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葉梨前法務大臣の発言に思う

葉梨失言の本質が理解されているか

 葉梨前法務大臣(以下敬称略)が「法相は死刑のハンコをつくだけの仕事」と失言したことについて、死刑に関する問題を軽く考えているとして批判を受けその責任を取る形で辞任をした。辞任に際して葉梨は「国民に不快な思いをさせ、内閣にも迷惑かけた」と語った。(※1)この辞任における葉梨の「反省」の弁には死刑という刑罰が人の生命を奪うという行為であるという観点がなく、死刑に処せられる、処せられるだろう立場の者からの視点がまったく感じられない。単に世論の反発を受けたことが問題であり、大臣辞任という形で責任を取るという発想だけである。葉梨が受刑者や死刑確定囚の人権という概念を理解していないか、理解していても軽視していると言わざるを得ない。

 ただ、受刑者や死刑確定囚の人権があることを理解できていないのは一人葉梨だけではない。 今回の葉梨失言について芸人のカンニング竹山は、葉梨の発言を軽率であるとはいえ「そんなに騒ぎ立てることでない。」と自身が出演するテレビ番組でコメントしている。(※2)

 この竹山の発言は日本社会における犯罪を犯した人物への価値観が見事に表れている。三面記事のネタに使われやすい犯罪事件などが起きると、事件を起こした者に対して、メディア、SNS上などを中心に、感情的かつ煽情的に事件を犯した者に対する人間性のすべてを否定する非難が起きる。これらの非難からは犯罪事件を起こした者は人間ではない、という態度が表れている。死刑執行は人の命を奪う行為なのだが、犯罪を犯した者は人間ではないという発想からは、死刑執行を問題視する発想は生まれず、死刑にまつわる失言を問題視する発想も生まれない。竹山の発言を批判するのは簡単だが、葉梨の失言も竹山の発言も本質的なところはもっと根深いものがあると言えよう。

私たちは死刑の本質に向き合っているか

 日本は死刑の情報公開に対してきわめて消極的だ。一般市民の死刑囚に対する面会はまず許されず、死刑囚との面会は原則として親族、弁護士などに限定されているほか、手紙などによる外部との通信も厳しく制限されている。(※3)死刑に関する情報も死刑の執行についての情報は知らされるが、なぜその死刑囚が執行の対象となったのか、死刑判決を出した裁判所の量刑判断が過去の判例と比較して適切と言えるのか、死刑そのものに対する合憲か違憲かの問題、死刑の執行に関する具体的な基準や理由などが法務大臣から説明されることはない。死刑執行は法務大臣の裁量権の範囲内という名の下に、具体的な理由が示されることなく死刑が執行されるのである。

 また、死刑執行の際、死刑囚が立っている床の踏み板を外す装置を作動させるボタンは複数あり、複数の刑務官が同時に押すことで刑務官が一人で悩まないようにさせている(「なるとされる」か? )。一人だけではなくみんなでやれば大丈夫という、集団で行うことで責任の所在をあいまいにさせるというきわめて日本的な悪弊の象徴がここにもある。

 当然、以上のような状況では私たちは死刑囚が普段どのような状況に置かれているのかを知ることはできない。死刑囚の親族や弁護士、元刑務官の証言などから間接的に死刑囚がどういった日常を送っているのかをうかがい知るといった状況に留まっている。

 死刑囚が世間から隔離されていることは、私たちが死刑囚を意識することがなく、死刑という刑罰自体が私たちとは関係がない問題とみなす状況に置かれていることを意味する。日本において死刑について世論調査で肯定の結果が出るのは、(※4)死刑に対する積極的な肯定というよりは、現状で自分たちの生活に影響がない以上、特に反対をする理由がないという他人事の様相も呈している。

死刑に対して向き合うことの意義

 葉梨の失言、竹山の葉梨失言擁護について元刑務官として死刑執行に携わった人物は次のように批判する。

(葉梨失言に対し)あの法相は警察官僚でしょう。それなら尚のこと、死刑執行がどういう行為なのか、そして現場の職員がどういう気持ちで職務にあたっているのかを知らなくてはいけないはずです。(※5)

(竹山の擁護に対し)法相のあの発言がただスベッただけやなんていう擁護や同情は、理解し難いですよ。拘置所の現場を何も知らない人が、笑いをとるためになんで死刑を引き合いに出すのか。(※5)

 元刑務官は死刑執行の状況を知らない、知ろうとしない葉梨や竹山の姿勢を批判しているが、これは葉梨、竹山だけにとどまらず、私たち自身への問いかけでもある。私たちが死刑の問題を他人事のように考えていることは、死刑に関する責任、問題を死刑に携わる刑務官に押し付けていることになるからだ。葉梨失言におけるメディア報道は政治家の責任問題という政局の側面が強調される傾向にあった。だが、むしろこれを機に死刑の問題についてきちんと向き合うことこそが私たちに必要なことではないだろうか。

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

(※1)
葉梨法相が辞表提出「国民に不快な思いをさせ、内閣にも迷惑かけた」 朝日新聞デジタル (asahi.com)

(※2)
カンニング竹山 葉梨法相の「死刑のはんこ」発言に「騒ぎ立てることでない」本人の反省で十分と私見― スポニチ Sponichi Annex 芸能

(※3)
法務省:刑事施設に収容されている被収容者との面会や手紙の発受等を希望される方へ (moj.go.jp)

(※4)
基本的法制度に関する世論調査 2 調査結果の概要 2 - 内閣府 (gov-online.go.jp)

(※5)

「絞首刑台のスイッチは4つあって4人で押す。その執行手当が2万円。押したら罪の意識は消えません」【辞任した“死刑はんこ大臣”に元刑務官たちが怒り心頭】(集英社オンライン) - Yahoo!ニュース

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