日々の雑感③-お金にまつわること-
お金を得ること
私も含め、お金はいらないという人はほとんどいないと思います。現に、私は、金貨が天井からどんどん降ってこないかなとよく思ったりします。私たちは、お金を介して、自身の生活に必要な物資、サービスはもちろん、自身の趣味、娯楽に伴う物資、サービスを受けています。日本円に対する価値の下落が指摘されてはいるものの、少なくとも現状では、日本円を使うことを通じて日々の生活が成り立っているわけです。である以上、資産家や地主といった不労所得を得ることができる人を除けば、基本的には日々の労働と引き換えにお金を得ることで生計が成り立っていると言えます。
近年、日本人の金融リテラシーの欠如が指摘されていることを踏まえ、2022年より高校の家庭科において金融教育が必須(※1)となりました。クレジットカード払いによる自己破産などをどう防ぐかといったことも考慮すると、お金という概念を客観的に理解することは自分の身を守るために大切なことであり、お金について考えることは卑しいことといった道徳的・倫理的理念だけで考えるのは現実的とは言えないでしょう。
また、よく、FIRE(Financail Independence Retirement Early・経済的自立による早期退職)を目指して投資を行い大金を得る、ないしは不労所得を得ることで早期引退を目指すという話を耳にします。現にnote記事でもそうした記事は多いです。これらの動きは、お金、金融を学ぶことの意味とは何かということを主体的に考えることが一人ひとりに問われていると言えるでしょう。
ただし、投資による資産の増加、不労所得にはリスクが伴うことも否定はできません。投資先の会社、業種自体が不振になることはもちろん、経済そのものが天変地異、国際情勢の変化、資源の高騰、金融危機などの非常時においては、平時の安定した投資による資産の増加、不労所得は望めなくなる可能性が出てきます。機関投資家など専門的知識が身についている人であれば、情報の真偽の正確性も含めてリスクに対応し、リスクを最小限に留め、リスク後の回復軌道に乗せることが可能でしょう。
しかし、多くの人はアマチュアレベルであることには変わりなく、非常時の際のダメージへの対応に即座に対処することができず、労働による収入がない場合、日々の生活を維持できなくなる可能性があります。その意味では、ほとんどの人にとっては、投資による資産の増加、不労所得によるFIREを目指すよりは、日々の労働による収入に重点を置き、投資によってお金を増やす場合は、余裕資金の一部を付随的に行うのが現実的と言えるでしょう。
お金を使うこと
お金は前述した通り、現代社会においては、私たちの生活を維持するため、また自分の趣味、娯楽のサービス提供のために必要なツールです。ただ、お金を使う際に問題となるのは、お金を無尽蔵であるかのような錯覚をするケースがあるということです。その中で有名なものとしては、カードローン決済の濫用による破産のほか、宝くじの高額当選、遺産の相続、退職金といった大金を手に入れた際に、それらを使い切るないしは必要以上に使って破産するというケースがあります。これらの事例は、お金をコントロールするのではなく、お金にコントロールされている状況にあると言えるでしょう。
なぜ、お金にコントロールされてしまうのでしょうか。私は心理学の専門家ではないので、以下に述べることは、あくまでも憶測でしかありませんが、① 今までお金がないことで我慢・抑制してきた願望・欲望を実現したいという想いを我慢できなくなった、② お金は自身の望みをかなえる手段の一つでしかないことを忘れ、お金によって自身の望みを実現する魔法の杖のように思いこんでしまった、③ お金が無尽蔵ではないにもかかわらず、お金によって今まで以上のより良い生活ができると錯覚し、生活水準を上げたことで自分が予想したよりも多くの消費を行っていた、といったことがあるのではないでしょうか。お金にまつわる失敗は、人間が欲望に負けてしまう私たちの中にある心の弱さの表れと言えます。
欲望に負けてしまう私たち
チャップリンが「ライム・ライト」で演じたカルヴェロが人生に絶望したヒロインに人生に必要なのは勇気、想像力、少しのお金と語っていることからも、私たちはお金がないことの苦しさを無視することはできません。チャップリン自身が少年時代貧しい生活を強いられていたことを考慮すると、「少しのお金」という言葉はより重みを増してきます。しかし、お金によってすべてができるかのように錯覚することは、逆に本当の意味で大切な価値に気づかないまま過ごすことにもなりかねません。
お金以上に大切な、人とのつながり、人を愛し、また愛されるということの大切さを理解し、実践することが、本当の意味でのお金の意義を理解することになるのかもしれません。このような考え方は、昔から言われた月並みかつ表面的な美しい言葉に過ぎないことではあります。ただ、人間らしく生きるということは、お金のような移ろいゆくものに自身を振り回されることなく、自分を見失わないために本質的に大切なものは何かに気づくことでもあると考えるのです。
私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。
脚注
(※1) 高校向け 金融経済教育指導教材の公表について:金融庁 (fsa.go.jp)
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