 忍ぶことに関してはとても良い場所だが――いつまで保つか。
 我々がバイルブランド島から去ったと考えてくれればしめたものだが、そう上手くはいくまい。昨日の様子からすぐに動くのは悪手だろうが、いつまで隠れていられるか。残りの食料と水の問題もある。
 ナナシの訓練を続けつつ、僕は頭を抱えていた。
「矢を放つときは息を止めろ」
 彼女はその通りに実行した。
 本当は「自然にできるまで繰り返し練習」と続くのだけれど、言う必要がないほど正確に実行し続けてみせる。こいつ本当に人間か? どんな天才でも多少ミスするぞ?

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 その様子を見ていて、僕は嬉しさよりも気味の悪さが先に立った。
 人間の形をしているけれど、その実なんらかの傀儡人形なのではないかと――そう疑っていた。
 日が暮れる頃にはある程度の動きができるようになっていた。実戦形式で訓練を付けてみたが、彼女は短剣、格闘、弓術を披露して見せた。
 もちろんまだまだ僕には及ばないけれども、初心者としては十分以上だろう。自分の身を完璧に守れるほどではないにせよ、相手の力に無抵抗ではないはずだ。
「基礎は教えた。あとは経験を積んであらゆる状況に慣れていくのが主になっていくだろう」
「…………」
 ナナシは手元の弓を見つめていた。僕の長弓を貸し与えていたけれど、弓術を究めるなら短弓術も教えなければならないだろう。
 そのための武器をどこかで購入しなければならないな。彼女の身長に合わせて木工師に依頼を出して――。
 って、なぜ弟子を取ったような思考になっているのだ。今は応急措置的に――護身術的に戦い方を教えているだけだ。今後のことなんか誰にもわからない。
 しかし弟子か。エオルゼアでの弟子……考えたこともなかったな。僕には他の目的があるから、そんなものを取っている余裕はないけれど。
 浜に座って休憩するように命じると、彼女は弓をそばに置いた。僕も隣に座る。人間一人分の距離があった。
 周りはすっかり夜になっていた。今日の夜空は晴れていて、澄んだ空気に星々が瞬いている。
 何度も見た西州の夜空。とても似ているが、故郷の湿り気を帯びた空とはどこか違う。
 子供の頃には星座を結んだこともあったっけ。さすがにもう忘れてしまった。そういえばアウラ・ゼラは平原出身の民族だったか。牧羊の民ならば星座も知っているだろうか。
「ナナシ、きみの故郷では星はどんな風に輝いていた?」
 アウラ族は静かに黙っていた。
 横目で見やると、赤い瞳に様々な色の輝きが映っていた。夜空の星を見ながら考えているらしい。
「――わからない」
「わからない? どうして?」
「見たことがない」

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 見たことがない? 僕は彼女の言葉を心中で復唱した。
 そんな人間が存在できるだろうか。
「きみはどんなところで生活していたんだ?」
「石の中」
 石の中? 奇妙な答えが返ってきたぞ。
 よもや地下生活というわけではあるまい。確かにアウラ・ゼラには多種多様な部族が存在する。中には洞穴で一生を過ごす人間がいても不思議ではないだろうが――聞いたことはない。
 あるいは知られていないだけだろうか。部族が多様すぎて学者ですら正確に把握できていないと聞く。であるならば、地下生活を営む部族がいても不思議ではないし、その秘匿性は高いだろう。
 だとしても腑に落ちない。彼女の奇妙な性質が単なる地下生活程度で育まれるとは思えないからだ。もしそうだとしたら、ティノルカの地下に暮らしていたゲルモラのシェーダーたちはすべてナナシのような人間でなければいけない。
「石の中って、どんな? たとえば形とか」
「四角形」
「それは広い? 狭い?」
「広くはない。でも狭くもない」
 ナナシは相変わらず空を眺めている。海から流れ込む風が括った長髪を揺らす。
 四角形の……部屋だろうか。
 『夜空を見たことがない』。
 ふむぅ、なんというか。
 それは牢獄ではないか?
