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政治に対する雑感6-政治とカネの問題に思うこと(前編)-

 昨今の政治資金パーティを巡る「政治とカネ」の問題に関する考察になります。前編では1990年代前半のいわゆる「政治改革」での「政治とカネ」の問題への対応、「政治とカネ」の透明性をどのように確保するべきなのかについて考察します。


「政治とカネ」に関する「政治改革」における問題

 政治資金パーティの売り上げで得た金の、政治資金収支報告書への申告不記載を巡る問題が連日報道されている。俗に言う「政治とカネ」に関する不正の可能性が高いこともあり、政治不信を増長させる、政治家と特定のつながりを持つ関係者、団体などとの癒着政治であるとの批判を耳にする。

 だが、私はこの連日の報道を耳にする度、では、リクルート事件に端を発した1990年代初頭に行われたいわゆる「政治改革」の意味とは一体何だったのかという想いを抱かずにはいられない。(※1)「政治改革」の問題については、すでに「政治に対する雑感2-政治「改革」とは何だったのか-」「政治に対する雑感5-選挙制度神話」でも述べてきたところであるが、ここでは「政治とカネ」の問題という観点から述べていきたい。

 「政治改革」にまつわる議論が「政治とカネ」の問題から始まったことは事実である。しかし、なぜ政治に金がかかるのか、政治と金の透明性を確保するにはどうしたらいいのかといった議論がなされることはほとんどなかった。「政治改革」にまつわる議論は先に挙げた私のnote記事でも少し触れているが、「政治とカネ」の問題が起こるのは政権交代がない状況が続いているからであり、政権交代が可能な制度にするために現行の中選挙区制度を変更する必要があるという選挙制度の問題にすり替わっていった。(※2)そして「政治とカネ」の問題の本質であるなぜ政治に金がかかるのかについては、政治は金がかかるものという前提に基づき、政党に国税から助成金を交付し、政党の健全な政治活動を促すということから「政党助成金」制度が設けられることとなった。(※3)

 しかし、この政党助成金は本来の目的とは異なり、野党政治家の政治活動の資金源確保に利用されるケースが多い。現に、昨年11月30日に前原誠司が結成した新党「教育無償化を実現する会」は政党交付金目的によるものではないかとの指摘がなされている。(※4)政党助成金を創設しても、法律上政治家に政党助成金だけで活動することを求めているわけではないので「政治とカネ」の問題が解決されないまま、金の問題で特に苦慮することが多い野党政治家の資金源としてだけ活用されているのが政党助成金の実情と言えよう。

「政治とカネ」の透明性の確保に必要な事

 また、今回の政治資金パーティについては申告がないことの問題点が指摘されているが、政治資金パーティに対する法規制自体にも問題がある。政治資金パーティにおいては20万を超えるパーティ券の購入を行ったケースについてのみ、購入した者の名称を記載義務を課している。逆に言えば20万円以下であれば購入した者の名称を記載する必要がない。(※5)また、寄付行為についても年間5万円以下であれば同じく記載の必要はない。(※6)ここからは、政治資金パーティは金額が大きいことや、名義を複数用意することで抜け道となる可能性はある。

 寄付行為は年間5万円だから匿名でも問題にする必要はないと思う人もあるかもしれない。また、特定政党や政治家に名前を出すことを嫌がるという人がいるから匿名で出したいという人に配慮するべきだという声もあると思う。しかし、私は「政治とカネ」の問題が出てくるのは、私たちの中に「政治とカネ」の問題についての透明性の確保、つまり、政治資金がどのような形で提供され、その結果政治資金を提供された政治家がどのような活動を行っているのかということをきちんと見極めるという意識がそもそも欠いている姿勢に根本的な原因があると考える。

 私は、すべての寄付行為、パーティ券購入の金額については、1円からすべて提供した個人、企業、団体の氏名を公開するべきであると考える。やましさがなければ匿名性を担保する必要性などないからだ。その上で、政治資金の流れに不正がないかをチェックするための独立行政委員会を設置するべきだと考える。「政治とカネ」の問題の根本的な問題は政治資金の透明性の確保が担保されないことにあるからだ。

 理想としては組織による企業団体献金ではなく、個々人による献金に基づく政治活動であるべきだろう。ただ、日本では個人が主体的に政治家を応援するという環境が十分に整っていないのも事実である。以上を考えると、まずは、個々人が政治家に献金をする環境を整えると同時に、政治家に政治資金がどのような形で提供されているかを完全公開とすることで「政治とカネ」の透明性を確保に対処することが求められると考える。

 そもそもなぜ政治に金がかかるのだろうか。また本当に政治活動に必要なやむを得ない金とは何なのだろうか。私は「政治とカネ」の問題を考える場合、政治資金がどのように使われているか、またそれが社会に還元されるものなのかという観点が必要であると考える。次回後編では政治に金がかかる背景、本当に政治活動に必要な金とは何なのかについて考察して参りたい。

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脚注

(※1) 日本世論調査協会が2024年1月6日に行った政治改革30年に関する全国郵送世論調査結果によると、1994年の政治改革について「評価しない」と「あまり評価しない」を合わせた数値が計73%との結果が出た。
(2024年1月7日 東京新聞 P3 2023年1月8日 東京新聞 P20)

(※2) 衆議院選挙制度に関する協議会が昨年12月26日に出した報告書について、立憲民主党国対委員長の安住淳は、派閥政治、金権政治が選挙制度を変更しても変わらないのであれば、選挙制度をもう一度検証しなければならないと記者団に語っている。(2023年12月27日 東京新聞 P2)
 検証をするのは当然としても、なぜ、政治とカネの問題が選挙制度の問題にすり替わったのかという本質的な問題に対する検証がなければ、政治とカネの構造的な問題は変わらない。本文や、(※1)での調査結果にもある通り、政治「改革」そのものの妥当性が問われていると言えよう。 

(※3) 総務省|なるほど!政治資金 政党助成制度 (soumu.go.jp)

(※4) (社説)前原新党 野党結集 口だけでなく:朝日新聞デジタル (asahi.com)

前原誠司氏が表明 新党結成が「年末の風物詩」になっている理由 | 毎日新聞 (mainichi.jp)

前原新党「政党交付金もらうためでは」初めて口を開いた国民・玉木氏「代表選は何だったんだ」|FNNプライムオンライン

など

(※5) 総務省自治行政局選挙部政治資金課「政治資金規正法のあらまし」 P6

(※6) (※5)

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