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部活は多様性に対応できるか-中澤篤史・内田良共著「ハッピーな部活」のつくり方より-

「功績」を強調する垂れ幕

 (いつの間に部活や生徒の「功績」を強調する垂れ幕が出始めたのだろう。)そんなことを近所の学校の「○○部地区大会出場」、「○○コンクール入賞」といった垂れ幕を見る度に感じる。学校からすれば地区大会出場やコンクールでの入賞における自校生徒の「優秀さ」、「功績」を強調することが学校の評判の向上になるし、保護者の中にも自分の子どもと関係している部活動での功績を校内外で評価されたいという思惑から「功績」を強調するよう学校に求める動きがあるため、「功績」を強調する垂れ幕が相次ぐのだろう。

 また、地区大会出場やコンクールでの入賞があると、学校の朝礼などで報告され、当該部活動部員、顧問が生徒、教職員全員の前で拍手をもって「功績」をたたえられ、学校のトップである校長から「お誉め」の言葉を「賜る」。このようにして部活動が本来の趣旨である生徒主体のレクとしての楽しみから、学校や自身の「名誉」、「功績」のための活動と化していく。

 部活が「功績」をあげた場合に表彰することが制度化されると、「功績」を挙げることが中心の部活動となり、顧問に専門性が求められるため、顧問が指導の名の下に部活の生徒を管理し、試合に勝つための生徒が中心となった部活の構成となる。そのため、レクとして部活動を楽しみたい一般の生徒は参加しにくくなる可能性も懸念される。もちろん部活における勝利至上主義や過酷なノルマによって人間関係が悪化することや陰湿化する可能性も懸念されるだろう。(※1)

 勝利至上主義による過酷なノルマ防止の対策としては、静岡聖光学院ラグビー部のようにスポーツ科学に基づき練習量と休息をきちんと管理して全国大会に出場する事例、短時間・主体性練習で全国2連覇を成し遂げた春日部市立豊野中学校バスケットボール部などの事例がある。(※2)ただし、それらの事例も根本においては顧問の指導方法に依拠している側面は強く、顧問が変わることで成績が落ちる可能性は強い。加えてこれらの事例自体が勝利至上主義、顧問の指導性という点では変わりはない。今回引用した事例とは別に内田良は(※2)で引用した前掲同著の中で本格的にトップを目指したいのであれば、専門性や費用面の観点から学校での部活動には限度があり、民間のクラブに加入して技術を磨くのがいいのではないかと指摘している。(※3)

「ゆる部活」という概念

 勝利至上主義と異なり、一般の生徒がレクの一環としての部活動を行うやり方の一つとして、「ゆる部活」という活動の中身が緩い部活があるという。前掲同著によると、世田谷区船橋希望中学校の「軽運動部」、同区東深沢中学校の「体力向上部」がこれに当てはまり、楽しむことを重視し、参加することも本人の自主性に任せるという。(※4)生徒の自主性、レク性を重視するという意味ではこのような動きがあることは評価したい。

 また、欧米の部活に相当する課外活動では季節ごとにいろいろなスポーツを行うということも一般的であるという。(※5)大人と違い、生徒は勝負に拘る傾向が強くなりやすく、いろいろなスポーツを体験する機会を通してスポーツの多様性、違いを理解し、勝つことだけがすべてではないということを理解させる試みとしても望ましいのではないか。

部活の限界および生徒の本分

 部活についてはその部活のことを理解している専門家が行うべきという観点から、教員とは別に「部活動指導員」を設け、彼らとの連携によって顧問教員の負担を軽くする試みのほか、磐田市のように学校単位ではなく磐田市内の複数の中学校生徒が合同で部活を楽しむ「磐田スポーツ部活」という学校内の枠に留まらない部活動の試みもある。(※6)学校の枠に閉じこもることで閉鎖的な傾向になりがちな部活動のあり方に外部の風を送り込む試みと言えよう。

 とは言え、部活動自体が学校という枠組みの中にある性質上、生徒、保護者のすべての要望に応えることはできないことについて、学校側を始めとした行政、教育関係者が生徒、保護者への理解を求めるように積極的に動くべきではないか。私は内田と同じく専門的な技能を磨きたいためにスポーツや芸術を極めたいという生徒は学校の部活動ではなく、地域のスポーツクラブや各種学校など専門家の下で技術を磨くのが妥当であると考える。現に本気でスポーツの技術を磨きたいと考えている生徒は地域のスポーツクラブに入る傾向が近年見られ、部活が衰退する事例もある。(※7)部活は勝利至上主義を改め、自身の身の丈に合った本来の趣旨であるみんなが楽しめる場であったほうが生徒、教師にとっても負担が軽減される点で望ましい。

 また、前掲前著の中で内田はラグビー強豪校の國學院久我山の監督中村が学校の授業、勉強あっての部活ということを強調したことを挙げ、部活の大会が平日にある場合に授業を休む事例があることを問題視している。(※8)部活の勝利至上主義が部活至上主義になる典型例と言えよう。当然、部活熱心で「功績」を挙げさえすれば顕彰することが勉強、授業を軽視することにつながっていることも考えられる。何のために学校に行くのかということを考えると、やはり学生の本分は勉強であり授業である。勉強、授業と部活が両立できないのであれば部活をやるべきではない。部活の「功績」の名の下に学業を疎かにしないようにすることは部活を行う際の前提条件であろう。

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(※1)  部活、とりわけ試合やコンテストでの勝負が多い運動部や吹奏楽部などでは勝利至上主義になりやすい傾向があることは下記のnoteで述べた。

(※2) 中澤篤史・内田良共著 「ハッピーな部活」のつくり方 P168

(※3) 前掲「ハッピーな部活」のつくり方 P121

(※3)の引用個所は内田の執筆であることが明記されているが、(※2)で引用した箇所は中澤・内田の共著という形であり、どちらが執筆したかはわからないが、文章の中身からすると中澤の可能性が高い。

(※4) 前掲「ハッピーな部活」のつくり方 P158

(※5) 前掲「ハッピーな部活」のつくり方 P90

(※6) 前掲「ハッピーな部活」のつくり方 P139-P141

(※7) 本記事は私が以前書いた「文化部の意義について」で引用したものを再引用したものである。

(※8) 前掲「ハッピーな部活」のつくり方 P107-P108



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