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苦あれば苦あり/怒涛のマイナスイベント1(2022/2#10)

 自宅から出て、いつものように自転車置き場へ向かう。屋根もない雨ざらし状態で、サビサビであることにいつも何かを思わずにいられないが、この自転車は私の重要な相棒の一つだった。私の活動範囲を広げてくれるうえ、置き場所さえきちんとしていれば格安で遠くまで行ける。

 自転車を走らせて片道一時間なら余裕である。

 ただ、自転車を使って配送業をする気は起きなかった。この自転車は福岡から関東にやって来てから間もなく購入したもので、八年ほど使っているものだ。大事にしているとは思っているが、メンテナンスの知識はない。せいぜい、タイヤに空気を入れて、たまにタイヤを交換し、自転車屋さんにオイルを差してもらうくらいだ。

 それもそろそろ、といったところだった。自転車屋さんも「もうあぶない」ということを仰られていた。今の財力では新しい自転車に手は出せない。壊れてしまうのも危険だが、このタイミングで移動手段を失うのも手痛い損失だった。

 しかし、この日。自転車の施錠を外し、片足スタンドの固定を足で外した瞬間。

 カツゥーン!! と高い音とともに、自転車の「足」だったスタンドが折れてアスファルトに転がった。

 意味が分からなかった。私の足は空を蹴るように軽く跳ね、その勢いでスタンドが折れてしまったかのように見えた。

 折れるの、これ?

 初めて出た感想はこんな貧弱なものだった。

 幸い、この日の予定は誰かと約束しているわけでもなく、店を予約していたわけでもないので、急遽私の予定を変更して自転車屋さんに直行した。本当なら予約しなければ入れないのだが、幸いなことに接客中ではなく、売り物の自転車のセッティング中だった。

 私も何度かお世話になっているうえ、さすがに五年以上も運用している自転車となると覚えてくださっている。どうもー、と軽い挨拶のあと、私はスタンドだったものを差し出した。

「あの、これ……」

「なんですか?」

 完全に茶色に変色してしまった鉄の棒。何も知らなければ、これが自転車のいわゆる「片足スタンド(キックスタンド、サイドスタンドとも呼ぶ)」だとは思わないだろう。

 しかしさすがはプロだ。この自転車屋さんはお若い方だが(実年齢は知らない)、一目見るだけでそれが何なのかを察して、自転車の後輪部分を見た。折れた根元を確認したのである。しかし断面を見ればそれがもう繋がることのない鉄であることは紛れもない現実だった。

「なるほど、これは……困りましたね」
「なんとかなりませんか」

 我ながら頭の悪い問い合わせである。自転車屋さんは「んー」と少し考えてから言った。

「ハマる在庫があれば……見てみます」

 考えたこともなかったが、なるほど自転車のサイズによって片足スタンドにもサイズがあるのかもしれない。もしくは、装着する際にパーツによっては可不可があるのかも。なんにしろ、素人には何も出来まい。

 自転車屋さんは程なく戻ってきた。手には未開封のパーツが握られている。

「ありました! 装着しちゃっていいですか?」

「はい、お願いします」

 無いとどこに乗り入れたとしても寝かせて置いておくことしかできなくなる。寝かせて置く、もしくは壁などに立てかける、というのは駐輪場でもかなりリスクがある。「放置自転車」と見なされ、回収されてしまう可能性があるのだ。回収されてしまえば当然、事務手数料等々の支払いが待っている。

「いや、いいです」と答えることはできなかった。

 しかし……。

「二千五百円頂きます。お支払いは処置が終わった後で」

 これだ。空気を入れる、オイルを差すといった作業は無料であることがある。しかし今回ばかりは話が違う。在庫があったことは幸いであったし、コトが発生したのが平日でなかったことも不幸中の何とやらと言えるものの、この出費はあまりにも大きすぎる。

 食料品なら、一週間分プラスアルファの買い置きくらいにはなったはずだ。

 これも幸いだったが、財布には払えるだけの金額が残っていた。

 生活に必要な出費なら仕方がない。

 これが、怒涛のマイナスイベントのスタートでもあった。

カバー写真:unsplash
撮影者:Takemaru Hirai

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