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日々の雑感⑤-ある芸能ニュースを見て感じたこと(前編)-

 不破遙香(芸名「フワちゃん」)の安井かのん(芸名「やす子」)のツイッター返信投稿について2回に渡って考察します。前編では、ツイッターの返信投稿の内容について述べたいと思います。


はじめに

 安井のツイッター投稿に対する不破の返信投稿が、世間の反発を招いた結果、不破は出演したgoogleのCM中止、ニッポン放送の番組降板、活動休止に至った(※1)。不破に関する記事には、遅刻癖、飛行機内での迷惑行為(※2)、空港スタッフ、マネージャーへの傲慢無礼な態度など自分に甘く、他者への配慮、思いやりに欠ける行為をしばしば行っていた様子が記されている(※3)。以上を考えると、今回の公衆道徳に欠ける投稿だけではなく、普段の不破の言動、態度の問題などが積み重なったことが、活動休止に至ったと言える。

「笑い」の持つ要素

 誰しも「笑い」に対する好みの差こそあれ、「笑い」そのものを否定する人はいないだろう。「笑い」は、日常の生活においての苦しみに対する清涼剤であり、また楽しさの一つという意味で人生において欠かすことができない。ただ、表現としての「笑い」は必ずしもすべての人にとっての「笑い」となるとは限らない。

 例えば、バナナの皮で滑って転んだ人を笑う、というオーソドックスな例があるが、それは第三者であるから笑えるのであって、バナナの皮で滑って転んだ人にとっては災難でしかない。それが「笑い」の範囲で収まるのは、転んだ人にとっての災難が取返しがつかないダメージになっておらず、対象者の人格、尊厳が否定されていないということが前提となっているからだ。

 また、遠藤周作は「嫌がらせ」をエスプリとユーモアを併せた精神であるとし、相手が権力をカサにきる時、ウヌボレ屋である時、偽善者である時、自己陶酔にある時に行いたくなるとしている(※4)。この場合における「笑い」は、ある種の批判精神や、相手に誤りの気づきを間接的に諭させるという意味合いを持つ。具体的な事例としては、狂言、宮廷道化師、漫才でのボケに対するツッコミなどがこれに該当するだろう。これについても対象とされた者にとっては、災難であるが、ある種の気づきを促すという意味で許容されるものであると言える。私は、才能があり、芸を磨くことを惜しまない芸人、コメディアンは、「笑い」が時にある種の残酷さ、厳しさを持つことがあることをきちんと理解した上で、いかに「笑い」を表現するかに絶えず悩み、葛藤をしている人たちなのだと思う。

不破の返信投稿は「笑い」とは言えない

 フランス哲学者の福田肇は、安井の「生きているだけで優勝」という投稿(※5)について、意思疎通の有無、自立能力、QOL(生活の質)、生産性などで判断される現実において、知的障がい者、要介護者などの人々の生きる価値が軽視されている現実を無視した、芸人のノリであっけらかんと言い放ったものでしかないと批判する(※6)。福田の批判には、安井の投稿内容が現実において、生きる価値がないとして差別、偏見にさらされている人びとの存在を捨象する可能性に対する懸念が表れていると言える。

 ただ、安井の投稿が建前論-例えば、ホームドラマを題材にしたアニメの世界では通用するだろう-であるとしても、安井の投稿に「笑い」の形で返すのであれば、「生きているだけで優勝」というのは幻想でしかなく、生きていること自体に価値がないとされている人たちないし、生きることに価値を見出せない人たちがいることを「笑い」で表現できるだけの能力が、当然求められる。「生きているだけで偉いので優勝」という表現に対して、「お前は偉くないので死んでください、予選敗退」と返した表現が、「笑い」の表現としてのレベルに達しているとはとても言えない。言葉に対して、逆の言葉で混ぜ返して面白がる子どもの悪ふざけでしかない(※7)。

 福田は不破の返信投稿を安易なヒューマニズムに対する反感の表れとしているが(※8)、それだけの信念が不破にあるのであれば、謝罪や弁解ではなく、反発、反感を覚悟の上で安井の投稿は偽善であると主張できたハズである。ここからしても、不破の返信投稿は、日ごろの問題行動の延長としての奇抜さをネタにして売っているものでしかなく、福田の言うような意味はないとするほうが自然だろう。

 安井は、「とっても悲しい」と、不破の返信投稿に対して、「笑い」とはみなさない形で応じた。元々は芸人になろうとした不破であったが、後輩で芸人として活動している安井から、不破の返信投稿を「とっても悲しい」と返されたことの意味をどのように考えるのだろう。

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 いかがだったでしょうか。次回は、不破の問題行動を奇抜さと捉え採用した業界関係者と、不破の安井への嘲笑をはじめとした一連の公衆道徳に欠ける言動を発達障害と結びつける行為に対する批判的考察について皆さんと一緒に考えたいと思います。

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

脚注

(※1) Xユーザーの朝日新聞(asahi shimbun)さん: 「フワちゃん、芸能活動休止を発表 SNSでの不適切投稿めぐり https://t.co/ESXhWTBcXr タレントのフワちゃんは11日、芸能活動を休止すると、自身の「X」(旧ツイッター)で発表した。」 / X

(※2) もちろん、客室乗務員に到着の遅れなどを、航空政策の名の下という理由で国会議員といった公人、社会的地位が高い人物が威圧的な態度をとることは問題外である。

(※3) 「もう応援やめる」飛行機での“迷惑行為”炎上中のフワちゃん、自分を棚にあげての他者批判にファンも失望 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌] (smart-flash.jp)

「何様なんだろう」フワちゃん、今度はマネージャーに逆ギレ…直らぬ遅刻癖より深刻な “他人に責任転嫁” の悪影響 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌] (smart-flash.jp)

「何度注意しても…」フワちゃん 『行列』収録中の“スマホいじり”オンエアは「番組からの制裁」だった | 女性自身 (jisin.jp)

(※4) 遠藤周作 「”嫌がらせ"のすすめ」 「ぐうたら生活入門」 P33~P39

(※5) Xユーザーのやす子さん: 「やす子オリンピック 生きてるだけで偉いので皆 優勝でーす😄😄😄😄👏👏👏👏✨✨✨」 / X

(※6) 「やす子よりフワちゃんのがロジカル」…フランス哲学者「失礼キャラで売り出したタレントを『失礼だ』と干す大矛盾」寛容性低い日本社会 - みんかぶ(マガジン) (minkabu.jp)

(※7) 言葉の混ぜ返しで笑いをとるやり方としては、ドリフターズの学校コントで行われたことわざの授業がある。教師に扮するいかりや長介の「石橋を叩いて渡る」との言葉に対し、悪ガキを演じる志村けんが「いかりやを叩いて殺す」と混ぜ返し、いかりやが怒るというコントである
 不破と同じく死にまつわる不謹慎な言葉が使われたコントだが、ドリフターズにおける絶対的な強者であるいかりやに対して弱者であるドリフターズーの一員がやり返すという意味と、志村を悪ガキと設定することで、悪ガキを「いかりやを叩いて殺す」という不謹慎なことを、恥ずかしげもなく平気で口にする笑いの対象として、表現している意味がある。加えて、このやり取りはドリフターズのメンバーの間での芸に対するプロ意識、信頼関係がないと成り立たないコントでもある。さほど親しくない関係の上、先輩である不破が、後輩の安井に「死んでください」と返したのとは趣は異なる。

(※8) (※6)同

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