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FF14 Origin Episode -The Ghost in the Machine- Cp2

Chapter 2

1.


「あなたには選択肢が与えられている。我々の『貨物』を渡してギルを得るか、あるいは死んで『貨物』を渡すか、だ」
 目の前には灰色の外套に身を包んだ男が三人。
 黄昏時で判然としない視界の中にあるけれど、おおよその背丈から察するにミッドランダーが二人とミコッテが一人だ。
 中央のミッドランダーは両手を自由にしているが、横の二人はそうではない。それぞれ直剣の柄に手を置いている。
 中央の男にしても懐に小型の銃を隠し持っている。
 なぜわかるかというと彼の外套に小さな盛り上がりがあったからだ。元海賊は腰ではなく胸から腹にかけて拳銃嚢(ホルスター)を掛けていることが多い。そうすれば隠し持てる上に、近接武器を扱いながらすぐに引き抜くことができるからだ。
「ギルの価格に不安があるかもしれませんね。大丈夫、きちんとお代は用意していますから。安心して貨物を引き渡してください」
 彼らは丁寧な口調であったが、同時に高圧的でもあった。
 僕は微笑んだ。
 相手が冗談を口にしたなら笑うべきだ。
 それがどんなにつまらなくても、社交性を身に着けた人間ならそうすべきだろう。
 しかし相手のジョークも大概だけれど、この状況自体も相当ジョークじみている。
 ――このふざけた状況を整理しよう。
 僕とナナシは高地ラノシアに向かって歩き続けていた。
 ナナシは少し体力がないようだった。歩く速度自体は僕と大差なかったのだが、しばらく歩くと速度が低下するようだった。
 顔が上気して息遣いも荒くなる。
 しかしこれまで通り彼女は何も文句を述べようとしなかった。
 僕が自分のペースのまま歩き続ければ、彼女はきっと体力の限界までついてこようとしただろう。

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 それがわかったので僕は途中で休憩を挟むようにした。
 彼女の体力のなさはどこからくるものだろうか。
 旅行鞄に詰められていた期間が長かった?
 あるいは生育環境の影響か?
 今の僕にはまだわからなかった。
 いずれ知ることもあるだろうか。
 定期的に休憩と給水を取りながら進むと、彼女に変化が現れてきた
「……慣れてきた?」
「…………」
 ナナシは答えなかったけれど最初に比べれば差は歴然だった。
 少なくとも日が傾いてきた時分には、最初の数倍の距離を歩けるようになっていた。
 顔も上気していない。息を荒げていない。
 この数時間で鍛えられたとでもいうのだろうか。
 ううむ。
 『適応力』という言葉にも限界はあるだろう……。
 レインキャッチャー樹林に辿り着いたあたりで野営をすることにした。
 日暮れまで残り一時間といったところだ。この先は獣が増えてくるし、野盗が出るとも限らない。
 ワインポートまで目と鼻の先だが、川のすぐそばで焚き火の準備をした。
 火結晶片と燐寸で火を起こしながら、僕はナナシについて考えていた。
 冷静に考えてみても彼女は普通ではない。
 単純に言動がおかしいこととか、これまで見せた様子は当然だから言及しないにしても。
 先程まで見せていた適応力――としておこう、今のところは――もそうだし。
 焚き火の準備中やることがないだろうからと食べることができる野草集めを教えたのだけれど、彼女はすぐにものにしてしまった。ちょっと目を離した隙に両手いっぱいの野草を集めてきたのを見たときは、『驚嘆』よりも『薄気味悪さ』の方が先に立った。
 きっとこの焚き火もすぐに模倣するだろう。
 僕は火を安定させながら考える。
「普通の人間、ではないよなぁ」
 とすれば高度な催眠処置が施された人間とか魔術的傀儡とか、その辺りが答えとして浮上してくるわけだけど。
 何にしても事件の種にしかならない。
 ナナシを拾ったことは僕にとって大きな損害となるかもしれない。
