萩尾望都に壊された話

子供時代、一心不乱に本を読んでいた。
小学校に上がってからは、学校の図書室から本を借りて、近所の公民館でも本を借りて、地域の図書館からも本を借りてひたすら読んでいた。
小学一年生の時、授業中に膝の上で本を読み続けて先生に怒られ、それでもやめないから三者面談で親と先生から怒られた。
読書はとっても楽しかった。
文字は脳内に場所を作り、人を生んだ。
無限の想像力は私唯一の特技といってもよかった。
頭の中に生まれた文字の子供たちと、本を読み進めながらたくさん遊んだ。
私の中にしかいない登場人物たちは、挿絵になると知らない人だった。
挿絵はかわいかったけど、挿絵よりかわいい私の頭の中にいる登場人物は、一瞬にしてその挿絵に置き換わり、二度と頭の中に出てきてはくれなかった。
だから私は挿絵のない本を選ぶようになった。
本は常に私の近くにあった。
次から次へ読んでも本はなくならなかったし、私だけの秘密の部屋だった。
文学少女私は、漫画を一冊も持ったことがなかった。
お小遣いはなく、親も漫画を買ってはくれなかった。

母が復職したので、私は小学3年生から学童に預けられるようになった。
学童の本棚にたくさんの本が詰まっていたから、私はそこから新しい本を引き抜いた。
ピンクのかわいい表紙を開くと、それはカードキャプターさくらの漫画だった。(学童の本は破けたりなくなったりするのでカバーがついていなかった)
日曜の朝や平日の夕方にやっているアニメは大好きで、まだ小学校に上がる前、土曜日の6時からEテレ(当時はまだ3チャンネルだった)で放映されるカードキャプターさくらも言わずもがな、大好きなアニメだった。
さくらちゃんは漫画の子だったのか!と当時驚いたことを覚えている。
その時私は漫画というものの魅力を知った。
かわいいキャラクターたちが生き生きと紙の上で動いた。
表情もお洋服も町も現実のようだったし、声まで聞こえてくるようだった。
漫画は挿絵と違って、私の中でも正解だったのが不思議だった。
もちろん、最初のイメージを視覚情報として理解できるからではあるが、かわいい絵と面白いお話はそれだけで正義だった。
学童にはカードキャプターさくら以外にも数冊漫画が置いてあって、私は繰り返し読み続けた。
特に漫画をねだったことはなかった私は、人が変わったように母に漫画をねだり始めた。
正直自分の読書スタイルと同じく、「漫画」以外、ジャンルやタイトルにこだわりはなかった。
かわいい絵の面白いお話しなら、私は満足だった。

母は漫画が大好きなな子供だったらしい。
好きな漫画家の作品は端から買ってそろえていたようだ。
私に漫画を与えなかったのは、想像力が欠如するとか、目が悪くなるとか言われたような気がするけれど、今思えば私の本の虫を5000倍ひどくした漫画の虫になってしまうことを危惧してじゃないかと思う。
自分が漫画の魅力を知っていたからこそのストッパーだ。
そんな母も、ここまでしつこい漫画要求に耐え兼ね、「ばあばの家でなら漫画を読める」という状況を創出すべく、自分の蔵書を屋根裏から引っ張り出したのだった。
私が最初に手を付けた屋根裏蔵書は坂田靖子の「D班レポート」だった。
ポップな絵とテンポの良いコメディが心地よい、とても面白い漫画だ。
私の母はあらゆる坂田靖子作品をそろえていたので、同じ絵柄の漫画を手当たり次第に読んだ。
何度も何度も同じ漫画を読み返して飽きてきた小学5年生ごろ、母はまた屋根裏から新しい漫画を持ち出した。
美しい少年が二人並んだ表紙、ポーの一族と出会うことになる。

