見出し画像

日朝首脳会談20年 ③-宋安鍾「もうひとつの故郷へ」を読む(前編)-

 前回までは日朝首脳会談20年を踏まえ、北朝鮮の拉致事件について日本の社会主義者、進歩派がきちんと総括をできなかったことの問題、在日朝鮮人からの視点に関する考察について太田昌国著「「拉致」異論 日朝関係をどう考えるか」を中心に考察をして参りました。(※1)3回目の今回と4回目の次回は現代思想2007年2月号に掲載された宋安鍾著「もうひとつの故郷へ」を中心に考察をして参ります。

はじめに

 前々回、前回と、日本人拉致事件について日本の進歩派、社会主義者が拉致は許されないが、日本が朝鮮植民地で行った戦時下での強制動員(いわゆる「強制連行」)、従軍慰安婦、関東大震災時の虐殺が免責されるものではないという形式めいた批判について、太田昌国が北朝鮮という国家の問題点自体を批判するという視点がなかったことを指摘したことに触れた。これはこれで重要なことなのだが、太田の視点にはやはり在日朝鮮人社会が北朝鮮をどう考えてきたのかという視点には欠けている側面はある。(※2)

 もちろんこれは私を含め日本人自身が在日朝鮮人社会への接触が少ないし、理解をするという努力が欠けていることが原因であり、一人太田のみが批判されるべき問題ではない。また、太田の視点は日本人拉致事件についての論点というよりは、日本の進歩派、社会主義者のあり方に対する批判が中心ではあるが、これは太田の本来の専門がラテンアメリカ問題であり、在日朝鮮人社会や朝鮮半島の情勢には精通していないということも原因である。

 そこで、私たちとは別の視点で北朝鮮に対する批判的な考察をした一在日朝鮮人である宋安鍾「もうひとつの故郷へ」を取り上げることとした。一在日朝鮮人と記したのには、前回も触れたが、在日朝鮮人は一つの存在として成り立っているわけではないにもかかわらず、在日朝鮮人を一面的なモノトーンで見ることで、私たちが在日朝鮮人に対してステレオタイプの形でみる傾向に対する戒めの要素もある。在日朝鮮人が実際には多様な存在であるということを認識することが、私たちのなかにある差別、偏見を克服する一歩となるということを踏まえ、本論を進めたい。

他郷暮らしという意識

 宋の「もうひとつの故郷へ」のキーワードとして挙げられるのが「他郷暮らし」ということだろう。帰還事業(※3)では在日朝鮮人のみならず在日朝鮮人と結婚した日本人も北朝鮮へ渡航している。その中で日本にいる親族宛に北朝鮮で貧窮した生活をしていることが記されていたことについて宋は次のように言う。

 米政府ととともに、国連安保理での対北制裁案採択を実現した彼らもまた、対岸の地で日本人が刻む、辛酸な他郷の暮らしに、容赦なく鞭打ち据えた者たちであろう。
 「帰還事業」で共犯関係にあった金日成と岸信介、その息子と孫が、敵対的相互依存関係を反復して核武装を追求し、それぞれが、眼中の外にある対岸の地の朝鮮人と日本人の生を、さらなる苦境へと追い落とす。なんとおぞましい構図であろうか。(※4)

 朝鮮人帰還事業で配偶者とともに北朝鮮に渡ったことで、故郷である日本を離れた日本人の境遇を、宋は在日朝鮮人の境遇と重ねていると思われる。宋の視点にあるのは国家の側が国家の領域外にある者たちに対して、自身の行動で国家の領域外にある自国民が影響することがあるにもかかわらず、自身の行動の結果に対して責任を負おうとしない国家およびその権力の座にいる者たちへの批判であると言えよう。

 以上の点を踏まえた上で、北朝鮮の言動に対して日本国内で非難されることを余儀なくされる在日朝鮮人の苦境について宋は次のように述べる。

 虫けら以下を自覚する末端の朝鮮人が、言挙げもせず耐え忍ぶのは、金正日体制を支持するゆえではない。受益者どころか、この体制の「対日工作」や、核開発を手段とした瀬戸際外交によって、かくも踏み躙られ、追い詰められているのだから。彼/彼女らは、みずからとその家族のため、老いた親たちを養うため、過疎と景気の沈滞に悩むこの地を下支えする労働の現場で、ただ働き続けることであろう。ことばにならない無念を積むことがなりわいのような、他郷の暮らしに容赦なく鞭を打ち据える、対岸の地の指導者や有権階級に対し、やり場のない憤怒がこみ上げる。(※5)