 彼女を拾わなければ良かったとか言い出すと、そもそもこの依頼を受けなきゃ良かったとか、そもそも冒険者にならなきゃ良かったとか、人生に疑問を抱く思考へと辿り着いてしまうので、深くは考えないようにする。
 今彼女をここに放置したところで得をするわけでもない。
 僕とナナシには縁が結ばれてしまった。
 彼女を捨て置いたところで、縁の糸を辿って『面倒』は僕にところにやってくるだろう。
 ヒトの人生というのはそういう風にできているものだ。
 ――そこまで考えたところで。
 複数人の足音が耳に届いた。
「足音を隠すならもうちょっと丁寧に体重を移動させた方がいいぞ」
 手を止め立ち上がり、察知した方向に顔を向けていると夕暮れの中から三人の男が現れた。
「これは手厳しい」
 真ん中の線の細い男がにこりと笑う。
 商人のような笑みだった。
「何者だ」
「名乗るほどの者ではございません」
 三人は灰色の外套を身に着けていた。それはどこかグランドカンパニーの制服に似ているが、腕章や紋章の類は見当たらなかった。
 所属不明、怪しさ満点。
「まずはお礼を。我々の貨物を拾得していただき、まことにありがとうございました。実はとても困っていたところだったのです」
「貨物? そんなもの知らないね」
 おそらくナナシのことを言っているのだろう。さすがに察しが付いたけれど、僕はそれを無視することにした。
 とぼける僕に男は声をあげて笑った。
「いえ、いえ、確かに。申し訳ありません、わかりづらくて申し訳ありません。あなたが連れ出した女性のことです。ほら、こんな角が生えた女性のことです」
 頭の横に手をやって角を表現する男。
 おどけた様子ではあるものの、目は笑っていなかった。
「人間を『貨物』扱いするような奴は信用できないね」
 僕の答えを聞いて男たちの雰囲気が剣呑なものに変わった。
 だがまだ武器に手をかけてはいない。
「いいえ、『貨物』です。人間ではない。我々が買い取った『荷物』だ。大きな旅行鞄とその中身を買い取りましたからね」
「では鞄と中身である空気は返却する。東ラノシア沖の孤島に行けば回収できるぞ。ああ、大丈夫。お代は不要だ。無償提供するからありがたく思え」
「あなたは何か勘違いしていらっしゃいますね」
 僕の明らかな挑発に中央の男もさすがに苛立ったようだ。
「あなたには選択肢が与えられている――」
 ……話はこれで冒頭に戻る、だ。
 しかし厄介だ。
 何が厄介って、相手がただの野盗ではないことだ。
 外套からして、明らかに何らかの制服を身に着けている。
 つまり組織だ。
 単純に武力で解決しようという馬鹿ではない。
 そしてこの三人は使い走りだ。
 彼らに命令を下す人間がいることはわかるが、ここは都市外。協力者もなしに辿ることは難しい。
「つまりやることは一つしかない」
「そう、あなたが取るべき選択はただひとつ」
 ――二人ぶっ殺して、残ったやつを尋問だ。
 交渉に応じようとしていると思ったのか、彼らの緊張が一瞬緩んだ。
 それを見逃す僕ではない。
 中央の男めがけて腰の短剣を投擲。
 命中したかどうか確認する必要はない。右腕に当たるのが『わかっている』からだ。
 その様子を見てようやく横の二人が反応するが、僕はもう弓を構えている。
 一射目。
 向かって左の男に射撃。踏み出そうとした右足に命中。彼は数秒行動不能だ。
 右の茶髪ミコッテが直剣を抜き放つ。その勢いのままに僕を狙う。
 横薙ぎを身をかがめて回避。この程度じゃ左目は疼きもしない。
 剣の勢いを殺しきれずに空いた脇腹に横蹴りを入れる。
 ところでこれは豆知識なのだが、僕の革靴の先端には鉛の塊が詰められている。
 勢いを付けた蹴りを受け、彼から小気味のいい音と感触が流れ出してきた。骨を数本やったであろう彼に向けて、二射目。矢は首に命中、彼を絶命せしめた。
 蹴りのままだった体勢を整える。
 屈んだ状態からもう一発。左手の男が立ち上がろうとしていたところで、頭に凶器が突き刺さった。これで死亡。
 しかしまだ終わりではない。
 三射目。
 短剣を引き抜いた男の足を射抜く。男は衝撃と痛みで膝を突く。
 四射目。
 もう一方の脚も射抜いておく。遠隔攻撃手段を持っている者は徹底的に無力化せねばならない。
 跪くだけで済まず、男は前向きに倒れ込んだ。