 僕はそう考え始めていた。
 少なくともまともな人間の居住空間ではないだろう。
 こいつが儀式に使う生贄か何かのように思えてきたぞ。
「親という概念はわかる? 父親とか母親は一緒にいた?」
「わかる。いない。知らない」
「知らないってどういうことだ」
「見たことがない」
「ますますわからなくなってきたな。まるで檻に捕らえられた鳥みたいだ」
 いくつか訊きたいことはあったけれど、無駄かもしれない。
 もしも彼女が虜囚や生贄、あるいは『鳥』だったとして。囚われている鳥に何を訊いても客観的な状況はわからないだろう。
 僕は手を後頭部に当てて浜に寝転んだ。星々の輝きが右目いっぱいに映り込んだ。
「あのさ、ナナシ」
「…………」
「敵を片付けて追われることがなくなったらの話なんだけど。きみは……どうしたい?」
「……どうすればいい?」
 訊ねられても困る。
 なぜならそれは。
「それはきみが決めることだ」
「わからない」
 ナナシはほとんど即答したけれど、今度は僕が無言を貫く番だった。
 何がしたいか。
 難しい話だよな、本当に。
 自分が何をしたいかなんて本当は誰もわかっていないんだ。
 流されるままに生きる人間なんてごまんといる。選択の余地がない人間だってたくさんいるし、思考を放棄した人間だって大勢いる。
 けれど結局、最終的には、自分が決めることなんだ。
 だから僕は与えない。
 ナナシが何者か判然としなくても。
 たとえ傀儡人形のようであっても。
 僕は彼女を定義しない。
 生き方は自分で選び取らなきゃいけないんだ。
 流されるままに生きるにしても、自分で運命を切り開くとしても。
「ま、いずれわかるだろうさ……」
 もしかしたら彼女に自我のようなものが芽生えるかもしれない。
 少なくとも隣で空を眺めているこの女は、個性というものが存在しない。精神が漂白されているとしか思えないほど、自我がない。
 命令通りに動く機械仕掛け人形そのもので、人間のようには思えなかった。
 それでも、僕は彼女を人間扱いするべきだろう。そうすることで芽生える何かがあるかもしれない。
「とりあえずは食事だ。保存食だけど、ちょっと炙ればそこそこ美味い。水が確保できてたら珈琲も煎れたいところだけど……」
 空模様から雨には期待できないみたいだ。他に水を確保する手段はなくもないが、潤沢に用意できるというものでもない。
「あ、珈琲ってわかる?」
「わからない」
「飲み物だ。苦いけど、そこがいい」
 東方から出てきて初めて飲んだときは、正直泥水かと思った。しかし慣れてみると存外悪くないものだ。
「飲み物」
 背嚢から容器を取り出してナナシに渡した。彼女はそつなく食べて見せた。食の好みもないのだろうか。
 なんでも食えるのはいいことだ。冒険者は切羽詰ったとき、この世の終わりみたいな食事に至ることもある――って別にナナシは冒険者ではないし、冒険者にしようとも思っていない。
 訓練を付けたことで変に意識してしまったようだ。これは反省。
 僕も両手を合わせて食事にありつく。儀礼的なそれをナナシは見ていたらしく、僕の真似をして手を合わせる姿が見られた。
 東方の礼儀なのだけれども、真似されるのはちょっと妙な感じで、どこかむず痒かった。

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 ――それから二日のうちは何も起こらなかった。
 僕は変わらずナナシに稽古を付けていた。
 彼女の吸収力と模倣力も変わることがなく、乾いた布が水を吸い取るように新しい技術を身に着けていった。
 身のこなし、体重移動、登攀技術、徒手空拳での戦い方、各種武器の技術。
 彼女は僕を模倣して実行し続けた。何も言わずに。
 ナナシには教えてほしいとも言われていない。とはいえ拒否もされていない。ただ淡々と僕の持っている技術を模倣していく姿は、奇妙としか言いようがなかった。
 しかし僕も彼女との関係に慣れつつあった。ちょっと妙なものでも一緒に過ごしてみれば気にならなくなるものだ。
 彼女の出自については相変わらずわからないままだった。あれから何度か訊き出してみたものの、大した成果は得られなかった。これはナナシの意思伝達能力の低さもあるけれど、根本的には彼女が持っている情報が少なすぎることに原因がありそうだった。
 いずれにせよナナシから訊き出せることはもうほとんどない。調査をするなら他の人物に当たらなければならないだろう。
 つまり、ナナシの訓練以上にここでやることはない。
 加えて食糧と水の残りが少なくなってきた。さすがに二人で分け合っているので減っていく速度も二倍だ。
「というわけで、僕らはこの洞穴を出て北上する。小舟を手に入れて、海都リムサ・ロミンサに向かおうと思ってる」
「わかった」
 陸路は難しいという判断をした。
 陸は敵の数で圧倒されやすい。多少危険でも小舟を手に入れて海を移動した方が危険が少ないだろう。
 もし連中――『最後の陸戦隊』が諦めていなければ、だが。
 可能性としてはあり得る。僕らを見失って撤退しているかもしれない。
 けれども。
 基本的に希望は使い捨て推奨だ。
 希望を抱いて心の糧にした後はゴミ箱へ捨てること。楽観視は冒険者も暗殺者もしてはならぬ。
 ゆえに僕らは深夜のうちに洞穴を出た。
 単純な話、昼よりも夜の方が見つかりづらいからだ。海は穏やかだけれど、さざなみが足音を消してくれた。
 崖に沿って柔らかな地面を踏み歩く。砂浜を歩き続けるのは骨だ……。
 距離を稼ぐにつれて、左手方向の崖の高さがどんどん低くなってくる。
 最後には浜とつながった。
 こうなると僕らの姿は丸見えだ。
 東ラノシアの手前で目的の漁師小屋に辿り着いた。
 結局小舟を手に入れられる確実な場所はここだった。漁のために立てられたごく小さな建物。壁や屋根の一部は潮風による腐食で塗装が剥げ落ちたり、崩れたりしている。