 宋は在日朝鮮人について、植民地時代に諸般の要因でこの地に流れ着いた人々とその末裔が他郷暮らしを余儀なくされている存在と認識した上で、他郷暮らしを余儀なくされていることで時に社会で言われなき白眼視に晒されることの苦しみを北朝鮮の当局が理解をしていないとして批判する。もちろん北朝鮮の国策の問題点を理由に、日本国内における在日朝鮮人への差別、偏見が正当化されるわけではない。ただ、宋の認識からは、北朝鮮当局が在日朝鮮人に対して決して理解をしているとは言えない状況であることをうかがい知ることができる。

国家に振り回され続けた在日朝鮮人 

 宋は「もうひとつの故郷」で知人の在日朝鮮人のおじが福井で原発労働者に従事していることに触れる。その中で、北朝鮮がミサイルを頻繁に日本海へ発射することについて、原発にミサイルが被弾をする可能性の恐怖、ミサイルが漁船に着弾することの恐怖、そうした恐怖による北朝鮮への不信が在日朝鮮人に向けられ、地域社会で積み上げてきた在日朝鮮人の信用が失われる苦悩をどれだけ北朝鮮の当局は理解をしているのかと批判する。(※6)そこには、日朝間での政治的な対立で一番被害を被るのは在日朝鮮人であることを認識させられる。

 宋は在日朝鮮人について次のように語る。

 朝鮮半島両国家のナショナリズムや、偶然そのエスニシティに生まれ落ちるという万人共通の所与からも切れたところで「それでも朝鮮人としてたいねん」、と切実に希求する私/たちもいるのだ。(※7)
 連綿と「純粋な」血統を継ぐ、同一の価値観を信奉する単一民族だけから更正される、均質な空間を、いまなお執拗に欲望するひとびとが多数派を占める、朝鮮半島と日本列島の二つの地域・三つの国家のはざまを生き、絶えざる血統・言語・文化の混淆、国境線を跨いだ在弱な生活圏を生きるほかない私/たち(注.在日朝鮮人)・・・(※8)

 日本、朝鮮半島における政治的、社会的な理由から日本からも朝鮮半島の両国家からも一人の市民として扱われず、また、政治的理由などから絶えず社会に翻弄されることを余儀なくされ続けた在日朝鮮人の言葉だけでは表現できない想いが日本人である私にもわずかではあろうが伝わってくる。単純に共生社会とか差別、偏見は許されないといった表面的な人権思想で超えることができない壁が私たち日本人と在日朝鮮人の問題にはあるのではないだろうか。その課題は重いが私たち日本人はこの問題を避けることがあってはならないだろう。

- - - - - - - - - - - - - - -

 いかがだったでしょうか。次回のnote記事は宋安鍾氏の「もうひとつの故郷へ」(現代思想 2007年2月号)の後編について宋氏の生い立ちを踏まえ、考察して参りたいと存じます。
 

皆が集まっているイラスト2

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

(※1)

(※2) 例えば金光翔は太田の「拉致「異論」について次のように批判をしている。

 自分たち左翼の日本社会での「立ち位置」にしか関心がなさそうな、太田昌国(和田への批判者でもある。太田の『拉致異論』という本は、要するに、左翼のアリバイづくりの本である)その他の大多数の左翼よりも、はるかにマシである。

(※3) 帰還事業については、ほとんどの在日朝鮮人が朝鮮半島南部の出身にもかかわらず、朝鮮半島北部である北朝鮮を故国として帰還するというのは不適切ということから、北朝鮮へ送るという意味で「北送事業」と表現する人もいる。

(※4) 宋安鐘「もうひとつの故郷へ」「現代思想2007年2月号」P128  青丘社

(※5) 宋「前掲」P127

(※6) 宋「前掲」P127

(※7) 宋「前掲」P131

(※8) 宋「前掲」P132

(※9) 宋「前掲」P128

サポートいただいたお金については、noteの記事の質を高めるための文献費などに使わせていただきたくよろしくお願い申し上げます。