 僕はすぐに接近した。そのまま右腕を掴み、捻り上げる。
 彼の手足からは鮮血が流れ出ている。地面に作った赤い斑点は、その大きさを増していく。
 獲物は唸った。身体の損傷は大きく、息が荒い。
 喉に短剣を押し当てて訊ねる。
「まずは身元から答えてもらおうか」
「…………」
 無言。
 先程までの饒舌さとは打って変わって寡黙な男になってしまった。
 短剣が怖いわけではない。
 傷によって体力が削られ、息が荒いだけで彼は冷静なままだ。
 確固たる己の意思で押し黙っているのが、雰囲気から察せられた。
 こういう性質の人間は厄介だ。
 まるで――。
「まるで軍人のようだな?」
「…………」
 彼は相変わらず無言を貫いたままだったが、喉に押し当てた短剣が僅かに上下した。彼の喉が動いたのだ。
 近い答えを得た。
 言葉を吐き出さない人間にも尋問のやりようはある。
 やや面倒だけれど。
 しかし軍人、軍人か。
 彼らの制服らしきものは大きな手がかりだったけれど、何より情報を漏らすまいとする態度がいかにも士官のようだった。
 それはそれで面倒なことになる。よもやいずれかの都市国家のグランドカンパニーではないと思うが、それに近しい組織であることは推察できる。
 すなわち、付近に仲間が待機している、とか。
「アウラの女を求めていたな。目的は何だ」
 無言。
 先程の手法は使えない。
 何しろ僕もナナシについての情報が何もない。
 訊き出す材料がないのだ。
 そもそも彼らは何も伝えられていない可能性が高い。
 『機密管理(ニード・トゥ・ノウ)の原則』。知るべき者だけに必要な情報が与えられる。使いである彼には何も教えられていない。知っているのは上の人間のみ。
 よって、彼は何も答えられない。
 何も知らないから。
 僕は舌打ちした。
 まあいいや、収穫は決してゼロではない。
 さっさとこいつを殺してずらかることにしよう、と――。
 考えたところで。
 男が蠢いた。
 何が起きたのか、一瞬では理解不能。
 ただ短剣から手に伝わる感触。
 手の内にある凶器が肉を断ったときのそれ。
「自分から首を――!」
 それだけではない。
 勢いのままに彼は体を反転させる。
 左手には銃が握られており――。
「ちっ!」
 僕は飛び退いた。
 撃たれると思ったからだ。
 己の命を使って僕と刺し違えるのか、と。
 しかし実際は違った。
 僕が急いで矢を射る頃には、彼は目的を達成していた。
 真上――空に向かって彼は引き金を引いた。
 矢を頭に命中させた頃にはもう遅かった。
 空中を縦に登っていく球体が見えた。
 『それ』は上空まで打ち上がり。
 空で爆ぜた。
 その場に強烈な光が放たれる。
 一瞬目が眩みそうになり、手で庇を作るほどだった。
「照明弾……!」
 昼間と錯覚するような光景の中、僕は毒づいた。
 これだけ強力な光が放たれたのなら、周囲の人間が気づかないはずはない。
 彼は僕を殺すことなど端から考えていなかった。己の命を載せた分の悪い賭けではなく、確実な手段を取った。
 この照明弾はすなわち信号弾の役割も兼ねている。僕の居場所を正確に伝えるために使ったのだろう。
 つまるところ。
「敵が押し寄せてくる」
 規模などわからない。だが彼が仲間を呼ぶことにしたのなら、きっと大勢だ。とにかく彼らの仲間が押し寄せてくる。
 交渉失敗を悟って、全力攻撃をかけてくる。
 僕は取り落とした短剣を拾い上げ、鞘に戻した。
 弓を肩にかけて地面を蹴る。
 ナナシの居場所は覚えている。川まで走り、彼女を見つけた。
 照明弾騒ぎの中でも全く様子は変わっていない。野草を取り分けているままだった。
「ナナシ! 逃げるぞ!」
「逃げる」
 復唱する彼女の左腕を掴んで駆ける。
 預けていた背嚢も拾い上げた。
 連中の位置はわからない。三馬鹿がやってきた方角と信じるしかない。
 僕はレインキャッチャー樹林を南に向けて走る。
 背中からはまだ光が降り注いでいる。
 ――男たちの声が聞こえてきた。
「追え!」
「逃がすな!」
「ミックたちの仇を取れ!」
 言語として認識できたのはそれくらいだったが、何十も折り重なった怒号が耳に届く。
 いや多い多い多い!
