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モノと心の整理で手に入れた光景

この記事は、2年前に綴っていた「大人の思春期」の続編です

発想の転換で、手を動かす

それは、まるで玉ねぎの芯に向かって一枚一枚皮を剥くような作業だった。
外側は明らかに不要。
芯に向かうほど「自分にとってなぜ必要?」と質問を繰り返す。
不要なモノを手放すと、不思議と頭の中のゴミも出ていくような感覚だった。 
気持ちのスッキリも一日、一日積み重ねていった。

プロジェクト初日までに家中の収納場所を開け、中身を全出しして、不用品の仕分け作業を繰り返す。ブランド物、まだ使える家電は、メルカリで出品する、リサイクルショップに持ち込む、買取業者に訪問見積もりをお願いする。
中でも、効率が良いのは、古着でワクチンというサービス。3300円で巨大な紙袋を購入し、業者に引き取りにきてもらうもの。必要なワクチンが受けられない子どもたちに、ワクチンや衣類が届けられる仕組み。
罪悪感がなく、むしろ世界の循環経済圏に自分が仲間に加わり、役に立っている、そんな感覚を覚え、格別に気持ちが良い。
子どもたちへの声かけにも張りがでる。

「さぁ、この衣装ケースの中の何を寄付する?」

自分は要らなくなったけど、必要な人に使ってもらう。
この発想と思考で、手がどんどん動いた
結局、人は心が解放されないと動けないんだ、と。

心理学に基づく行動原理から、潜在意識にアプローチしていた。
「もったいない」という価値観を別の角度から捉えなおして心の解放につなげる。
凝り固まった頭を柔らかくし、これまでと異なる行動を促すには、インスピレーションが不可欠で、講師の先生はもちろんのこと、サポーターや同期のみんなの投稿や声掛けがとても役立った。

人の動線検証って…私の専門じゃないか!


不用品を家から出す作業が終わると次は、自分と家族の動線検証と最適な物の配置について仮説と検証を繰り返しながら試すフェーズ。
かつて、今の住まいの建築計画で徹底的に考え抜いた動線は化石化していた。

教わったメソッドに沿って、一つ一つ実施していく・・・。
あれ…?人の動線検証って、わたしの専門じゃないか!
大学、大学院では建築や空間分析、そのベースになる学問として人間工学やProgramming Design(人の行動観察通じてニーズを特定し、あるべき空間の要件を導く方法論)を学んだ。
家族の生活動線をとにかく観察して共感して「本当はどうしたいの?」と思いを引き出すコミュニケーションをする。
わたしが仕事で生業にしているデザイン思考じゃん

愕然とした。

偉そうに教育講座で講師をして、1番身近な家族に何もできていない…
それからというもの自己嫌悪の嵐。

行動観察の結果、様々な気づきを得るが、1番大きな気付きは
私が1番共感すべき相手が娘だった
、ということ。
1番家を散らかす娘は、一番不利な生活動線で日々の忙しいスケジュールをこなしていたのだ。

この気付きを、きっかけに物事の見方がガラッと変わり
どうすれば、流れるように娘が(もちろん、息子も)生活できるか試行錯誤を繰り返した。
部屋の入れ替え実験もした。
家中ひっくり返るような、モノの移動。

カバン置き場の検証から、脱いだ服をまとめる場所、バレエグッズから帰宅後の靴クローゼットの配置場所まで。
最初から上手くいくことはなく、できない状況を観察して別のアイデアを試す。
途中、子供たちとの対話で、涙が溢れることもしばしば。
とにかく素直に、言われたことをがむしゃらに進めた。

自らの過ちを認め、得た結果

家庭内に広がる光景は、自ら引き起こした結果だった。
その気づきと、不都合な真実を受け入れたあとは、迷いはない。
前に進むだけだった。

子どもは、言われたことはやらんけど、見たことはやるんよ!

彩智さんのこの言葉は身に染みた。
私がブツブツ愚痴のように吐き捨てていた
子供たちへの「片付けなさい!」は
自ら率先範疇することが、1番の早道だった。

プロジェクトが終了を迎える頃、子供たちの行動に変化が見えてきた。
常に玄関がピカピカ
靴クローゼットの自分の棚エリアに靴をしまって家に入る習慣が身についたのだ。

家族みんなが、玄関のキレイを維持するように変化

玄関に投げ出していたスクールバッグも所定の位置まで持ち運ぶ。
プロジェクト前にはどうしたって辿り着けなかった子ども達の行動変化が
次々に起り、物が少ないキッチン、リビングを眺めては
心が軽くなり、いつの間にか、心が穏やかになっていった。

モノの出しっぱなしが発端の子ども同士の喧嘩も減り、お互いをディスるようなネガティブな発言や空気が薄まっていた。

断捨離2巡目が終わる頃に、自分と家庭内の変化が明らかに起きていた


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