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類友

noteっておもしろい!
小説を読んでる気持ちになる。

江國香織をリスペクトしている人の日記やエッセイは
特にきゅんとする。「あーこれこれ」と嬉しくなる。

そういえば、自分の中学時代の親友は、かなりの確率で江國香織を読んでいた。朝読の時間、江國香織を読んでいた。
中学生の自分は、本を読むことは得意ではなかったけど、江國香織だけは好んで読めて。「自分も小説にときめける!」と感慨深く思った時があって。


中学を卒業してからも、色んな友だちができた。

協調性に溢れすぎていて、先生からヤンキーまでに好かれるバレー部女子。(今はやっぱり教員。)

唯一ゆっくりできる昼休みも、お箸片手に携帯ゲーム、イヤホンしながらも、時々会話に入ってくる子。
お昼ご飯中、目が合ったことそんなに無かったわ(笑)

運動会の綱取り(別名「女子の戦争」)で、負けた時膝から血を流しながら泣き叫ぶ子。

修学旅行で脚のマッサージとメディキュットは欠かさない子。(親がデブに厳しいらしい。)

ひくほどのジャニオタ。クラスの自己紹介では、最後に決めポーズ(ダブルピース)してた。

朝会で「性」についての注意喚起があった時、耳元で「俺まだヤッたことないねん。」と急に童貞宣言してくる子。



まだまだ他にも、色んなジャンルの友だちができた。
でも、それらの殆どの子たちは江國香織を読まなかった。

その友だちとは、一緒に買い物したり、映画を見たり、音楽を聴いたり、写真を撮りに出かけたりはできなかった。

別にそんなことしなくても楽しいねん。
一緒に話してるだけで楽しいねん。
尊敬もできるしな。
でも、「きゅん」とするものが違った。
それだけ。

中学時代は、江國香織の小説にきゅんとするような人としか友だちになれへんって思ってた。

でも、そうではないことに気づいた高校時代。
この世の中には、色んな類の「きゅん」があることに気づいた高校時代。



類は友を呼ぶと言うけれど、呼びあえることは奇跡。
同じ類を探すのってかなり大変。
中学時代が奇跡やっただけ。
というか、中学時代に「類」に所属したのかも、友と「類」を作ったのかも、「類」が友を呼んだのかも分からないけれど。




同じ類でなくても、友達にはなれる。
でも、やっぱり類が恋しくなるのが本音。
「きゅん」とするものを共有したい。

SNSが浸透した時代は、類を探しやすい。ハッシュタグで類にヒットできる。友になれる場合もある。

せっかく平成に生まれて、令和を生きることができているので、積極的に活用して類を見つけて「きゅん」を共有していきたいなと思う。

小学生の読書感想文より長くなった最後に締める言葉がこれかいって感じやけど、言えば、
noteっておもしろい!(笑)






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