 眼帯の下の左目が痛み、背中に怖気が走るほどだった。
 何の準備もなしにこんな数相手にしてられない。
 大地を駆ける音は徐々に近づいてくる。
 ナナシは疾走に適応してくれるだろうか。
 このままの速度――彼女を連れたままでは追いつかれるだろう。
 さりとて置いていくことなどできない。
 それができるなら僕は彼女を引き渡している。
 ああ、くそ!
 『中途半端な善人』ってのは辛いものだな!

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2.

 数時間の後。
 僕とナナシは洞窟に身を潜めていた。
 記憶が正しければここはブラインドアイアン坑道。バイルブランド島における鉱石の主要産出地だ。
 無数に枝分かれした鉱夫の洞穴の中で、僕らは静かに音を聴いていた。
 正体のわからぬ『敵』から一旦は逃げ切った、と言えるだろうか。ナナシは全力疾走に適応してくれたのか、途中から僕の全速力と同じ速度で走ってくれた。
 だけど決して振り切れるほどの速度ではなかった。僕らは東ラノシアを南下し、低地ラノシアまで戻った。
 シダーウッドの林に入り、木々で視線を遮った。このままシダーウッドを走るわけにはいかなかった。
 あの男は銃を隠し持っていた。銃術士を運用できる集団なら、他の飛び道具も用意しているはずだ。
 このときだけは快適な平原を持つバイルブランド島が憎かった。遮るものがほとんどなく、人気のある場所まで走るには危険すぎたからだ。
 そうして僕は西へと向かい、夜の闇に静まり返った坑道の中で息を潜めている。
 時折足音が耳に留まる。
 しっかりとした革長靴で自然の石床を踏む音。複数の男の足音。
 敵が僕らを探している。少なくとも地面から鳴らす『音』の違う集団が三、四はいる。
 僕はもちろん、ナナシは身じろぎ一つしなかった。
「動くな」と言えば彼女は全く動かない。僕が下した命令を忠実に守っている。
 薄気味悪さは相変わらず付随していたけれど、今の状況からすれば悪いことではなかった。その正体はいずれ確かめればいい。
 労働時間をとっくに過ぎた坑道に灯りはほとんどない。坑道の闇と夜闇が混じり合って色を同じにしていた。
 時々彼らの持っている灯り――ランタンだろうか――だけが僕らの潜んでいる穴に差し込み、無遠慮な存在を主張していた。
 僕はひたすらに音を聴きながら、思考を巡らせていた。
 坑道に逃げ込むまでは良かったものの、ここからどうしたものか。僕らはほとんど追い込まれた状態に近かった。単純に彼らが目の前にいない、というだけの違いしかない。それでも平原で銃撃を受けるよりはましだが。
 敵はおそらく坑道の穴を虱潰しに捜索していくだろう。実行できるだけの数がいることはわかった。そうすれば僕らは見つかって、終わりだ。
 考えたところで彼らが捜索を始めたのか、話し声が遠のいた。これからだんだんと近づいてくるだろう。
 夜闇が肌の体温を少しずつ奪っていく。
 音が遠のいた機会を見計らって僕はナナシに話しかける。
「きちんと分析して答えてほしい、ナナシ。これからまたしばらく走ることはできるかい?」
「できる」
 即答。
「では音を立てずに行動することはできる?」
「できる」
 彼女はやはり即答した。
 そうか。
 であれば懸念事項は一つ消えた。
 僕がナナシの言葉を信じられるのなら、だけど。
 声を潜めて、彼女に音を立てず行動するように命じた。
 数十秒おきに男の声が近づいてくる。
 その声は左右から交互に聴こえている。班をいくつかに分けて捜索しているのだろう。
 穴に向かって右側から一つの集団が近づいてきた。聞き分けられた足音は三人分。
 極めて、静かに。
 僕は弓を構えた。
 一本の矢を掴み、つがえる。弦が軋む音が耳に届く。わずかな音だけれど、気をつけて引かなければならない。