 しかし人間一人が漁の季節を過ごす程度なら十分だろう。
 僕はさっと近づき、扉を拳で叩いた。
「もし」
 反応はない。
 月もだいぶ傾き、早朝に近いとはいえまだ夜だ。漁師の朝は早いはずだが、きっと深く眠っているのだろう。
 僕は再度扉を叩いた。今度はもっと力強く。
 これなら起きるだろう。いや申し訳ない、また小舟を借りようと思ってね。深夜だから割増の料金でも構わない。
 そのような文句を考えていたのだけれど、今度も全く反応がない。
 おっと。
 これは嫌な予感がしてきたぞ。
 小屋の取っ手を手にとって僕は考えた。
 取っ手に力を加えると、それは抵抗もなくくるりと回った。ということは扉は引くだけで開く。
「……ナナシ、係留されてる舟の様子を見て、僕に報告してくれ」
「わかった」
 僕は中に踏み入った。灯りの類はない。傾いた月光が差し込む僅かな光だけで、小屋の中を検分する。
 上半身と下半身。大別するとそんな感じ。
 老いた漁師は死んでいた。日に焼けたミッドランダーの老爺は胴体から概ね二つの物体と化していた。細々した血液や肉片も転がっているから、単純に二個と数えるのはいささか正確ではないけれど。
「一人と数えるべきか二人と数えるべきか」
 阿呆みたいな冗談はさておき、中の暗闇に何か潜んでいないか警戒しながら入る。死体を確認すると、なにか大きな刃物で斬られたような様子であった。
 この繊細さからは程遠い切り口は大斧であろうということがわかる。
 力任せに振り回したらしく、内壁も傷ついている。
 一閃で漁師は葬られたようだ。
 死体を検めているとナナシが戻ってきた。
「舟、なかった」
「そんな気がしてたよ。縄が切られてただろ?」
「切られていた」
 ということは波に攫われてどこかへ行ってしまっただろう。少なくとも僕らの手が届かない場所へ。
 ナナシを中に招き入れ、僕は扉を閉める。灯りが窓から差し込む月光だけとなり、先程よりも濃い闇が視界を覆った。
 腐敗臭は僅かだ。彼の死から一日も経過していないだろう。
 状況が整理できたので思考する。
 そして結論が出た。
「ああ、これ、ミスったのか」
 北上したのは失敗だった。かと言って南進していたら正解だったかというと自信がない。陸路を行っても恐らく失敗だったに違いない。結局希望は使い捨てで正解だったようだ。
 少なくとも僕らは、彼らが仕掛けた無数の罠の一つに嵌まっている。
 僕がこの漁師から舟を借りたのは調査済み。再び小舟を借りに戻ることまで読んでいたのだろう。老爺が殺されているのは僕へのメッセージだ。「お前もこうなる」あるいは「おとなしくしろ」。
 このままここで待機していれば包囲される。もしかしたらそれも既に済んでいるかもしれない。
 とすればやることはただひとつ。
「ナナシ、ここで待機。武器を持って入ってくる人間がいたら攻撃していい」
「わかった」
 僕は背嚢を床に下ろした。急いで弓を左手に取り、矢筒を背負う。猶予はあまりない。
 扉の取っ手を回し、僅かに開く。一旦離れて部屋の一番奥まで後退。
 ――ふう、と息を吐き出し、再び大きく吸い込む。
 肺に空気が満ちたと同時に僕は床を蹴った。
 肩で扉にぶつかり、その勢いのまま外に飛び出る。
 ガォン、という破裂音と同時に何かが飛来。
 それは僕の背中を掠めて通過。
 僕は地面を強く蹴って宙へ躍り出る。
 銃撃音から敵の位置を判断、概ね左方向。
 目視、確認。
 敵一名。
 灰外套。
 長銃を構えている。
 矢をつがえて放つ。
 風切り音を立てながら左手の丘まで飛んでいく。胸に突き刺さるのを確認して目を離す。僕は地面を転がった。止まらぬまま浜を走る。

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 五十歩ほど離れたところから灰色外套の人間が走ってくるのが見えた。数は十人ほど。種族と性別は様々だ。手に剣や斧を抱えている。
 先程とは別の場所から、更に数発の銃弾が飛来。
 『陸戦隊』が距離を詰める前に飛び出して正解だった。狙撃手たちの精度は良くない。僕が走り続けていることもあって命中は至難となっているようだ。
 それでも近接武器を構えた奴らが到達する前に片付けなければならない。
 ぎぎぎ、と弦が音を立てた。
 ――銃は便利な武器だ。弓術を修めるよりは修得難度が低く、容易に遠隔武器を手に入れられる。火薬を用いた加速による殺傷力も見事なものだ。
「だけど音と硝煙、なにより発射炎は隠せない」
 特に夜は致命的だ。
 走りながら、三本の矢を立て続けに放った。
 ここまで場所のヒントをもらっていれば、外す方が難しい。

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 続く狙撃の音はない。一旦片付いたと判断していいだろう。
 それより近接武器を持った連中がもう二十歩の距離まで近づいている。
 様々な喉から発される怒号を聴きながら、僕は再び矢を放つ。
 三連射。
 うち一本は斧に弾かれるが、二本は命中。喉に一本、また別の人物の肩に一本。減らせたのは一人か。
「死ねよやァッ!」
 手斧を持った肌の黒い男が最初だった。
 力強く振り下ろされるそれを、僕は側面への移動で回避。
 回避を読んで追撃しようとしていた女の顔面に矢が突き刺さる。
「残り九」
 倒すことで周囲の妨害もついでに狙っていたのだけれど、他の人間は巻き込まれないように立ち回っているようだ。
 正確な狙いを定めず一射するが、幅広の直剣を持った前衛に阻まれる。群れはそのまま距離を詰める。
 左右から手斧とカトラスによる同時攻撃が来る。
 まだ包囲されていない後方へと飛び退き回避。そこへ誰ぞの短剣が投擲された。僕は矢を放って叩き落とす。曲芸だぞ、ギルを恵んでくれ。
