森田童子と森高千里

 最近立て続けに森田童子と森高千里の名前を本の中で見付けた。

 ようやくステージに戻ってきてギターをまた抱えると、森高千里の《渡良瀬橋》を、その次に同じ歌手の《SNOW AGAIN》を歌った。歌が終わりに来ると、その声ははっきりとしわがれはじめていて、グラスの水を勢いよく飲んでも無駄なことだった。
 最後のコードを弾きおえ、ギターを床に置いた。
 馮露葵は、今晩のショーはここで終わりだとばかり思っていたのだが、思いがけないことに晏茂林はまた立ちあがってピアノに向かい、最後の一曲を弾き語りした――森田童子の《ぼくたちの失敗》。この歌を歌いおえるとステージへ戻り、軽く頭を下げて、テーブル二つだけの客に感謝を述べた。
「おれの最後のショーを見にきてくれて、ありがとうございました」
(陸秋槎『雪が白いとき、かつそのときに限り』)
 チョウは、これ、知ってる? といろいろ検索してはスマホの画面を私に見せた。YouTubeの、森田童子の「ぼくたちの失敗」。知ってる、と私は応えた。とても繊細で哀しくて、しかし美しい曲、とチョウは言う。
 この曲は古い曲だけど、九〇年代にドラマで使われて再びヒットしました、と私が言うとチョウは知ってる、「高校教師」で観て好きになった、と言う。
 この歌手はこのあいだ死んでしまった。
 そう、ニュースで観た。
 あとこのひとも好き、とチョウが言って、また見せてくれたスマホの画面には森高千里が表れており、この流れでなぜ?と思い笑ってしまった。
 このひとは、私が年をとってもあなたは私を愛してください、という歌を若い頃に歌っていました。いまこのひとは年をとりましたが、しかしいまなおきれいです、と私は言ったが、うまく伝わったかわからない。
(滝口悠生『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』)

『やがて忘れる~』は世界各国の作家が招待されるアメリカ滞在プロジェクトに参加した日本の作家の日記で、チョウは香港からの参加者。『雪が白いとき~』は中国の推理小説。中国語圏では森田童子と森高千里はセットで人気があるのだろうか。

「ぼくたちの失敗」が再ヒットした93年に「渡良瀬橋」もヒットしているので、YouTubeでその時代のドラマや曲を辿って知ったのかなとか考えてしまう。

『雪が白いとき~』の方を先に読んでいたから、『やがて忘れる~』で森田童子の後に森高千里が出てきたとき「なぜ?」とはならず小躍りした。

 全然関係ないものの間に妙な共通点を見付けると嬉しくなってしまう。こういう癖をこじらせて人は陰謀論にハマっていくんだと思う。私がロスチャイルド家の世界支配について語り出したら、誰か息の根を止めてください。

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