わたしルネサンスの「ルネサンス」とは何か考察してみた

“最後のヴァース 形どるパース
さあはじめよう わたしルネサンス”

https://open.spotify.com/track/47Rk2iidd0SHU4z3d8E8AF?si=d94aba9952204bbe

「わたしルネサンス」は765プロに所属するアイドル、ロコの4曲目のソロ曲です。上のリンクから聴けるので一旦聴いてください。
「わたしルネサンス」は色々な角度から論じることができそうな曲ですが、この記事では「わたしルネサンス」の「ルネサンス」とはなにかを考察していきます。結論を先出しすると、2つのルネサンスを発見することができました。以下、ロコに関する様々なネタバレがありますので気を付けて下さい。また、「BC」は「アイドルマスターミリオンライブ! Blooming Clover」を、「ミリシタ」は「アイドルマスターミリオンライブ!シアターデイズ」をそれぞれ表します。自己紹介を忘れていましたが、私は東京大学アイドルマスター研究会のすみだぎんです。どうぞよろしく。

どの”ルネサンス”か

ルネサンスには美術・音楽・学問・一発芸など多様な文脈がありますが、「わたしルネサンス」でいうルネサンスは西洋芸術史、特に絵画史のルネサンスだと考えられます。先ほども引用した

”最後のヴァース 形どるパース
さあはじめよう わたしルネサンス”

を見てください。パースは日本語に直すと遠近法であり、遠近法はルネサンス期にレオナルド・ダ・ヴィンチによって完成されました。遠近法は絵画技法なので、「わたしルネサンス」は絵画についての話をしているとここからわかります。

巨人の肩に立つということ

「わたしルネサンス」は透き通るような高音の直後に歌い出しが来るという始まり方をしますよね。この最初の音はラの音です。ラの音、英語音名でいうAは音階の基準である原点であり、「はじまり」にふさわしい音だと言えます。また、

“あのとき 彼らはどうだった
そのとき 歴史はどうあった”

という部分や、

“色とりどりのひと 四季折々のビジョン
キラキラ紡がれる 未来に繋がれる”

という歌詞は歴史や未来といった時間のつながりに言及しています。はじまりから、繋がる未来。このことから考えて、「わたしルネサンス」はなんらかの「歴史」について語っていると思われます。「わたしルネサンス」が絵画について語っていることは前章で示したので、以下、本章では「わたしルネサンス」を絵画の歴史という観点から見ていきます。
こうしてみると、実は「ルネサンス」以外にも、「わたしルネサンス」の歌詞の中には美術史を踏まえた表現が存在するように見えてきます。

“常識外れ 仲間外れ
外したバイアス されてく開拓”

この部分はシュルレアリスムです。シュルレアリスムは1920年代から始まった文学・芸術の運動です。シュルレアリスムの画家であるデ・キリコ、マグリット、ダリらは物を脈絡なく配置した不可解な絵を残していますが、これはそれぞれの物からその物が存在する文脈を切り取るという試みです。例えばりんごだったら、りんごは掴めるくらいの大きさで、台所やダイニングテーブルに置いてあるかごとかに入っていがちだ、という経験則を一旦忘れるということです。これはまさに「バイアスを外す」ということで、歌詞と一致しています。他には、

“異国の文化 魅惑を開花
道無き道を進んでく強者”

この部分はジャポニズムだと思われます。ジャポニズムは19世紀後半に日本美術、主に浮世絵が西洋美術に与えた影響のことを指します。浮世絵は視点を固定した線遠近法を用いていないので、西洋画家視点ではのっぺりと平面的に見えていたはずです。そこに影響を受けたのが印象主義・ポスト印象主義の画家たち、たとえばセザンヌです。まさに「異国の文化」が近代絵画という「魅惑を開花」させており、歌詞と一致しています。以上より、「わたしルネサンス」の歌詞には美術史を踏まえた表現が複数存在することが明らかになりました。
では、このような美術史描写は「わたしルネサンス」において何の意味があるのでしょうか。美術史描写の直後の部分は言うまでもないですが、

