見出し画像

「がんばったで賞」がほしくて2022/9/24

就職・転職活動で過去の実績について問われた時、友人にちょっと見栄を張りたい時。そういった対外的なメッセージではなく、自身に「本当に頑張ったと思えることって、何?」と問うと「ありません」という回答になる。

がんばらなかった、これまで

小2の時に始めた野球は転校のタイミングで辞めてしまったし、中1の時に始めた陸上も同様の理由で辞めた。高校受験は塾に通いこそしたが、内申点と面接でパスして、大学受験は内申すら必要なく、面接だけでパスした(「ウスイくんは早く勉強したくて仕方ないでしょう」と面接を担当してくれた学長は仰っしゃられたが、1mmもそんな気持ちはなかった。ごめんなさい)。

社会人になってからは、給与に見合うだけの働きはしてきたつもりだ。が、全力を尽くしたか?と問われると、YESともNOとも言い切れない。大変だったことはあれど、もっとやれたのではないかと思う。

最小限の努力で最大限の成果を、結果がすべてなのだから過程に意味はない、保身に走って努力し尽くすということをしてこなかった。自分の天井を見るのが怖かった。

がんばった経験がほしい、今

この秋から宣伝会議のコピーライター養成講座に通うことにした。

媒体側で6年間広告に関わり、うすらぼんやりとクリエイティブへの憧れを持ち続け、何をするでもなく気づけばあと1年半で30歳というひとつの大台を迎える。挑戦することもなく「何者かになりたい」「自分はまだやれる」と歪んだ自意識だけが肥大した。そんな現状に嫌気が差し、生活に停滞感を覚え、なにか変えたいと思っていた時。宣伝会議のメールマガジンで、いつか通いたいと思っていたコピーライター養成講座の名前を目にし、8月末日の説明会に申し込み、終了後すぐに決済した。

一定の強制力がないと、すぐサボる。決して安くない金額を投じ、来年3月上旬までの毎週土曜日に4時間を費やす。コピーライター養成講座は、そんな自分にとって「適度な負荷」だった。
今のところ、コピーライターになりたいわけではない。文章を書くという行為を何らかの形で仕事にしたい、天井と向き合いたい、がんばったと自分に誇れる経験が欲しい。誇れるかどうかはこれからの半年次第だが、少なくともスタートラインには立てたと思う。

がんばった経験を得た、その後

半年の経験を経ても、多分何者にもなれない。それでも、少しは自分を真っ当に肯定できていると思う。
2年前の宣伝会議賞、締め切り数日前に2~3本だけコピーを出し、当然1次を通過することもなかった。今年は少なくとも、10倍は出そう。半年間の受講生生活が今日から始まる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?