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国家の不条理に抗う精神(後編)-長谷川テル・劉仁夫妻に見る反戦活動-

 国家は、自由と民主主義を理念として掲げている国も含め、巧妙な形で国家に都合のいい主張に人々を従わせるよう、常に誘導を試みる性質を持っています。日本の歴史において、国家が人々を誘導した最悪の結果は、1931年の満州事変による中国侵略に始まる朝鮮、台湾植民地の人々も含めたアジア諸国民への迫害、虐殺、略奪であり、また、侵略を拡大した結果、世界中を戦争に巻き込み、1945年の敗戦に至るまでに民間人を含め多くの犠牲者を出したことでしょう。 

 満州事変以降、日本人が誤った国策を追認したのはなぜなのでしょうか。
 後編の今回は、日本の軍国主義、中国侵略に抵抗した長谷川テル・劉仁夫妻の姿勢について、学び、考察したいと思います。


長谷川テルの理念

エスペランティストとしての行動

 長谷川テルを知っている人はどれくらいいるのだろうか。もしかしたら、年配の方の中には、1980年5月26日に日中合作によるTBSドラマ「望郷の星」で栗原小巻が長谷川テルを演じていたことが記憶に残っているかもしれない。(※1)ただ、長谷川テルがどんな人物であるかを知っている人はほとんどいないのではないか。私自身、長谷川テルの名前を知ったのは、何気に日本の戦争責任を調べていた際、日本の軍国主義に対して抵抗した人物がいたのかを探していた際にたまたまその名を知ったというくらいである。

 それでも長谷川テルのことをなぜ敢えて取り上げるかと言えば、テルは日本共産党と関係がなく、中国国籍を取得したのではないにもかかわらず(※2)、日本の中国侵略を批判し、日本が中国への侵略を止めて降伏することを中国からの反戦放送を通じて強く求め続けたからである。テルが共産主義者ではないにもかかわらず、日本の国家イデオロギーを超える理念を保てた理由としては、テルがエスペランティストであったことが主因であろう。エスペラントはユダヤ系ポーランド人であるザメンホフによって作られた人工言語であり、その理念は、共通の言語を通じて民族、人種、宗教の対立を乗り越えることにある。エスペラントについては、宮沢賢治が影響を受けたことは有名だが、理念としてのエスペラントを理解し、それを実践した点においてはテルのほうが真の意味でエスペランティストと言えるだろう。

 長谷川テルは反戦を主張する理由について次のように語る。

 ただ、さいわいにして、わたしはエスペランティストです。そうです。「さいわいにして」とわたしは言います。なぜなら、わたしがこの日本帝国主義とたたかう革命的な闘争のなかに小さな持場をみつけることができるのは、エスペラントのおかげだからです。
 いまや、わたしたちはエスペラントを国際的な武器としてもっとも有効に利用しなければなりません。「エスペラントをもって中国解放のために」というのは、けっして紙のうえの美辞麗句ではないのです。『中国は吼える』(チニーオ・フルラス)(筆者注:エスペラント語)やその他の雑誌のために協力することは、わたしにとってただひとりの外国のエスペランティストがうすっぺらな雑誌を発行するためにその貧弱な技術を役立てるというだけではありません。わたしがペンを手にすれば、心のなかには抑圧された正義を思う熱血が煮えたぎり、野蛮な敵にたいする怒りが火のように燃えあがるのです。また、わたしの心は中国の民衆とともにあるというよろこびにみたされます。
 お望みとあれば、どうぞわたしを裏切者とよんでくださっても結構です。わたしはこれっぽちもおそれはしません。むしろわたしは他民族の国土を侵略するばかりか、なんの罪もない無力な難民のうえにこの世の地獄を現出させて平然としている人びととおなじ民族のひとりであることを恥とします。ほんとうの愛国主義は、人間の進歩とけっして対立するものではありません。でなければ、それは愛国主義ではなく、排外主義なのです。
 戦争以来、日本にはなんとたくさんの排外主義者が生れたことでしょう。むかしは意識的で進歩的な人間だとか、あるいはマルクス主義者だと自称していたインテリゲンチヤが、反動的な軍国主義者や政治家の驥尾にふして、恥しらずにも「皇軍」の「正義」について太鼓をうちならしているのをきくと、私は怒りがこみあげ、嘔気をもよおしてくるのをどうすることもできません。

