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本を読むこと2-情報から身を護るために-

 知り合いの家庭教師が近頃の学生、生徒はSNSに書かれていることをすべて真実であるかのように言って、自分に話してくると苦笑をしていた。本を読むとか新聞を読むとかそうしたことはしないのかと私が返すと、彼ら、彼女らは本や新聞はウソが書かれていると主張していると真顔で話すとのことであった。

 私は、今挙げたような話は極端な事例であると考えるし、新聞などはウソの情報で満ちているという陰謀論についてはSNSが登場する以前から、カルト宗教、自己啓発セミナー、学生を対象とした両翼の政治団体など狭いサークル活動内で喧伝されてきたことであり、内容自体には何ら目新しいところはない。ただ、SNSの場合は気軽かつ不特定多数が閲覧できるという意味で、従来の情報媒体とは異なる側面がある。だから、リテラシー能力に欠ける未成年者はもちろん、普段から物事に対する批判的考察よりも単純で面白おかしく話を展開する内容、あるいは自分に都合のいい情報だけにしか接しようとしない人たちにとってはSNSほどありがたいものはない。(※1)常に自身が希望する情報に接することができるからだ。それは、従来の情報媒体である一方向性の要素が強いテレビ、ラジオ、持ち運びに不便な紙ベースの本より電子媒体に落としたものを読みたいという発想もSNSへの傾斜に拍車をかけている。

 SNSでの情報に振り回されない方法は、主張が事実や根拠に基づいて行われているか否かという点にある。陰謀論あるいは一方的な主張の根拠は、事実に基づかないかあるいは都合の悪い情報を隠蔽している傾向がある。したがって、私たちは主張について異論や反論などに接すると同時に、各論がきちんと事実と根拠に基づいているかどうかを行うことが求められる。

 陰謀論、フェイクニュースに対する批判はアメリカのトランプ政権時代にしばしばなされた。アメリカの建国理念は、民主主義を根本理念としているが、民主主義がきちんと機能をするには情報がきちんと公正性をもって伝えられ、またそれに対して人びとが正しく理解できるようになることを前提としている。ナチスドイツのプロパガンダ、軍国主義体制下の日本の大本営発表が権力にとって都合のいい一方的な情報であることは今では知られているところであるが、当時はそうしたことを批判できる風潮はできなかったし、人によってはそれすら認識できなかったのではないか。その意味ではアメリカの世論がSNSを通じて一方的な主張を展開し続けたドナルド・トランプの持つ虚偽性を批判し続けたことは大いに意義のあるものだったと言える。

 ただ、批判的考察、主張が事実、根拠に基づいているかどうかを理解するにはやはり長期に渡って様々な文献、本を読み、多様な知識を得ると同時に批判的な考察を身につけることが必要になってくる。そのためには、専門家から良書と呼ばれている本、古典や、その本、古典を正しく解説している解説書を読むことが求められるだろう。未成年者の場合には教育者からどういう文献が妥当かといった助言が求められるだろうが、一般の社会人も専門的な本を読むときには、できれば専門家が主催する読書会のようなところで本を読むことが望まれるだろう。その意味では本を読むことは受動的でなく、積極的に自分はどう考えるかが求められるし、好き嫌いなどの感情論に惑わされないことが求められている。

 その意味で、私は本を読むことについてまだまだ足りないと思わずにはいられない。本を正しく読むということは一生かかっても多くの人は達成できないことなのかもしれないが、正しく読むためにいろいろと尽力することが大切なのではないかと考える。

皆が集まっているイラスト1

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(※1) 関連してフェイクニュースに惹かれる心理としては次の動画がある。


 

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