“偉人は教えてくれた 自由を表現 時代を体現
最後のヴァース 形どるパース
さあはじめよう わたしルネサンス”

という4小節に端的にあらわれています。ロコアートはこれまでの美術史があったからこそ存在しているし、ロコアートは美術史の先端にある、ということがこの部分で宣言されています。このことから、「わたしルネサンス」における「ルネサンス」はロコアートが巻き起こすある種の美術史上の変革である可能性が浮上します。

ロコがロコであるということ

“オーパス001から始まるアートは
チートなレボリューション”

この「オーパス」というのは作品番号のことです。(ショパンの曲とかについてるOp.10とかのOp.)作品番号は当然個人の作品につけられるものです。そこで、本章では「ロコアートの歴史」及び「ロコ個人のありかた」という観点から「わたしルネサンス」を見ていきます。
「世間様は鼻で笑った ~ 誰のための人生なんだ」という部分がロコの生き様を表していることは言うまでもないですが、筆者が特筆すべきと思ったのは以下の部分です。

“「わからない」で終わらない
知れば聞こえてくる
受け取るメッセージが
わたしを彩るのです”

ロコは誰からメッセージを受け取っているのでしょうか?前章から考えるに、過去の芸術家たちがその相手でしょう。しかし、本当にそれだけでしょうか?

“審判を下すのは みんなの拍手と喝采”

そう、「みんな」です。ロコアートはロコだけで完結するものではなく、「みんな」が必要であるということが宣言されていますね。
しかしそれだけなら「ART NEEDS HEART BEATS」と同じじゃないか!と思うプロデューサーさんもいらっしゃるでしょう。「ART NEEDS HEART BEATS」でも

“一人じゃきっとキャンノットなんだね”

と歌われています。しかし、「ART NEEDS HEART BEATS」と「わたしルネサンス」では相互理解の度合いがまるで異なっています。「ART NEEDS HEART BEATS」がミリシタに実装されたメインコミュ122話を見てください。

メインコミュ122話より

このコミュを通して、ロコはクラスメイトと「楽しさ」を共有することに成功しました。これはロコにとって非常に大きな一歩なのですが、同時に「わからない」で終わってもいます。つまり、「ART NEEDS HEART BEATS」時点では「アートを理解できない無知な大衆」と「アーティスト」という二項対立が存在するのです。しかし、それでは「みんなの拍手と喝采」が「審判を下す」ことは不可能なので、「わたしルネサンス」時点ではこの二項対立は消滅し、みんなーロコ間の相互理解が生まれているはずです。これが「ART NEEDS HEART BEATS」と「わたしルネサンス」の大きな違いです。
ところで、相互理解に必要なものってなんでしょうか。そう!互いに歩み寄ることです。つまり、ロコがみんなをロコナイズするだけでは駄目で、ロコがみんなに寄り添おうとすることが大事なんです。ここで、ロコの今までのソロ曲の歌詞を見てみましょう。「IMPRESSION→LOCOMOTION!」には「LOCOMOTION」、「STEREOPHONIC ISOTONIC」には「ロコモーティブに」、「ART NEEDS HEART BEATS」には「ロコナイズ」といかにもロコらしい語が含まれていますが、「わたしルネサンス」にはそれがなく、自己主張が控え目になっています。これって変革ですよね。ルネサンスの香りがしてきました。