 隙を狙って短槍が突き出される。弓で側面を叩き、死の一撃を逸らす。
 手慣れた連携攻撃に、反撃する暇がない。
「うおおおおああぁぁっ!」
 直剣を持った男が足元を掬わんと横薙ぎの払いを繰り出した。ややタイミングをずらした手斧とカトラスも殺到する。
 僕は宙へ飛んで直剣を回避。手斧とカトラスも同様に回避できたが、短槍が繰り出されるのが予想できる。空中にいるままでは回避行動が取れぬ。彼らは王手だと思っているだろう。
 実際には違うけれど。
 僕の足は直剣を振った男の首に巻き付いている。ローエンガルデの黒い顔が驚きの色に染まっている。
 そのまま彼の首を軸に体重を移動させる。九十度回り、動き続ける視界の中で僕は弓を射る。手斧とカトラス、短槍の持ち主へ連続して三射。
「残り六」
 狩人たちは矢を受けその場に倒れた。それぞれ頭、喉、胸に命中している。
 己の頭を遠心力の重りにして、ローエンガルデの首を反時計回りに移動。軸となっている首は足で強く固定。
 当然彼は急な移動に姿勢を崩す。浜に向かって倒れて行くけれど、僕は絶対に足を外さない。
 六時の位置から零時の位置へ。時間逆行の途中、足にこきりという軽快な音と振動が伝わった。
「残り五」
 死体を緩衝材にして浜に着地。周辺の夜闇が薄くなっている。夜が明けつつあった。
 短剣が飛来するが二度目は曲芸で叩き落とす必要がない。投擲主は頭を狙う傾向があるとわかっているので、顔を逸らすだけで回避可能。防衛行動に使わなくて良くなった分を攻撃に充てる。胸部を狙って射撃。しかし幅広の剣を持ったハイランダーの女に防御される。
 だけどそれでいい。僕は懐から投擲用の短剣を放つ。女の足に命中し、彼女は姿勢を崩した。
「くたばれっ!」
「死ねーっ!」
 投擲体勢の僕を狙って直剣が二つ繰り出される。しかし僕はその場にいない。前転して回避および移動を行っている。
 幅広の剣を持った女まで三歩の距離まで詰め、弓を構える。
「く……!?」
 射撃する。
 体勢を戻せていない彼女は防御するしかない。僕の『殺意の視線』を読んだ正確な防御だ。
 射撃する。
 先程とは違い、あえて狙いを外した攻撃にも彼女は対応して見せる。成程、見事だ。きっとこれまで何度も前衛を張ってきたのだろう。
 射撃する。
 再び狙いを外した攻撃に彼女は汗を流す。一瞬の攻防に命を削りながら対応している。何度も死線を潜り抜けてきた顔だ。きっと細い穴に糸を通すようなことを何度も何度もやってきたことだろう。今回の防御もそれだ。
 であるのならば。
 僕は射撃する。
 射撃する。
 射撃する。射撃する。射撃する。射撃する。射撃する。射撃する。射撃する。射撃する。射撃する。射撃する。
 射撃する!
 最後の一撃は女の逞しい喉を捉えていた。
 何度も細い穴に糸を通し続けられる者がいるはずもなし。
「残り四」
 女が崩れて幅広剣から手が離れた。
「てめえ!」
 高速射撃にようやく追いついた彼らが同時に攻撃を仕掛けてくる。全員が手にした武器を大きく振り上げていた。正確な同時攻撃。これには回避も防御も難しい。
 右目が観察した限り、距離は全て三歩以上ある。
 到達猶予は二秒以上。
 余裕だ。
 僕は弓から手を離し、ハイランダーの落とした剣――大きく長いそれを手に取った。
「――はァっ!」
 女が取り落とした勢いそのままに回転。
 一閃。
 大きく凶暴な剣は、彼ら四人の頭、喉、胸、あるいは得物を持った腕を全て切り裂いた。
「なんっ……!?」
「残り、零」
 血液を吹き出しながら死体が倒れる。
 白いキャンバスの浜は、彼らの赤絵具で染まっていた。
 弓を拾う。
 海の向こうから陽が登っていた。なんとか夜明けまでには済んだらしい。
 しかし厄介極まりない。包囲が完了する前に飛び出し、狙撃手を先に無力化して、大立ち回りを演じたから助かっただけだ。彼らの連携は高度で、一朝一夕のものではない。同時に十人を相手にするなど二度とやりたくない。
 その場に座って休憩を取ろうと思っていたところで――気配。
 丘の方から歩いてくる人間がいる。
 浜を踏みしめて近づいてくる影は巨大。
 白い肌、短く刈り込まれた髪。顔には長く伸びた髭と、無数の傷痕。服の上からでもわかる圧倒的な筋肉量。
 そのゼーヴォルフは灰色の外套を身に纏っていた。左胸には狼の記章が陽光を受けて輝いている。
「親玉登場ってかい」
「いかにも」
 白い髭にまみれた口から低い声が漏れ出た。
 背中には舟の錨に似た斧を背負っていた。彼はそれを右手に掴んだ。
「同時に攻撃してくりゃ僕なんか仕留められただろうに」
 彼の放つ雰囲気は他と違っていた。十人の兵士たちとは力量の差を感じる。
 断言するが、こいつ一人で先程の十人以上の実力がある。
 放たれる気に左目が痛む。
 そうか、やはりそういう相手なのか。
「俺も最初はそう思ってたんだがな。だけど俺はきっと莫迦なんだろうさ」
 にぃ、と彼が笑う。
 それは肉食獣の笑みだ。
 戦いが好きで好きでたまらない。そんな人間が浮かべることのできる、原始的な歓び。
「部下どもが戦ってるのを見て――あんたと死合ってみたくなっちまった」
 彼は笑みを浮かべて。
 しかし静かに涙を流していた。
 ――彼は本気で部下の死を悼んでいる。自分が加勢していれば死ななかったかもしれない部下たちのことを想っている。ジョン・ドゥの言葉通り、苦楽を共にした大切な部下だったのだろう。
 狂ってるよ、全く。
 けれど僕は彼を笑う気にはなれなかった。
 ゼーヴォルフは大きく息を吸い込んだ。
 赤い浜を陽光が照らし出す。
 僕は弓を構える。
「我は『最後の陸戦隊』の『牙』! 四番隊長! ルートドゥーン・ルートスティムシン! 推して参る!」
 大きな波が浜に押し寄せた。

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2.

