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国家の不条理に抗う精神(番外編)-長谷川テル遺児暁子(暁嵐)・劉星の人生(前編)


 昨年、国家の不条理に抗う精神として、長谷川テルが日中戦争のさなか、中国に侵略を行う日本兵に対して、戦争を止め投降を呼びかける放送を行い続けたことを記事にしました。(※1)今回から、3回に渡って番外編として、長谷川テル・劉仁夫妻の遺児である長谷川暁子さん、劉星さんの人生について、暁子さんの著書「二つの祖国の狭間に生きる-長谷川テルの遺児長谷川暁子の半生-」(同時代社)よりご紹介をしたいと思います。

幸せな幼少期を過ごした暁子さん

 長谷川暁子さん、劉星さんは日中戦争、国共内戦の混乱もあって幼少期を別々に過ごしています。暁子さんは、日本軍に抵抗した長谷川テル・劉仁の子どもであることから革命烈士の子として省・市の幹部の子どもを預かる「馬家溝特級保育園」(※2)、「哈爾濱市東北烈士子弟小学校」の養育者、教員の庇護の下に過ごしたそうです。その時の様子を暁子さんは次のように語っています。

 「烈士」という親の七光りを浴びる孤児の私たちは、共産党の後継者として大いに優遇されていた。クラスの代表として選ばれ、学校の行事でスピーチをしたり、しばしば学校を代表して市の催しに臨んだりしたこともあった。生地の上等なソビエト式のレーニン服を着た男の子と、綺麗なワンピースを身にまとった女の子たちは、どこに行っても温かいもてなしを受けた。私たち烈士遺児自身も人々から期待を寄せられていることを誇りに思い、革命後継者になろうと真剣に考えていた。

長谷川暁子「二つの祖国の狭間に生きる-長谷川テルの遺児長谷川暁子の半生-」P17 同時代社

暁子さんはその後も順調な道を進み、ハルピン市第32高校時代に、中国でのエリートコースである共産党への入党の前段階である組織、中国共産主義青年団に入団します。(※3)ただ、暁子さんは中国の抱える深刻な問題を経験していなかったわけではありません。駅で大躍進(※4)で飢餓で苦しんでいる人びとに遭遇し、飢えに苦しむ男に食べ物をひったくられたことがありますし(※5)、級友が貧しく、食べ物にもありつけない状況のために退学した級友を励まそうとしたとき、保障されている人間と自分とは違うと言われるなどの経験をしています。(※6)ただ、暁子さんは、中国の現状がおかしいことを薄々感じつつも、高校生のときにはまだ中国共産党、国家に対する問題を十分認識する状況にはありませんでした。

世間の荒波にもまれた少年時代だった劉星さん

 暁子さんとは対照的に、兄の劉星さんは世間の荒波にもまれたようです。劉星さんは6歳のときに叔父である劉維さんに引き取られたのですが、その当時中国は、戦後の国共内戦の状況にあり、甥を養えないと判断した劉維さんは劉星さんを寄宿制の瀋陽育才小学校に預けます。中学校の時には生活費を国から支給してもらうという条件で、子どものいない家庭にお世話になったそうですが、その家でうまく折り合うことができず、中学校卒業前にその家を出て、北京の中学校に転校した後は役所から支給される生活費で自らの勉学、生計をやりくりしていたそうです。そんな劉星さんを暁子さんはたくましく、しっかりした考え方の持ち主になっていたと評しています。(※7)

 そんな苦労しながら育った劉星さんは、一生懸命勉強をするしっかりした気骨のある人物だったようです。朝は早く起きて英語、ロシア語の勉強をし、新聞、雑誌に目を通し、午後は小説を読むなど自己研鑽に励んでいました。また、中国共産党の思想教育をそのまま受け入れない批判的精神を確立しており、その状況を暁子さんは次のように語っています。

 夏休み、私の人生観の形成にまで影響を及ぼしたと言ってよい兄の言葉を耳にした。それは、何かの新聞記事をめぐって子ども同士が口論した時のことであった。
 「僕の場合、新聞などを読むのは、この目ではなく、目の奥にある目なんだ。お偉いさんの話を聞くのは、この耳ではなく、耳の奥にある耳なんだ。インクで書かれた言葉にウソがあることは、君たちにはまだ分からないんだ」
 この言葉は、思想教育を愚かしいまでに教えこまれ、これまで誰に対しても疑念がよぎることがなかった私の中に、烙印のように焼き付けられた。

長谷川「前掲」P66 同時代社

血は争えないという言葉がありますが、長谷川テル・劉仁が持っていた国家の不条理や民衆に対する欺瞞を否定する理念を劉星さんも持っていたことがわかります。そしてそんな劉星さんの理念に暁子さんも同じ思いを抱くようになります。次回中編ではその辺りについて、文化大革命の時代に二人が経験したことを中心にご紹介したいと思います。

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脚注

(※1) 国家の不条理に抗う精神(後編)-長谷川テル・劉仁夫妻に見る反戦活動-|宴は終わったが (note.com)

(※2) 長谷川暁子「二つの祖国の狭間に生きる-長谷川テルの遺児長谷川暁子の半生-」P12 同時代社

(※3) 長谷川「前掲」P101

(※4) 中国で1958年から1960年にかけて行われた農業、工業の近代化による増産を目標に行われた建設運動一般。現実の生産力を無視した指令が発出され、数値目標ありきのノルマ達成が相次いだことで経済の混乱、農村部の荒廃を招き、大量の餓死者を招いた。

大躍進(だいやくしん)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)

(※5) 長谷川「前掲」 P76~P77

(※6) 長谷川「前掲」 P81

(※7) 長谷川「前掲」 P67


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