(※3) 

 長い引用になったが、ここには長谷川テルがなぜ、国を裏切ったと日本人から激しい反発を受けながらも理念を貫き通すのかがはっきり表れている。テルは、日本が犯した戦争は、国のためとして、武力を用いて他国を蹂躙し、そこに住まう人々を虐殺、隷属化することにあるとして、愛国行為の名に値しない排外主義でしかなく認められるものではないと明言している。その根拠として、自身がエスペランティストという国家の枠を超えた理念を持つ者であることを挙げた上で、中国が日本の侵略戦争に勝利するこそが全アジア、全人類への明日の鍵であるとして、エスペランティストが真の国際主義者である以上は、日本の侵略戦争を止めるよう声を上げないことは許されないことであると主張している。(※4)

テル及び家族への圧力

 このような長谷川テルの姿勢に対し、日本国内は激しく反発した。テルが中国から日本軍に対して降伏、投降を呼びかけたことを知った都新聞は「嬌声売国奴」の見出しとともに、「祖国へ毒づく」、「”赤”くずれ」と、テルの人格を否定せんばかりの罵倒記事を書いた。また、テルの家族のところには新聞記者が押しかけ、父親の幸之助は国に弓を引くようなことを娘がしたら自決する覚悟をすると、死を口にすることを余儀なくされ、父親のところに死ぬことを迫る手紙がいくつも投げ込まれたという。(※5)

 長谷川テルの覚悟の行動はテルの実家に身の危険が及んでいたわけだが、テル自身も決して安泰だったわけではない。日本が中国に侵略戦争を行っている以上、日本人が中国にいることは現地の人々にとって許されるものではない。テルとその夫劉仁が広州にいた際には、現地の警官から日本人ではないかと詰問され続け、夫の劉仁がテルをかばい、彼女は華僑故に中国語を理解できないと追究を逃れようとするも、警官は奥さんが日本人であれば離婚しなければならないと通告したという。(※6)また、同じく広州在住の際には広東国際協会でエスペランティストとして中国の立場を国際的に宣伝するべく務めていたものの、飛行機の音がして上を見上げた際にまぶしさからハンカチで目を覆った行為が日本軍の飛行機にスパイ行為を行ったと誤解され、国外追放処分を受け当時のイギリス植民地である香港行を余儀なくされたこともある。(※7)

 それでもテルが中国に残る意志を強くできたのは劉仁をはじめ、中国のエスペランティストたちが、テルが日本という枠にとらわれることがない真の意味でエスペラントを理解したエスペランティストであったことに理解を示し、支援してくれたことにある。国家のイデオロギーを超え、国籍を超えた理念を持つ人々が理解、協力し合い、何が正しい理念、行動であるかを共有する姿勢が日中両エスペランティストにあることがわかる。また、長谷川テルへの評価は中国人に留まらず、朝鮮人エスペランティストである安偶生もテルをたたえる詩を書いてる。(※8)

 ここまで読むと、エスペランティストでなければ国家を相対化できないのかと思われる方もあるかもしれない。しかし、エスペランティストであることが国家を相対化する視点を見出すのではない。国家を相対化するために必要なのは、理念やイデオロギーにとらわれることなく自分自身の意志をきちんと持つためにどうあるべきかという視点を持つことにある。私は、長谷川テルをはじめとした人たちは自分自身の意志を曲げたくない、曲げないためにどうすればいいのかという事を模索し、葛藤した人たちであると考えている。だからこそ、疑問を封じようとしたり、異議を唱える方向性には疑ってかかることが大切だ。その上で、疑問や異議をなぜ感じたのかをきちんと考え、その背景を調べ学んでいく、そのことが国家権力の誘導に屈しないことへの第一歩であろう。