 轟、と雄叫びが響き渡る。
 大男の腹から轟いた大音声に気圧されそうになる。
 斧術士の踏み込みは素早かった。
 僕が数本矢を放ったところで、彼は怯みもしない。決して僕から目を離さない。だというのに、自分に危険が及ぶ矢だけを正確に巨斧の柄で弾き落としていた。
 弾丸のようにさえ思える巨体が接近。突進の勢いのままに横薙ぎ。
 矢を弾いた動作によって、理想より高度がある。であるのなら、僕は限界まで体勢を低くすることで回避。
 したところで。
「ぬゥんっ!」
 ルートドゥーンの両腕が隆起。
 頭上を掠める巨斧が急激に軌道を変えた。
 縦振り。
 想定外の事態だ。
 幸運なことに僕の体は半ば本能的に回避行動を行った。
 かなり無理をして体を動かす。地面を蹴って、転がった。隙が多い行動だけれど、仕方がない。目の前の致命的な攻撃を避けなければ人生が終了してしまう。
 右足の一部に刃が掠めて出血。大した傷ではない、回避成功だ。斧が浜に激突し、砂埃が上がった。
 しかし地面を蹴ったはいいのだけれど、ここは砂浜。普段ほどの距離が稼げずゼーヴォルフとの距離はいまだ近い。
 錨のように見える斧も、浜であるがゆえにすんなりと引き抜かれる。僕の牽制射撃も一回が限度だった。
 それはルートドゥーンの肩口を掠める程度に終わった。斧を回収しながらも彼は体を捻って回避したからだ。
「仕留めたと思ったんだがな」
 彼はまたも獣の笑みを浮かべている。
「僕も正直死ぬかと思ったよ。どんな技だい」
 横薙ぎには全力の力を使っていたはずだ。途中で軌道を変えるなど、常人にできようはずもない。
「技? そんなもん存在せん。俺ぁ器用じゃねえからよ」
 つまり途中までは本気で横薙ぎをもって僕を屠る気だった。僕が回避行動を取ったから、そこから本気で軌道を変化させた。奇襲や奇策ではない、どこまでも一本気。真正直で裏がない。
 うーん、武人として――また斧術士としてのスタンスはわかってきた。
 だけれども。
「筋肉の塊かよ……」
 こういう感想にもなろう。
 とにかく接近されるのは危険だ。僕がこれまで相対したことのないタイプの斧術士で、正直であるがゆえに何をしてくるのか全くわからない。
 想像ができない相手が一番危険だ。
 隙を見せぬよう警戒しつつ、じりじりと後退しながら、僕は更に数発射撃する。
 辺りには死体が転がっているため、気が抜けない。危険なのは死体だけではなく、彼らの持っていた武器も同様だ。それらは死体が握り締めていたり、あるいは地面に突き刺さっている。
 見えていなくても足元の障害物を認識する必要がある。集中力の必要な弓術士にとって不利な状況だ。
 まあこの状況を作り出したのは他でもない僕なんだけど。
 ルートドゥーンが動く。相変わらず僕の射撃を正確に防御してくる。こりゃ正攻法では仕留められんな。
「だから嫌なんだよ、近接職って」
 どいつもこいつも死線で命を賭けて殴り合い。極度集中の戦闘に魅入られた、ベテラン気違いども。遠隔攻撃など届きもしない。『届いた連中はここまで生き残っていない』から。
 全く、やんなるね。
 心中で溜息を吐いた瞬間、ルートドゥーンは地面を蹴った。
 砂浜であることを忘れてしまうかのような力強い蹴り。
 砂浜であるがゆえ大きな砂埃が巻き上がる力強い蹴り。
 彼の青い瞳が僅かに揺らいだ。
 僕は彼が担いだ斧から攻撃軌道を予測する。
 ……向かって左斜め上から、そのまま右下。
 しかし先程のこともあり、油断は禁物。
 ルートドゥーンが僕を間合いに捉えた。
「ムンッ!」
 斧が振り下ろされる。瞬間、僕は彼の左側面に突撃。
 ろくに視認できぬ背後よりも、現在目に見えている前方が安全だと判断。加えて斧を繰り出す瞬間、僅かな隙の方が回避しやすい。
 判断基準は他にもある。彼の青い瞳だ。侵攻の最中、本当に僅かにだけれど瞳が僕から動いた。
 正確には捉えられなかったが彼の眼球に灰色の影が見えた。おそらく死体が転がっていると判じた。
 ゆえに前方への回避行動。
 錨が僕の頭を掠める。傷はない。突撃で乱れた毛髪が刈られ、数本舞うのみ。
 すれ違う刹那に一射。脇腹に命中するが、正しい構えではないため威力半減。大したダメージにはならないだろう。
 そのまま彼の背後へ抜けて射撃。
 これは振り切った斧の回転によって叩き落される。
 僕は回避の勢いのまま地を跳んで距離を取った。
「はっはぁ……!」
 彼は灰外套から矢を引き抜く。太い手で握ったそれには少々の血液が付着している。
 簡単に引き抜けたということは矢尻の返しが機能するほど深くなかったということだ。予想通りではあるものの、落胆はする。
 ――互いに大した負傷ではない。髭に埋もれた口が半月型に歪んだ。彼は殺し合いを心から楽しんでいるように見えた。
 僕は新たな矢をつがえる。
 彼は再び斧を握った。
 命の取り合いにおける一瞬の静寂。砂浜に届く波は穏やかで、心地よい程度の音だけが耳に残る。
 僕にはぎりぎりと弦の軋む音が聞こえる。
 彼には何が聞こえているのだろうか。
 両者が再び地を蹴ろうと力を込めた。
 その瞬間。
 ひるるるるる……。
 静寂を切り裂いて甲高い音が響き渡った。
 それはどこか遠い音だった――しかし警戒するべきものだと僕は知っている。
 様子を探ろうと目が動く。
 海側、崖の向こうに細い白煙が天に登っている。
「臼砲っ!?」
 解答の正否は爆発によってもたらされた。
 ほど近い浜が爆ぜ、砂が視界いっぱいに撒き散らされた。直撃していないものの、爆発の衝撃によって体勢が崩れる。加えて爆発音で聴力が奪われた。
 きぃん、と甲高い音によって耳が支配されている。
 音のない世界で再び白煙が立ち上る。
 一発で終わらせるつもりはないらしい。
 ……こちらから視認できない崖の向こうにおそらくガレオン船がいる。その船は臼砲――つまり曲射砲を備えており、僕を狙っている。
「陸戦隊の援護か!」
 ルートドゥーンは臼砲に動じた様子はない。
 それどころか嬉々としてこちらに向かってくる。顔に笑みを浮かべたまま!
