体重を減らすために食事を見直そう 2021/1(5)
ダイエットとは、ただひたすら体重を落とすのが目的ではない。
もし体重を落とすだけでいいなら、多分なにも食べない『断食』を実施すればよろしいかと思われる。修行のような『断食』ではなく、ただひたすら何も食べない。お水とお塩があれば生きていけるらしいので(事実なのかは分からないし、試したくもない)、それでなんとか命を繋ぐことは出来るだろう。
だが、食べ物を摂らないことによる弊害は私自身が経験済みだ。利点は何もない。
ケース1:舞台の音響係。スケジュールの都合、昼食が食べられなかった。
シンプルに意識が遠のいた。
昼食を抜いただけなのに、フッと目の前が暗くなり視界が狭まった。なんとか気合で乗り切ったものの、一度だけ音のタイミングを外してしまった。
それでも演技が途切れないようにしてくれた役者様には脱帽である。同時に申し訳なかった。なんでもいいからお腹に入れなければいけなかったようだ。初の仕事だったので準備が足りてなかったようだ。
この経験から、少なくとも私は三食(もしくは補える間食)がないと日中を乗り越えられないことを知る。
ケース2:ボイストレーニング。第一次財政難時、食事を細くした状態で長距離移動とレッスン。
立つことが出来ず、倒れる。
眩暈というか、頭が重たくなってそのままダウン。意識はあるが三十分以上身動きが取れず。
あの時は電車に乗るお金が無かったので片道一時間(約14キロ、やや高低差あり)の距離を自転車で疾走した。運転中にふらつかなかったのが幸いだった。
一時間自転車に乗ることくらいは余裕だと思っていた。実際は身体に負担がかかっていた。財政難ということもあり精神的にも参っていたところも原因かもしれない。
ケース3:ラジオ収録。第一次財政難時、食事を細くした状態で長距離移動と収録。
視界のブラックアウト再び。歩行者にぶつかりそうになる。
かろうじて避けたが自分は転倒。間抜けである。時間的には夜間で視界が悪かったのもあるが、判断力の低下が凄まじかった。歩行者にケガがなかったことが幸いだ。
距離にして一時間とニ十分(約20キロ)。軽く栄養失調気味だったのかもしれない。
といったように、私にとって『食べない』という選択はリスキーなのだ。断食をするにはそれをフォローする行動が必要である。
まあ、普通に考えれば分かる話ではある。
小学生~中学はかなり食べる部類だったのでその影響かもしれない。豪傑と呼ばれていた。
過食ではない。と思う。吐いたりはしたことがない。あの時に膨らんだ胃はさすがにもう落ち着いてるだろう。でも食べ放題は好き。当面は行けないけれどね。
ここでおさえておきたいのは、「私にとって、食事量を厳しく制限するのは特に意味がない」ということだ。
食事制限だけで体重をコントロールするのはあまり良策ではない。結局なにかを間食として口にしてしまうだろう。それでも頑張って我慢をすると、こんどはイライラし始める。
いいことが何もない。
では何もしないのかと言うと、それはそれで違う。
私がとった行動は、調理の際の油の量を正確に計ること。いままで目分量で「これで大さじ1だ!(多分)」でやっていた。
結果、かーなり使いすぎていたことが判明。
「えっ? 油の大さじ1ってこんだけ? こんだけ??」
「ごま油これだけなん……?」
「マヨこんなに使って大丈夫……?」
「バター多くない? 多くない? これ平気?」
この繰り返しである。
推定だが小さじ1の気分で大さじ1程度の量を突っ込んでいたり、大さじ1と思って大さじ3相当の量を垂らした可能性がある。アカン。そら増えるわ、体重が。
油は油だ。脂質である。多ければその分カロリーになるわけだ。こええ。
目分量、ダメ絶対。醤油などの液体の調味料はちゃんと計るのに……。
調理法にも気を付ける必要がありそうだ。そういえば砂糖も割と大雑把にしていたな。甘いものが好きでつい。これも良くなかっただろうなあ。
調理については現在も気を付けている。
写真:pixabay.com/
撮影者:mediazeit
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