見出し画像

信仰に対する雑感②-遠藤周作展を見学して(前編)-

 私のキリスト教信仰を省みる記事の2回目になります。2回目の今回は、前編、中編、後編の3回に渡って、私の遠藤周作に対する想いと町田市民文学館ことばらんど(以下「町田市民文学館」)で昨年開催された遠藤周作展について皆さんと一緒に考察して参りたいと思います。

 前編の今回は、遠藤周作に対する私の想い、遠藤周作展開催の背景についてご紹介したいと思います。


はじめに-私の遠藤周作に対する想い-

 私は遠藤周作を知ったのは、小学生の時に読書自体に抵抗感があった私に「狐狸庵閑話」を母親が勧めたことがきっかけでした。ただ、その後中学生のとき一般的な知識、教養を得たいという想い(※1)から、何気に「沈黙」、「海と毒薬」、「白い人・黄色い人」を読みました。その際に遠藤周作の作品に魅せられたためか、もっと遠藤作品を読んでみたいと思うようになったのです。

 これらの小説は、今までの自分が今まで読んできた漫画はもちろん、子ども向けの児童文学などに見られる、ナイーブな明るさとプラス思考の世界観、狐狸庵閑話に見られるユーモアさなどとは当然異なる文学作品でした。現実に生きる人間の愚かさ、悲しさ、世の中はハッピーエンドになるとは限らない、といったことを表現した作品だというのが中学生時代に読んだ感想です。

 中学生のときは、まだ遠藤周作の文学作品の中にあるキリスト教を踏まえた人間の中にある罪と神意識、日本人のキリスト教観といったことを理解できていたわけではありません。ただ、これらの作品からは、現に生きる人間の深さを理解し受け止め、人間のすべてを受け入れようとしているのではないかと初めて読んだときに漠然と感じました。もし、遠藤の人間観が否定的でニヒリスティックなものであり、救われない存在であるというものであったならば、私の興味を惹くことはなかったのではないかと思います。

 また、遠藤自身の作品も時代によって変わってきます。遠藤の初期作品である「白い人・黄色い人」、「海と毒薬」においては、作品全体が重く、神、キリスト教観についても救いよりは、キリスト教信仰の影の部分を感じる意味ではある種の絶望感だけが残ります。これに対し「沈黙」、「深い河」といった作品においては登場人物が人間の愚かさ、悲しさ、社会の不条理さに翻弄されながらも、神は自分のことをどんな事があっても見捨てないというキリスト教信仰における核となる部分を感じさせるストーリー展開を感じます。

 この辺りは、クリスチャンかキリスト教信仰に対する知識に対する関心がない方にはイメージがつかみにくいところではあるかもしれません。また、私も遠藤周作の作品をすべて読みつくしたわけではないので、読み方の浅さといった部分は否めません。その辺りについてご指摘いただけたら、コメント欄などにお書き添えいただけましたら幸いです。

遠藤周作展を見学する

はじめに

 遠藤周作展のことを知ったのは東京新聞の地方欄の記事(※2)を読んでいたときでした。記事には、昨年2023年は遠藤周作生誕100年を記念し、「町田市民文学館ことばらんど」で遠藤周作の文学作品を展示する「遠藤周作展」を開催するとありました。かつて遠藤周作が町田市の玉川学園に結核療養のために住んでいたこと、町田カトリック教会のミサに参加をしていたことなどを知っていた私は、学芸員の解説がつく日時を選び見学に行くことにしました。

「町田市民文学館ことばらんど」入口

 遠藤周作展を訪れた当日ですが、学芸員解説がつく日時を選んだこともあってか、老若男女20人程度の方が集合場所にすでに待機をしていました。そのなかにはメモを取るべくすでにペンとノートを持つといった熱心な方もおり、気合の入れ方が違うと感じさせられました。

 はじめに、学芸員の方から遠藤周作展を展示している町田市民文学館についての設立の経緯について説明がありました。学芸員の方の説明によると、町田市民文学館は、遠藤周作が亡くなった際に遠藤周作に関連する蔵書、資料などが遺族から提供がきっかけでつくられた文学館であり、森村誠一の監修の下に2006年に開設されたとのことでした。

 また、町田市民文学館では、遠藤周作に関する展示を今回の展示を含め、3回行っているとのことでした。1回目は2007年の「遠藤周作とPAUL Endo 母なるものへの旅」、2回目は2013年に「遠藤周作『侍』展―人生の同伴者に出会うとき」、そして今回の遠藤周作展となります。今回の展示は遠藤作品を中心としており、生前の未発表作品で遠藤の父親と母親の離婚についての遠藤の想いを表現した「影に対して」のほか、「白い人」、「海と毒薬」、「沈黙」、「侍」、「スキャンダル」、「深い河」について原稿及び関連作品が展示されていました。次回からは2回に渡って、学芸員の方の解学芸員の方の作品解説について、解説に関する私の感想も踏まえてご紹介したいと思います。 

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

脚注

(※1) 本を読むこと|宴は終わったが (note.com)

(※2) 2023年10月17日 東京新聞 朝刊 P18

 遠藤周作さんの功績紹介 生誕100年記念展 直筆原稿など 町田で21日から:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)

サポートいただいたお金については、noteの記事の質を高めるための文献費などに使わせていただきたくよろしくお願い申し上げます。