政治参加の欠如-市民運動への無関心・不信-
はじめに
緊急事態宣言下におけるオリンピック開催を巡り、マスコミの各種世論調査はもちろんネット世論でもオリンピック開催に対する不信に満ちている。緊急事態宣言は医療崩壊阻止のために、公の施設や娯楽施設など感染を拡大する恐れのある施設、商店に対して規制をかけることで感染拡大を防止することが主である。医療が逼迫し、また今次の新型コロナウイルスによって犠牲となるのが、医療現場で日夜闘っている医療関係者であり、そして免疫力がない高齢者や重大な疾患を抱えている人たちであることを考えれば、規制がかけられるのは不可避である。ただそれには日常の生活に対する規制、負担が避けられないのだが、そんな中にあってオリンピック開催だけが特別視される状況に対する不満が表れていると言えよう。
緊急事態宣言下でもオリンピックを開催するというIOCの姿勢は日本の医療逼迫を容認するのも同然である。IOC会長の自己犠牲が必要という発言が日本の世論の反発を受けた際に、日本人を意味しているものではないと釈明をしたが、緊急事態宣言下でのオリンピック開催の主張と相俟って、反発を招いた側面は否めないだろう。もちろん、IOCのこうした態度を許す日本政府、東京都、大手メディア(※1)も含めたスポンサーの責任は当然問われる。
なぜ、行動に移せないのか
しかし、オリンピックへの不満があるが、具体的な抗議活動の動きは元東京都知事候補の宇都宮健児のオリンピック中止の要望署名(※2)、新日本婦人の会 江東支部による五輪観戦計画中止の要望署名(※3)以外にはあまり目立った動きはない。オリンピック中止について医労連が5月12日にデモをした(※4)ほか、立川相互病院がオリンピックはムリ、と訴える張り紙をする(※5)など、医療関係者が医療が逼迫している状況を無視する形でオリンピック開催ありきの態度で臨むIOC、政府、東京都、スポンサーらに抗議の姿勢を示している。
だが、そうした動きは一般の人にはあまり見られない。これらの動きを好意的に見守っている意見が多いことは、ネット掲示板の書き込みや各種世論調査で中止を求める動きが多いことからうかがい知ることができるが、そうした動きが市井の民衆に広がらない。IOC会長の緊急事態宣言でも開催を行うという態度には、民衆が抗議をする動きが具体的な形で表れないからではないかという意見もある(※6)
密集を避けるということでデモ、集会を行いにくいという事情はあるかもしれない。ただ、それであれば別のやり方でオリンピックに対して抗議を示すやり方はある。署名活動はもちろん、例えばオリンピック抗議のためにオリンピック反対のバッジを作り、それを身につけるといった方法や、地元の政治家に対してオリンピックを中止するように働きかけるといった方法がある。それでも私たちの中にそうしたことをためらう心理的な要因は何かということを考えたい。
政治不信と諦め
私たちは投票という形で選挙に参加をしているが、選挙は、J・J・ルソーいうところの「選挙が終わればかれら(議員)の奴隷」という状況でもある。しかも、その選挙も公職選挙法によって素人が簡単に参加できないような規制がかけられている。元々戦前に自由民権運動を規制するために、藩閥政府が規制をかけるためにできた法であることを考えると、ルーツからして選挙の仕組み自体が非民主的なのである。その意味では、私たちは選挙のときだけ主人というのも幻想であると言える。
では、議会制民主主義への補完的な意味合いとして、議会をチェックするという要素を持つ市民運動はどうであろうか。飽くまで私の市民運動に参加した経験上のことだが、市民運動は従来の政治との決別を主張しながらも、実態は民主的に運用されず運動の中心となるボスやその取り巻きのような人たちが牛耳っていて、他の人たちは雑用係のような扱いをされているという傾向がママあった。誤解のないように述べると、彼らは別に特定の政党の関係者というわけではない。しかし、それでも非民主的体質が起きることは珍しくない。
私は2021年4月3日の「私の「政治」観-生徒会・自治活動について-」(※7)で、私たちに政治的訓練がなされてあらず、そこに日本社会の中における民主的な体質が育まれない根本原因があるのではないかと主張した。ただ、それ以外にも私たちの中に政治運動を行っている人が特殊な人たちであるという不信感があるのも原因であると考える。それは、政治がある種の特殊な社会であり、私たちとは違う世界とみなしていることを意味している。
それでも行動を
とは言え、それでも一人ひとりが、選挙以外の形で各々が許す範囲で運動に参加することを通じて政治に声をあげるというやり方を否定するべきではないだろう。政治に対して議会や利益団体と異なる形で主張することで、利益団体や選挙のときの声とは違う意見があることを政治家に認識させるだけでも、政治家に緊張感を与え、政治家が支持を得るために態度を変える可能性があるからだ。最初に挙げたオリンピックの問題についても、医療関係者の人とともに私たちが歩む、そのためにどうしたらいいかを彼らとともに考え、そして行動することが肝要ではないだろうか。できることは限られているし、政治参加に対して不得手な私たちの声が上手く反映するのは厳しいものがあるが、やれるだけのことはやろうというのが私の考えである。
私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。
(※1) 2021年5月23日に信濃毎日新聞の社説で、5月25日に西日本新聞の社説でオリンピック中止を主張しているほか、5月26日には朝日新聞が社説でオリンピックの中止を主張した。ただ、どのメディアも朝日新聞を含む大手メディアのスポンサーの責任までは言及していない。
なお、週刊誌では週刊ポスト(2021年5月24日号)が五輪スポンサーである大手新聞6社も含めたスポンサー企業に対してアンケート調査を実施しているほか、朝日新聞の社説の姿勢に対して批判的な記事を書いている。
信濃毎日新聞、西日本新聞、朝日新聞のオリンピック中止の社説
週刊ポストの大手メディアに対する五輪スポンサーへの質問状
2021.05.26 13:30 NEWSポストセブンの朝日新聞のオリンピック中止に関する批判記事
(※2)
(※3)
(※4)
(※5)
(※6)
(※7)
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