国家を相対化、客観視する姿勢

 残念ながら、私たちは当時はもちろん今も自分の国を相対化、客観視することなく、無意識のうちに自分の国、よその国という枠で物事を考える。だからこそ、自分の国の利害を脅かすかもしれないという漠然とした不安に付け込む形で、軍事上の不安を煽られた際、それに強く抗おうとしないのはもちろん、人によっては無条件に追認し、流されることすらする。

 現在、台湾危機を煽り、それに関連する形での軍事力強化を主張する声が強い。自民党副総裁の麻生太郎は、先日台湾を訪問した際に「今ほど日本、台湾、アメリカなどの有志国に強い抑止力を機能させる覚悟、戦う覚悟が求められている時代はない」と台湾有事を扇動する発言までした。台湾総統の蔡英文が戦争の選択肢、軍事的対抗を望んでいないと表明しているにもかかわらずである。(※9)台湾、台湾人の立場、主張を省みようとしない麻生の発言からは、台湾を未だに日本の植民地同然にみなしているかのような帝国主義的な姿勢や、台湾で何が起きても日本は関係がないという傲慢さを感じずにはいられない。

 軍事費の倍増を目指す方向性と言い、日本は確実に軍国化の道を歩んでいると言わざるを得ない。中国の一党独裁体制による人々の自由を奪い人権を否定する政治、少数民族への弾圧、大国主義、覇権主義によって東南アジア諸国などの周辺国を威圧する行為は当然に否定されるべきだろう。だが、中国のこれらの過ちを口実に、日本がかつて行った中国への侵略やそれに伴う虐殺、略奪、それらへの無反省による一方的な中国に対する日本の利害、価値観の押し付けが正当化されるわけではない。

 冷静に考えてほしい。私たちは、軍事的緊張緩和に向けた外交努力をするということの大切さを本当の意味で理解し、実践しようという姿勢をはっきり持っているだろうか。軍事ありきの姿勢が偏狭な国家主義を増長し、最悪の事態をもたらす危険性が高いことは日本の侵略戦争に限らず、過去のまた現在行われている世界における紛争から明らかである。私たちは、長谷川テル・劉仁夫妻や彼らを支持した中国のエスペランティストの姿勢から多く学ぶべきではないだろうか。

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

脚注

(※1) このドラマについて、長谷川テルの娘である長谷川暁子(中国名:劉暁蘭)は、ドラマのタイトルは当時の中国共産党トップである鄧小平が自ら題名を執筆したものであり、ドラマが放映された日も当時の中国国家主席である華国鋒の日本への公式訪問の日程に合わせたものであったと自著の中で述べている。
出典:長谷川暁子「二つの祖国の狭間に生きる」長谷川テルの遺児暁子の半生  P228 同時代社

(※2) 長谷川テル編集委員会「長谷川テル」 日中戦争下で反戦放送をした日本女性 P109~P110 せせらぎ出版

(※3) 長谷川テル/高杉一郎訳・解説 「嵐の中のささやき」 「中国の勝利は全アジアの明日への鍵である」P154~P155 新評論

(※4) 長谷川/高木「前掲」P156~P158 新評論

(※5) 高杉一郎「中国の緑の星」長谷川テル反戦の生涯  P143~P144 朝日選書
長谷川テル編集委員会「前掲」P110~P111,P228~P231

(※6) 高杉「前掲」P110~P112

(※7) 高杉「前掲」P131~P133
長谷川テル編集委員会「前掲」P103~P104

(※8) 高杉「前掲」P7~P10
徐京植「過ぎ去らない人々」 P145

なお、安偶生は伊藤博文を暗殺した安重根の甥にあたる。

(※9)

日台米、戦う覚悟が台湾海峡の抑止力=麻生自民副総裁 | Reuters

蔡総統「台湾は地域発展の重要なパワーになれる」(中央社フォーカス台湾) - Yahoo!ニュース

蔡英文総統「戦争は選択肢にない」(2023年5月20日) - YouTube

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