 呼吸を止めて身を乗り出す。瞼を半分閉じて目を細める。眼球に反射したランタンの光によって、位置を伝えてはならない。
 灰色外套を着用した男たちが視界に入った。
 ランタンを持っているのは一人。彼がランタンで闇を払い、他の二人が武器を手にして捜索しているようだ。照明器具の光は非常に強く、暗闇を煌々と照らしている。
 僕は狙いを定めた。

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 手を離すと、弦は矢を押し出す。ひゅっ、という風切り音が聞こえたかと思うと、それはランタンめがけて飛んでいった。
 見事に命中。
「なっ……」
 矢は硝子を破り、思わぬ衝撃で照明役はランタンを取り落とした。乾いた音が響く。
「どうした?」
「何かが飛んできてランタンが……」
「坑道蝙蝠か何かか? ちっ、ドジ踏んでんじゃねえ」
「申し訳ありません!」
 洞穴から飛び出た。わずかに音を立ててしまうけれど、彼らの大声が隠してくれる。
 後ろを見るとナナシがついてきていた。物音は立てていない。
 彼らは先程までランタンの光に慣れていた。だからしばらくは闇に目が効かない。
 僕とナナシは反対側の穴に入る。先程まで彼らが調べていた穴だった。
 しばらくじっとしていると、入り口に光が差し込んだ。暖かな橙色の照明。予備のランタンに火を灯したのだろう。
「次、行くぞ」
「はい」
 どうやら無事に済んだらしい。敵は僕らが潜んでいた穴を調べているのだろう。
 放った矢が発見されるかどうかは正直賭けだった。僕は胸を撫で下ろす。
 数分、その穴で待機した。彼らは足音を立てて離れて行った。
 光が遠のき、闇が帰ってきたところで外に出る。
 余計な足音を立てないようにしつつ、足を急がせた。
 坑道の出口に見張りは立っていなかった。
 ついている。
 正直にそう思った。
 だが。
 出口から数歩進んだところで、目の前に灰色の制服が現れた。
 木陰から突然飛び出してきた。まるで僕らが出てくることを予見していたかのように。
「……よぉ」
 二つの銃口が僕の眉間を狙っていた。
 目の前の男は二連装銃を構えている。
 僕も弓を向けていた。構えまでの速さは常人には視認できない。
 弦を引き絞り、いつでも矢を放てる状態だ。
 対する男も引き金に指をかけている。少し力を込めれば装填された銃弾が発射される状態だろう。
 風が肌を撫でる。汗が冷却され、体温が低下する。
 無精髭を生やした男が口を開いた。年の頃は三十前後だろうか。
「物騒なもん構えてんな。手ぇ下ろせよ」
「頼み事をするなら自分が先に譲歩するべきだと母親に習わなかったか?」
「あいにく二人ともガキの頃に死んだからな」
「では今から社会常識のお勉強だ。大人になってからの料金は高くつくぞ」
 僕の言葉に、ミッドランダーは喉で笑った。
 次にゆっくりと腕を下ろした。
 僕も弦の緊張を解いた。しかし矢は手放さない。弓から外しもしない。相手も右手に銃を握ったままだからだ。
 優れた銃術士は早抜き(クイックドロウ)の技術を持つ。ただ武器を下ろしただけでは油断できない。
 二人の間の緊張はやや緩みはしたものの、続行していた。最大の緊張状態が解けただけでゼロには程遠い。
 僕の後ろの控えたナナシだけが関係の外にいた。
 これまで全く思い至らなかったけれど、ナナシを連れているだけ僕の方が不利である。
「何者だ」
 会話の優位性を取ろうと発言する。
「お前たちを助ける者……なんつって」
 彼は笑顔を見せるが僕には意味がわからない。
 とにかく信用できない。不真面目そうな相貌をしていることだし、彼に対する信頼度はなしに等しかった。
 目の前の髭男がいきなり銃を向けてきても驚きはしない。弓を持つ左手にやや力が入る。
