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演劇と社会と立ち位置。

友人は人前で話すことが苦手らしい。
人前で話す自分の姿が好きじゃないらしい。
しかし、友人は人前で話す機会が度々やってくるそうだ。

ということで、その友人にプライベートレッスンをしています。
その人自身が気になる自分であったり、苦手の本質的な原因であったりをワークの中で見つけ出し、解決方法を探し出す。
そんな時間を作っています。

ありがたい事は、俳優ではない人であること。

役者として思考がチューニングされてから、長い時間が過ぎた自分にとって当たり前になってしまっていることが、全く当たり前ではない。
これは新しい発見のオンパレードだった。
自分にとって日常的に、箸を持つように思いつく事も、しっかり言葉を紡いで説明しなければならない。
これは、演劇をする人とそうでない人の架け橋になる。
市井の人たちが普段、何を感じ、何を考え、どう生きているのかという想像のヒントをもらう事ができた。

逆に、自分が如何にマニアックで、「演じる事」「表現する事」ばかりを考えて生きているかを知る事になる。

それでも、友人は演劇の力を信じている人なので、本当に演劇とかけ離れた世界で生きている人たちとは、また違うのだろう。

演劇中心の世界で生きていると、どうしても世界の中心を演劇で捉えがちになる。でも、そうではない人たちが世界には山のようにいて、その人たちのことを感じながら演劇や表現に携わることは、今の僕にとって大事な事なような気がする。

そこから始めないと、演劇や表現の立ち位置は変わらないのではないかと思う。

ちなみに、その友人とは20代の頃からの知り合いなのだが、僕は当時の記憶がほとんどなく、友人との思い出は皆無と言っていい。確かに同じ現場にはいたし、それっぽい記憶はうっすらとある。
当時の自意識をこじらせていた自分は、そこには全く興味がなかったのだろう。ひどい話だ。

友人はそれも理解した上で、忙しい時間を縫って、決して安くはないレッスンをわざわざ受けにきてくれた。

結果が出たようで、本当に嬉しい。

「話す」という事は形がない。そこには話しかけられた人それぞれの実感しか残らない。しかし、実感があるという事は、形がなくても確かにそこに存在したという事だ。その実感を信じて更なる向上に向かえるよう、これからも気を引き締めて向かい合っていきたい。

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