 更に数発が着弾。敵船や砦を攻撃するために用いるものだ、正確な狙いは付けられない。
 それでも衝撃による妨害と聴覚へのダメージは大きい。
「最悪かよ!」
 自分の声すら上手く聴き取れない。ルートドゥーンの二倍以上高く舞い上がった砂が再び地面に落ちてくる。爆発の命中した死体が爆ぜて赤い肉塊が視界を遮ってくる。
 ルガディンが僕に迫る。射撃がブレて当たらない。
「いいや最高だッ!」
 巨漢は雄叫びをあげた。
 着弾の間隔で聴力後戻ってくる。
「これだ! 戦場だ! 戦場こそが我々には必要だ!」
「イカれてるよ」
 僕の独り言は彼には届いていない。
 斧が振り下ろされる。
 駄目だ、回避できる場所がない。爆発によって入り込める隙が潰されている。
 苦肉の策で弓を掲げて刃を受ける。
「これが『俺たちの死に場所』であるべきだぁぁあああああッ!」
 膂力によって繰り出される大質量に耐えきれず、弓を取り落とす。衝撃によって手が痺れた。
 左手側で再び臼砲が着弾、爆発。死体が弾け飛び、手に握っていた直剣がこちらに飛んでくる。
 ルートドゥーンは雄叫びをあげる。再び錨を振りかざした。
 僕は宙に舞う直剣の柄を掴んだ。
 これしかない。
 青い瞳が僕の行動を捉えた。
 僕は切っ先を右に向け、直剣を水平に構えた。
 防御の姿勢を見てルートドゥーンがにぃ、と笑う。
 素人の鉄塊など叩き折ってしまおう。そんな自信が見えた。
 時間が停滞したかのようにゆっくりと動く。
 錨の鉄斧は直剣に激突する。
 そのまま衝撃が手に伝わる。
 よりも早く。
 直剣を傾ける。
 斜めに、斜めに。
 ほとんど垂直にまで傾ける。
 直剣の刃を案内にして、斧は甲高い金属音を奏でながら地面へと真っ逆さまに落ちていく。
 ルートドゥーンの髭面が驚愕に歪むのが見えた。
 彼の込めた力は直剣を折るには十分で。
 しかし地面に叩きつけるには『強すぎる』。
 そして僕は素早く直剣を手放した。
 浜を蹴る。
 地を蹴る。
 蹴った足は錨の柄に着地。
 それも蹴って――ゼーヴォルフの太い腕の上を走る!
 認識している時間が動き出す。
 そのままルートドゥーンの肩まで走り抜け。
 彼の首に絡みつく。
 足でしっかりと体勢を固定。
 腰から引き抜いた短剣を翻す。
 逆手に構えたそれを脳天めがけて振り下ろす。
 一撃。
 素早く引き抜くと刃に赤が纏わりついている。
「がっ……!?」
 彼の意識は一瞬の断絶を迎えている。
 与えるべきは確実な死だ。
 間隙を突いて左手を顎に添え、上に向かせる。
 無防備な首筋にもうひと突き。
 これも素早く引き抜いた。
 僕は倒れゆく彼の肩を蹴って、離脱。
 地面に着地したところで、彼の巨体は浜に沈んだ。
 大きな砂煙をあげて倒れた。
「生まれてきた地獄に帰るがいい」
 精一杯の格好つけの言葉は、しかし爆発音に呑まれて消えた。
 すぐ横に着弾した臼砲によって。
 衝撃に僕の体は吹き飛んだ。
 勝利の余韻もなにもない。
 空と地面が交互に入れ替わる視界の中、心のうちで呟いたのだった。


3.

画像8

 ……まぶしい。
 視界が光に包まれる。
 ようやく戻ってきた、とぼんやり考えた。
 目に映る全ての輪郭が歪んでいる。
 歪みはぼやけに変わり、色が認識できるようになってきた。
 症状判断、失神状態からの回復中と見た。
 視界の半分に青空、もう半分に白い砂。半々に分かたれた世界が広がっている。どうやら自分は地面に転がっているらしい。左目を失明しているとこんなときでも世界が狭くて困る。
 視覚情報が回復していくにつれて身体の感覚も戻ってくる。
 背中に強烈な痛みを感じる。後頭部も同様。
 軽く周囲を観察すると、ぼやけた視界の端に南国樹木が映った。どうやら強制空中曲芸の最中に激突したらしい。
 裂傷その他の感覚はない。ただ体の内に強い痛みがあり内蔵の損傷が疑われる。
 舌先に鉄の味が広がっているのもそれだろう。
 右手の感覚はあるが、左腕にはない。輪郭の怪しい視覚で確認すると、肘が少しだけ不自然な方角に曲がっている。腫れて地獄を見るぞ、これは。
 まだまだ視覚は回復しない。頭の中に大きな血管でもできたかのように、どくどくと脈打つ音がする。
 僕は比較的無事で済んだ右手を使って体を起こした。口の中の砂を吐き出すが、そもそも乾いて上手くいかない。ほとんど残ったままだった。
「あー……」
 どのくらいの時間が経ったんだ?
