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「在野の研究者希望です。」

☆論文を一つ書いたのですが、それをどう処理すればよいのか?そして、その方法は今後の自分にとって適切なものなのか?人に尋ねてみたり、本を読んで答えを探したり、いろいろと悩んでみます。         2023.11.12(日)

以下は、問題解決の為に読んだ本です。

1.書名・著者名・出版社

「在野研究ビギナーズ -勝手にはじめる研究生活-」
 荒木優太(編者)・明石書店 ¥1800(外税)

2.この本は、

 特定の人の研究生活のあれこれを綴ったものかと思っていたのですが、実は、15人の在野研究者たちの研究生活の実践と方法を、各自の体験で論じてもらったものを編集したものでした。「在野研究」とは、大学に所属を持たない学問研究を指しているそうです。この本は在野研究の指南書ではなく、実例集を編んだとのことです。それをどうカスタマイズするかは読者次第だということでしょう。

3.構成

第一部は「働きながら論文を書く」
 〜日々の労働の中で、学術論文を発表している書き手
第二部は「学問的なものの周辺」
 〜広い意味での研究から非学問に見えるものまで
第三部は「新しいコミュニティと大学の再利用」
 〜様々な協働の中から見えてくるもの

♦️各部にインタビューがついています。無所属でも使える図書館や古本屋の利用法、16歳の頃からネット上に訳文を発表していた翻訳研究者に翻訳的な作業のイロハ等。

4.先ず一人目は、編者の荒木優太さんの「貧しい出版私史」

 を読むことにしました。なぜかと言えば、荒木さんは書いた論文を電子書籍にして、その後まとめて書籍にしたそうで、以前に私がメモを電子書籍化してまとめていた行為と重なって見えたからです。私でも出来るかなと思ったのです。^^(別の目次では、これは、「ハードに一人で研究したい人向け」に入っています。)

4-1.序「今日のエピメテウス」

「自分の研究成果をできるだけネットに公開し、書いたものをPDFにして自由にダウンロードできるようにしておく在野研究を始めた。自分にとって研究とは、本を順番通りに読まない技術の体系。」

168-170頁

 荒木さんは、長話は駄目で、書き言葉の自由さとは違って、話し手の速度に合わせなけれなならないのが嫌だとのことです。ここらは、私と全く同じで強く共感しました。

4-2.一「電子の私家版」

 修士迄とった後で最初にしたのは、自分の論文を広く届けるための電子書籍づくりだ。「パブー」という個人向け電子書籍作成ツールを利用した。また、同時に早朝の清掃労働パートを始めた。非正規雇用に従事していたり、実家住まいだと人々に馬鹿にされる確率が高いが、そんなことを恐れて研究者などできない。家族の悪感情を手当てするには生活費を定期的に手渡すと良い。

170-172頁

ここでまさかの「パブー」!実は私も使っていました。^^一度ダメになりましたが、復活して、今も使えるはずです。以前は、PDFとePub、Kindleの3種類の電子書籍にできたはずです。

私のパブーの電子書籍は以下のような感じです。
『DAISY』河村 宏さんの呟きのまとめ|薄墨 桜 https://puboo.jp/book/35908 #パブー  

パブー!懐かしいですね。荒木さんにとても親近感がわきました。^^

それにしても男性だとかなり周囲の「ちゃんと就職しろ」圧力は強いでしょうね。女性の私が勉強したいと言っても、お金ばかりかかってとか、道楽とか、趣味とか、物好きとかまで、言われたことあります。^^; でもね、私を非難する方達は勉強が嫌いかもしれないけれど、私は学ぶことが好きなのです。だから荒木さんが研究したい気持ちが少しだけわかります。

4-3.二「失われたページを求めて」

ネットにはページの概念がないため、他の研究者からみると参照先が明確に指定できず、参考文献として魅力に乏しいという問題がある。更新すると全く別のものにすり替えることができてしまう。

172頁

PDFで公開する原稿には、手続き年月日を入れておき、元原稿を改変する場合、変更日を明記し、版(バージョン)の差を強調する。参照側にとっての信頼の目安となる。ダウンロードという操作も魅力的だ。剽窃予防にも役立つ。2013年にネットで発表した論文をまとめて紙で自費出版した。完全な自己満足だが、嬉しい反応もあった。

172-174頁

成程。ネットにはダウンロードしてもらうことができるという、素晴らしい利点がある反面、簡単に改変できる為、信用を保持することがとても重要な事なのですね。目安として自分で頁入りの原稿をwordで作成してPDFにして、パブーにアップロードすることはできるみたいです。有料になってしまいますが。

4-4.三「私を他人にする方法」

電子書籍を紙の書籍にまとめた理由の一つは、それまでためてきた論考群を一つにまとめたいという目的と、自分がやってきたことを不自由な物質に託すことで、研究上のケジメがつくと思った。

174-175頁

研究は、ある意味無限で続けられるもの。紙によるアウトプットは、暫定的な切断線、ある研究を終わらせる/新たに始めさせる、強制力として機能する。締切日に似た力。
ネットが難しいのは、常に修正可能の為に、「終わった感」を感じづらいところ。紙は修正反映には新しく刷らなければならない。この差の心理的作用はとても大きい。成果を物にして流通させることは、自分の研究のアピールと同時に、物が持っている不可逆性の力を借りた自らの構えを改めるマインド・リセットの知恵である。

174-175頁

校正が苦手だがチェックしてくれる研究仲間がいないので、自分が他人になるしかない。論文本文は先ず音読をする。次に歩き回りながら音読する。喉の為にカンロのど飴「ノンシュガースーパーメントール」を舐めている。

176-177頁

確かに、「区切り」は必要だと思う。SNSやネットゲームも自分で自分を律することができないと、だらだらと時間ばかりを食って行く魔物のような顔を持っていると…^^;
それに、論文には誤字脱字などの書き間違いは必ずあるので、自分の原稿を他人の目で読むことは必須ですね。音読と同時に録音して、それを聞いて更にチェックするとかはどうでしょう?

4-5.四「精神としてのサークルイズム」

例えば忙しい中でも、1年に400字詰め原稿用紙40枚の論文を10年続けて書けば、本を1冊ぐらいは出版できる。
研究のリズムはジャーナリズムのそれよりも遅くて構わない。ジャーナリズムの要求する速度に没入してはならない。権威主義的なものにも、商業主義的なものにも汲み尽されない在野の知。

178-179頁

1年で1万6千字。放送大学の卒業研究の論文が2万字が基準なので、仕事しながら、家事しながらでも可能な字数ですね。

4-6.五「くそみたいな人生にちょっといいことがあってもいいじゃないか」

研究的テクストが素晴らしいのは属人性を超えていけるからだ。
早くも人生が終わっている連中にとっては、書くことはすなわち希望を書くことにほかならない。
私は私自身よりも私が書いたテクストの方がずっと好きだ。テクストならば私を超えていける。さらに運のいいことに書きたいことはまだまだたくさんあるのだ。好きなものがたくさんあることはよいことである。

179-180頁

自分を超えて行くか…。
これから私が書くものは、私を超えていけるのか…。
ちょっとワクワクするかも。^^

他の方の在野研究も読んでみたいのですが、荒木さんの方法は私にも可能なので、選択肢の一つに入れておきます。

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