 彼はその様子に気づいたのか、表情を真顔に戻して左手を振った。
「そう緊張めさるな。なに、あんたたちを殺す気はない。少なくとも俺はね」
 なんなら、と彼は続けて得物を腰の拳銃嚢に戻した。
 彼に何か策があるのでなければほとんど武装解除だ。
 彼我の均衡が崩れた。僕だけが弓を手にしている。
 目の前の男に説得されたわけではないが、矢を筒に戻した。この男と戦闘に入るにしても現状は不利だ。
 だとすれば彼の思惑に乗る方が賢明だろう。戦闘結果を先延ばしにできるなら時間を稼いだ方がチャンスが生まれる。
「ここじゃ俺の『仲間』に見つかる。少し歩こう」
 男の『仲間』という言葉には、どこか含みがあるように感じられた。
 言い終わるが早いか、彼は背中を向けて歩き出した。僕はその様子に少し面食らった。
 背中から射られると思わないのだろうか。銃弾と矢、どちらが速いか理解しているが、背中を向けている相手に出遅れるほど僕の腕は悪くない。
「……行こう、ナナシ。僕の背中から離れないようにするんだ」
「わかった」
 ナナシは言葉に従い、僕の後ろを歩き始めた。
 灰色の外套を着込んだ男は僕の五歩ほど先を歩いて丘を下っている。
 まばらな木々、膝よりも低い草が風に揺れる。夜を謳歌する虫たちが無数の歌声を奏でて僕らの足音を隠していた。
「なぜ僕を……助ける?」
 少し言い淀んだのは、彼が本当に僕たちを助けようとしているのかわからなかったからだ。
 我々を謀るつもりかもしれない。今のところ彼の真意は全く掴めない。
「簡単に言えばだが、俺の目的と合致するからだ」
「お前の目的?」
 彼は姿勢を少し低く保ち、周囲を警戒しながら歩いている。僕らはそれに倣って後ろに並んでいた。周囲に敵の姿はない。
「……悪いけどそれはあんまり話したくねぇな」
「悪気に思ってもらうほど僕らは仲良しじゃないはずだけれど」
「ああ、まあそうだな。いや、実際目的なんてないんだ。ただ連中の目標を達成させちゃならんってだけで……」
 僕は疑問を思い出した。
「そうだ、同じ制服を着てる連中――彼らは一体『何』だ?」
「『最後の陸戦隊』って知ってるかい?」
 知らない名前だ。
 彼の背中に答えると、男は「そこそこ名を上げたと思っていたんだがね」と笑った。
「まあ大抵組織レベルでの依頼者ばかりだから、個人にまでは広がってねぇか。俺たちは――そうだな、元黒渦団とでも言えばわかりやすいか」
 彼は己の組織について語った。
 五年前――三都市同盟とガレマール帝国第Ⅶ軍団が正面衝突する『カルテノー平原の戦い』が会戦。青燐機関を用いた機械群と魔法を主軸に戦う同盟軍がぶつかり合う壮絶な『戦争』が幕を開けた。
 その戦いは結局、月(メネフィナ)の衛星ダラガブより現れた古の蛮神によって終結した。両軍壊滅という最悪の結果によって。
 司令部と平原でぶつかり合っていた兵士たちはろくに連絡も取れなかった。そこで同盟軍が下した決断は、救える者だけを連れての撤退だった。
 手が届く者だけを救う。それはきっと大勢で見れば正しい判断だったのだろう。
 しかし取り残された者たちにとっては最悪の決断だった。
 黒渦団特殊陸戦隊の一部、第三十陸戦中隊にとってもそうだった。
 彼らは紅の炎が燃え盛る戦場の只中に残された。
 本部からは見捨てられ、部下や仲間たちは殺される。帝国軍の弾丸や蛮神の炎によって次々と命が失われていった。昨日まで一緒に笑っていた仲間が、ともに酒を酌み交わした部下が、次々に死んでいく。
 指揮官カイル・ベイリーが爆発による失神から回復し、『地獄』が終わったのだと気づいたとき、中隊は半数以下になっていた。
 辺りには無数の死体が転がっていた。その中にはベイリーが背中を預けた姉の姿もあった。