 そうつぶやこうとしたのだけれど、喉にまで入った砂のせいで上手く発声できなかった。むしろ咳き込んでしまう。砂の上に吐き出された液体の色は赤だった。
 少なくとも太陽は真上にある。昼であることは確かだ。
 遠くから声が聞こえる。誰かを探しているような雰囲気だ。
 実に嫌な予感がする。左目も痛みを訴えていることだし。いや、これは単純に負傷によるものか? 今はまだわからない。
「動けるか?」と己に問う。
 無理だと思う。
 内なる僕は冷静に告げた。
 正直言って足の感覚もかなり怪しい。それに上体を起こすだけで腹の中で鳥が暴れ回ってるみたいなんだから。
 樹木に背中を預けるだけで精一杯だった。
 ……やれることが少ない。最低限の処置はしておくべきか。
 腰の革袋を手の感覚だけで探り当て紐を解く。中から取り出したのは一本の――例の葉巻だ。
 膝の上に置き、一緒に取り出した器具で吸口を切り取る。苦労して燐寸に火を灯し、これまた苦労して咥えた葉巻に火を点ける。
 正しくないが、いい。今手にしているのは嗜好品としての葉巻ではないのだから。
 煙を吸い込む。
「激マズ……」
 これを贈ってきた人間の評価通り『見た目だけ葉巻』といった感じだ。文字通り苦虫をすり潰したかのような味が口に広がるが、無視して肺に取り入れる。これも正しい作法ではないのだけれど、こうしろと言われたのだから仕方ない。そして口から紫煙を吐き出した。
 これを十度ほど繰り返せ。そう言われた記憶が蘇る。
 しばらくすると体の痛みが引いてきた。薬効の一つである鎮痛効果が作用してきたらしい。
 そこで革袋から新たに紙包を取り出した。中身の丸薬を口に放り込んで飲み下す。砂ごと飲み込んでしまって本当に不快だ。
 しかし痛みが減ったことはよい。安堵していると、複数の足音が近づいてきた。
 少なくとも六人以上はいるだろう。
 それらは背後から僕の目の前に回った。
「…………」
 彼らは灰色の外套を身に纏っている。
 『最後の陸戦隊』か――。
「――この日差しの中で外套は、ちょっと暑すぎやしないか?」
 一同は鼻で笑うのみ。
 種族も性別も様々。服装にも大した違いはない。規律正しい集団というのは間違いないらしい。
 その中から一人の男が歩み出た。彼の胸には狼の徽章が輝いていた。ルートドゥーンと同じだ。
「やあ冒険者殿。きみがロクロ・ウタゲヤで間違いないかな?」
「知らない人間には名乗らないようにってお母さんに言われて育ったもんだからね」
 無論母親など知らないのだが。
「私の名前はカイル・ベイリーという。これで我々は知人となった。そうだろう?」
 誘拐犯みたいなことを言う人間だった。
 そのミッドランダーの肌は日に焼けて浅黒く、黒い髪は全て後ろに向かって撫で付けられていた。
 切れ長の目を細め、口元を歪めて笑っている。断言するけれど、これは決して親愛の感情によるものではない。そうするべきだからそうしているだけ。油断のならない相手だとわかった。
 しかし、カイル・ベイリーか。彼がジョン・ドゥの言っていた指揮官――最後の陸戦隊の頭領。総隊長。
「部下が何度も世話になったようだから挨拶をと思ったのだが……、随分と体調が悪いようだな」
「臼砲を使ったのは……お前だろう。仲間もいるのにとんでもないことをするよな」
「ルートドゥーンは我々の砲撃程度じゃ死なんさ。なんせ地獄から帰ってきたんだから――しかしまあ、君の前には倒れたようだったが」
 ベイリーの表情からは何も読み取れない。しかし周囲の人間からは殺意の色が見えた。仲間の死を悼んでいるのか。
 彼らの中にも狼の徽章を身に着けている人間がいることに気がついた。推察するに、それが隊長格の証なのだろう。
「それで……僕に何の用だ」
「ふむ、先程も言ったが単純に挨拶だ。我々の貨物を奪い取った人間の顔が見たかった。ただそれだけだ」
「人間を……貨物と主張するろくでなしとは……思えない殊勝さだな」
「すでに回収を終えたものでね、ある程度は精神的な余裕があるのだよ」
 予想はしていた。
 僕が尋問されない時点で。
「ナナシ……」
「大丈夫かね? 顔色がどんどん悪くなってきているぞ。医者を呼ぼうか?」
「ああ……医者は好きじゃない……不要、だ……」
 首を持ち上げていられなくなった。がくん、と下を向く。咥えていた葉巻が地面に落ちた。
 手足の感覚が薄くなっている。もはや自分に手足がちゃんとくっついているのかすらわからなくなってきた。
「遠慮するな。敵対していたとはいえ、我々は決して人非人ではない。基本的には善良で親切な人間だぞ。おぉいドク、ちょっと診てやってくれ」
「…………」
 もはや返答する気力さえも失って僕は沈黙した。
 新しい人間がやってきて、僕の首筋に手を当てた。
 彼は首を横に振る。
「旅立ちか。きみの航海が穏やかなものであるよう祈ろう」
 黒い革手袋が右目に迫る。瞼を降ろされても抵抗できない。
 まぶたが、おもい。
 おもい。
 まぶたが。
 しかいが。
 くろい。
「では行こう諸君。時間は待ってくれない」
「指揮官、息の根を止めなくてもよろしいのですか?」
「不要だ。彼女はまもなく息絶える。そうだろ、ドク?」
 …………。
 …………。