「わたしルネサンス」は何故ルネサンスか

本題に入る前に、西洋美術史における「ルネサンス」についてもう一度言及しておきます。ルネサンス前の中世の絵画は平面的に描かれていました。しかしルネサンス期に遠近法が完成され、絵に奥行きが生まれ、立体的になりました。つまり2D → 3Dという変革がルネサンスなのです。また、Renaissanceは復活という意味です。古代ギリシャ・ローマでは自然を見たままに写実的に生き生きと再現していました。裸体の彫刻が有名ですね。こういった写実性を復活させたのがルネサンスなんです。
さて、「わたしルネサンス」はTHE IDOLM@STER MILLIONLIVE! 9thLIVE ChoruSp@rkle!! DAY2にて初披露されました。そのとき皆さんはどう感じましたか?「あれを歌うのか...」ってなりませんでしたか?少なくとも、私と配信のコメント欄はそうなってました。これがアートでありルネサンスである、ということです。
「わたしルネサンス」が絵の話をしていることは上で示しましたし、記憶が正しければ絵を描く振り付けがあったはずです。ところで、絵は平面に表現されるものであり、それが絵画の固有性ですよね。では、「わたしルネサンス」はどうだったでしょうか。「わたしルネサンス」はステージという空間に表現されるアートなんです。つまり、「わたしルネサンス」は絵画という平面の文脈を持ちながら、それ自体は絵画の固有性を破壊し、立体空間に表現されているのです。平面から立体へのシフトを起こしていますね。芸術史上のルネサンスと一致しています。これが、1つ目の「ルネサンス」であり、ロコが芸術史上に巻き起こした変革です。
では2つ目のルネサンスってなんなんでしょうか。ルネサンスは古代ギリシャ・ローマに回帰するような運動でした。そういえば、ロコにとっての原点、「オーパス001」ってなんなんでしょうね。

SSR 『ART NEEDS HEART BEATS』 覚醒前

ずばりこれです。これはロコが家族に見守られながら家の床に落書きをしている一コマですね。しかしロコは独りで制作しているわけではありません。お兄ちゃんになにか言われていますし、お姉ちゃんもすぐそばでクレヨンを持っています。両親も後ろで見守っていますし、ロコが今描いているモチーフも、この場にいる全員が知っているお父さんです。みんなと寄り添いながら制作しているんですね。ところで、「みんな」と理解し合ってアートを制作する、というのは上で明らかにした「わたしルネサンス」で描かれている状況と一致しています。芸術史上のルネサンスは古代を復興させる運動でした。したがってこれが2つ目の「ルネサンス」と言えます。簡便のためロコの軌跡を整理してみますね。

SSR『ART NEEDS HEART BEATS』覚醒前で描かれた状況から、

SSR『STEREOPHONIC ISOTONIC』覚醒前

これになって、

メインコミュ122話より

「ART NEEDS HEART BEATS」でこれになり、「わたしルネサンス」ではロコの方からも歩み寄ることで「みんな」と理解し合える環境を再発見したということになります。(ミリシタ内イベントコミュ『ゲキテキ!ムテキ!恋したい!』及びBC48話(13巻収録)も参照)結果、ロコは幼児期のようなあたたかい環境を復活させていますね。したがって「わたしルネサンス」はロコ史にとっての「ルネサンス」でもあるわけです。

おわりに

この記事では「わたしルネサンス」が2つのルネサンス(1.表現領域を平面から立体に拡張する、芸術史上の変革。2.幼児期のような、評価者と分かり合える環境を再発見する、ロコ史上の変革)を含意していることを明らかにしたつもりです。オシャレに言うと、「わたしルネサンス」は、「わたし」が「ルネサンス」であり、「わたし」にとっての「ルネサンス」でもある、ということを主張しました。この主張の真偽はともかく、少しでも「わたしルネサンス」の魅力が、アーティストでアイドルなロコの魅力が伝われば幸いです。あと、BCをどうぞよろしくお願いします。

参考文献

  • 佐藤直樹. (2021). 東京藝大で教わる西洋美術の見かた:基礎から身につく大人の教養. 世界文化社.

  • 塚原史. (1998). シュルレアリスムを読む. 白水社.

  • 福村国春. (2022). 西洋絵画の見方がわかる世界史入門. ベレ出版.

  • 三浦昭範, 吉川民仁. (2021). 絵画の表現. 武蔵野美術大学出版局. 

  • 山本靖久. (2007). 絵画の平面性とその表層の質感表現についての体験的一考察. 了徳寺大学研究紀要, 1(1), 87-109.

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