好きな人を好きでいること


この話はすべて、メールをして2週間後の約束ができる人たちのことではなくて、お金を払えば見に行くことのできる人たちについてです。


今年の7月、わたしが8年間大好きだった人が表舞台から身を引きました。
彼には20年来の仲間も何万人のファンもいたけれど、「音楽で今後の人生を全うするべく」、事務所をぬけてグループをぬけて彼は一人になりました。

誰かの’ファン’であるということは、好きな○○の欄を埋めるような軽い気持ちから、自らのアイデンティティの一部を担う位の大きなものまで様々だと思います。わたしは自分の生活に必死になればすこし彼から離れることもあったけれど、その時期が過ぎれば必ず彼の歌に帰りました。彼の歌を求めました。

あまりに憧れて、大事で、生で見ることをためらい続けた挙句、
結果的にわたしの行ったライブが彼の出演する最後のツアーになりました。

彼の歌は魂でした。
わたしたちをどこまでも連れて行ってくれました。

彼の決断は世界に沢山の変化をもたらしました。
ある人はTwitterをやめました、ある人は仕事を変えました、
わたしは「明日は我が身」を知り、「永遠なんてどこにもない」と分かり、
同じように彼を好きだったはずの人たちから口々に吐き出される自分と全く違う意見に、自分と100%分かり合えるのはこの世に本当に自分しかいないのだと、強く強く学びました。

彼は今日もどこかで、見たことのある笑顔で、聞いたことのある関西弁で、くたっとした服を着て、音を楽しんでいるのだと思います。


貴方の好きなあの人も、わたしの好きなあの人も、いつかは必ず何処か遠くに行ってしまいます。声の聞こえないところに、笑顔の見えないところに。
わたしの信条は、それを常に忘れないこと、ではありません。

むしろ反対です。
そんなことは考えなくてもよい、というか、考えたくないです。
今わたしの前にいるその人を、できるだけ大きな愛でできるだけ大きな声で応援したい、今その人が生み出すものを発した言葉を仲間との笑顔をたまに見せる涙を、全力で全身で楽しみたいと思うのです。



夏から姿を見せない彼はある意味、
わたしの中でいまや永遠になったのです。

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