 数日後、カルテノーには同盟軍の回収部隊が到着する。しかし彼らの姿はなかった。
 ベイリーは仲間を連れて戦場を去っていた。満身創痍、生きているのがやっとという中、軍やメルウィブ・ブルーフィスウィン提督に対する忠誠心など失われていた。
 そして彼らは生き延びた。帝国軍に襲われたこともあった。徘徊する死体漁りの獣どもに狙われたこともあった。野盗を返り討ちにしたこともあった。それでも彼らは助け合い、時には泥水をすすい、屍肉を食らって、戦場を脱した。
 ……数年後。海都に入る一隻のガレオン船の姿があった。名は『揺るがぬ心』号。カイル・ベイリーが率いる傭兵派遣組織『最後の陸戦隊』の帰還であった。
 黒渦団の赤外套を灰色に染めて、彼らは帰ってきた。
「俺たちは見捨てられた。誰も信じられなかった。今まで信じて戦ってきたのに、何も信じられなくなった。俺たちは俺たちだけで生きる必要があったんだ。助けてくれるのは、信じられるのは――仲間だけだ」
「涙が出る話だな」
 僕は五年前の戦場を知らぬ。だから皮肉めいた言葉しか浮かばなかった。お話に同情するにはまだまだ付き合いが短すぎる。
 それをわかっているのか、無精髭の男は薄い笑みを浮かべていた。
「それで『最後の陸戦隊』とやら。お前が僕らを狙う理由はなんだ」
「ちと勘違いがあるな。狙われているのは『あんたら』じゃない。そこのお嬢さんだ」
「…………」
 僕は口を引き結ぶ他なかった。
 わかってはいたけれど、やはりナナシは災いの元になってしまったようだった。
 ううむ、やはり連れてきたのは間違いだったろうか。
 無精髭の男は立ち止まり、僕らを振り返った。
「お嬢さんを絶対に渡すなよ」
「元より渡すつもりもない」
 単純に彼女を渡せばどんな扱いを受けるかわからない。それに僕という人間は、か弱い女を放置できるほど心が腐っているわけじゃないし、他人の言うことに素直に従うのも癪だ。
「なぜこいつを追うのか、理由を訊いても?」
「それなんだが、正直なところ俺にもわからん」
 怪訝な顔をすると彼は頭を掻いた。
「あんたの思ってることがわかるよ。でも本当にわからん。カイルがお嬢さんを欲しがってるのは本当だが、『なぜ』ってのはわからん。あの黒外套の怪しい連中に誑かされてんだろうが……」
 黒外套。
 もしやそれは、赤い仮面を身に着けてはいないだろうか。
 僕が疑問を口にする前に、彼は口の前で指を立てた。
「俺だ。なあおい、訊かれる前に言っておくがこちらは異常なしだぞ、ははは。……ああ了解、すぐに戻る」
 どうやらリンクシェル通信を行っているようだ。
 成程、道理で敵の包囲を回避して行動できたわけだ。
「俺はもう戻る。いいか、その嬢ちゃんは絶対に渡すなよ。でないときっと――悪いことが起こる。戦場を生き抜いてきた男の勘だ、素直に聞いておいた方がいい」
 質問をしている時間はあまりなさそうだ。
 僕は気になっていることを口にした。
「お前、名前は?」
「ジョン・ドゥだ」
「ふざけるな」
 それは身元不明の遺体に付ける便宜上の名前だ。西方のエオルゼア共通語の語彙が貧弱な僕でも知っている。
「別に嘘と思ってもらっても構やしねぇが、本当の名前だし、ずっとそう名乗ってきてんだよ」
 諦めたように彼は言う。僕のような反応は日常茶飯事のようだった。
 どうも嘘を言っているわけではないらしい。
「わかった、ジョン・ドゥ。生きていればまた会おう」
「俺の台詞だろ、そりゃ」
 ジョン・ドゥ――身元不明遺体の名前を持つ不思議な男は、頬を掻きながら来た道を戻っていった。
 僕らは前に進む。
 空は曇り、月は見えない。
 追っ手もしばらくは、大丈夫だろうか。


Chapter 2...end

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