「ええ、脈もエーテル波長も非常に低下しています。ほとんど死亡したものと考えてよろしいでしょう。たとえ誰が治療を施しても蘇生は不可能かと」
 …………。
 …………。
「他に異論は?」
「はっ、ありません」
「では参ろう。我が家へ帰るぞ」
 …………。
 …………。









 …………。
 …………。
 …………。
 …………。
 …………。
 …………。
 …………。
 …………。
 …………。
 …………あ。
 おと。
 聞こえる。
 さざなみ。
 押し寄せて、引いて。
 押し寄せて、引いて。
 だんだんと満ちて。
 僕の意識も。
 押し寄せて、引いて。
 押し寄せて、引いて。
 だんだんと満ちて。
 ある程度の場所から感覚が生成される。
 聴覚を処理する脳が機能し始める。
 肌の感覚を処理し始める。
 嗅覚。潮の匂い。
 そして視覚。赤い空。
 鼻も口も喉も呼吸してる。
 有象無象だったそれらが少しずつ繋がれていく。
 そうしてようやく僕は世界を認識した。
「おはようございます」
 頭で考えた言葉がちゃんと口から発声される。少なくとも自分の体はきちんと機能している。
 周囲に人の姿はひとつもない。
 ――ちゃんと生き返れたようだ。
 浅かった呼吸が平常に戻ろうとしたことで少し咽る。正常に戻ろうとしている兆候だ、悪いことではない。
 処方箋によると、たっぷり一時間はここから動けない。潮の満ちる場所ではなくて良かった。でなければ僕は生きたまま海水に沈むことになっていただろう。
 幸運といえば――陸戦隊の連中が僕に新たな危害を加えなかったことだ。
 たとえ仮死の丸薬を飲んで死を偽装したといっても、新たに攻撃が加えられる可能性は零ではなかった。死の直前まで口に咥えていた葉巻が目に入る。大部分は灰となり、その火は既に消えていた。
「丸薬とセットで数百万ギルの道具も、使えば一瞬か……」
 己が支払ったものではなく、過去、依頼料代わりに受け取ったものにしても虚無感がすごい。転売すれば相当な金額になっただろうに。
 あるいはこれが僕の命の値段か。
 そもそも――ナナシを拾わなければ使うこともなかっただろう。
「ナナシ……」
 『最後の陸戦隊』は彼女を回収したらしい。あの傀儡人形のような女のことだ、単純に命令すればすぐに抵抗をやめるだろうし、そばに僕がいなければ即捕縛されるだろうとは思っていた。
 こうして命拾いした今だからこそ考える。
 僕は彼女を救うべきだろうか。
 ベイリー率いる傭兵たちは油断ならぬ相手だ。ルートドゥーンを見ればわかる。あれで部隊長階級なのだから、他の連中も厄介に決まっている。
 それを相手に僕は戦えるのか? 一人で?
 あと何百万ギル払えばいいのかわからない。
 彼らの目線は僕から外れたのだ。今なら安全に逃げることができる……。
 あるいはしかるべき機関に伝えるべきだろうか。たとえばイエロージャケット。海都の公安組織に。
「無理だろうな」
 陸戦隊が何らかの目的を持って行動していることはわかっている。それにナナシが必要なのも何となく察する。あれは何か――特別な人間だ。ジョン・ドゥもそう言っていた。
 とすればガレオン船を持っている連中が、公的組織からの逃走や回避を考えていないわけがない。捕捉するにしても相当な時間がかかるに違いない。そしてその頃には陸戦隊は何らかの目的を遂行しているというわけだ。
「動けるのは僕だけ」
 そもそも――偶然拾っただけのナナシに、僕が命を賭ける必要があるだろうか。
 僕は報復の化身。ありとあらゆる弱者に代わって闘争を代行する。
 ナナシは、弱者だろうか。虐げられているだろうか。
 彼女には自由意思が存在しない。したがって彼女は『弱者』でもないかもしれない。彼女はおそらく呪術的傀儡で、人間の形をとった人形だろう。
 そこに強いも弱いもあるだろうか。ベイリーも彼女を道具扱いしたじゃないか。僕は道具のために戦えるのだろうか。
「きみは人間かな……」
 ナナシはきっとこう答えるだろう。
「わからない」
「だよな」
 だとすれば既に答えは得ている。
 『わからない』なら未確定だ。彼女は人間ではないが、道具でもない。まだ人間じゃないというだけだ。
 自由意思がなくとも、人間は他人に強制されてはならぬ。自由意思が生まれずとも、人間は何者にも制限されてはならぬ。人間が、他人に束縛されていいわけがない。それは間違いなく僕の報復対象だ。闘争を代行すべき敵に違いない。
 これは報復の前借りだ。ナナシに意思が生まれて抵抗を選ぶのなら、という未来からの仮定報復だ。
 もしも意思を得た彼女が抵抗を選ばなかったら?
「そのときは笑って誤魔化すさ。それに――」
 たとえ彼らの視線が僕から外れて逃げ出すことが可能だと言っても。
 僕はこれからの人生、彼らに見つからぬように生きていかねばならなくなる。それは御免だし、なにより癇に障る。
 だったら素直に死んだ方がマシに決まっている。
 だからこそ。
「手をもぎ足をもぎ、首を取る」
 そう、ナナシを取り戻すんだ。


Chapter 3...end

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