当時の私はダレンシャンを読みふけり、ハードカバーにもかかわらず、どこにもかしこにも持ち歩いていた。
ダレンシャンは私の中で吸血鬼のスタンダードだったし、世間は間違った吸血鬼のイメージで凝り固まっているけど、私だけは吸血鬼の本質を知っているという小さな優越感に浸ったりしていた。
ポーの一族は、世間が思い込んでいるだけの間違った吸血鬼像であって本物の吸血鬼ではない!と当時の私はだいぶ斜に構え、そのまま読まずにいたのだった。
母にも得意げに吸血鬼への持論を語った。
母は面倒くさそうに私の話を聞いて、ため息をついてからまた屋根裏に上った。
少しすると母は萩尾望都特選集という文庫より少し大きな漫画を何冊か手にもって降りてきた。
表紙にはかわいい女の子や緑のまあるいキャラクターが描かれ、私はすぐ夢中になった。
コメディーも恋愛も楽しく読んだし、自分を投影して妄想した。
ちょっと難しいお話しも(ポエムなんかもあって)頑張って読んだ。
萩尾望都の絵は、かわいくて、きらびやかで、それなのに親近感があって、私は萩尾望都の漫画が大好きになった。

そうこうしているうちに私は小学校を卒業し、中学校に入った。
周りの友達は中学生になるとお小遣いが増えたらしく、たくさん漫画を貸してくれた。
このころになると、お年玉やおねだりの成果もあって、我が家にも漫画がやってきた。
もちろん「ばあばの家の漫画」もわたしは変わらず楽しんでいた。
「今時の漫画」と「古い漫画」の違いを感じていたものの、生来わたしは乱読の申し子だったので、どちらも変わらず大好きだった。
そんな折、漫画を読んでいる私に叔母が「もうポーの一族は読んだんだっけ?」と尋ねてきた。
ポーの一族かあ、なんとなく避けてきたけど読んでみようかな、と、手に取りページをめくったこの時私13歳、完全に壊されることとなる。

なんとなく萩尾望都の世界観を理解はしていた。
それなりに話は数読んできたし、特に真骨頂のギムナジウムの話も所々で出てきていたし、どこか哲学的な要素があることもわかっていた。
ポーの一族は、公務員父母の下で人間生活の基準を満たしながら生活していた私に構築されたあらゆる概念を完全に壊した。
美しい絵と、言葉と、不条理と、愛、執着。
エゴという言葉を知ったのもこの頃だった。
二人の美しい男の子が、一人の美しい女の子に執着している様を、こわい、と感じることもあった。
それよりも震えた、美しかった。
美しく、そして魅力的だった。
男の子同士…とは…ともなった。(本格的に壊れた瞬間である。)(そして母や叔母はそういった思考のない人間であるから私にポーを渡したのだろう)
当時の私は携帯も持ってなかったし、ネットに触れるには親がいる場所でデスクトップに向き合うしかなかったので、これを調べることも、誰かに打ち明けることもしなかった。
中学二年生の多感な少女の胸の内に、バラの花が静かに秘められたのだった。

高校を受験し、いままでの友達が一人もいない高校に進学した。
それは、まったく新しい環境という意味でもあった。
何気なく日々を過ごし、友達と高校生らしく遊んだりプリクラをとったりテストの点数に嘆いたりしていると、あっという間に1年生が終わった。
2年生に上がってクラス替えをして、1年生のころ関わらなかった子とも同じクラスになり、逆に1年生で同じクラスだった子のクラスに行けばまた交流の無かった子ともなかよくなれた。
何気なく高校生活を過ごしながら、胸に秘めたバラはもちろん美しく咲き誇っていた。
高校は実家から遠いところに通うことになりスマートフォンを持たせてもらっていたので、1年生のころからバラの花を貪っていた。
私が萩尾望都を好んで読んでいることを知って、ポーのみならず、屋根裏蔵書にはない作品を、叔母が買ってきてくれたりもした。
それにより、いろいろな時代の萩尾望都作品と出会うことができ、私はより一層萩尾望都にのめり込んでいた。
もちろんこれは、誰にも共有することなく、一人でも充分楽しかった。
そんなある日、学年が上がったことで仲良くなった友達2人と放課後駄弁っていると、1人の友達が、これ、おすすめの漫画、と、トーマの心臓をカバンから取り出した。
表紙が目に入るなり、カッと頭に血が上った。
鼓動が早まり、目はかすみ、手には汗をかいてきた。
「え!!!!?!!?!!!、え?!???!!!?????!!!、!」
不審者である。
あきらかに不審な挙動の私を見て、友達がニヤリと笑った。
「トーマの心臓、読んだことある?」
もちろんあった。
なんなら発行されてすぐ買ったであろう、350円と書かれたやつを読んでいた。
そこからは早かった。
オタクという生き物は、同志を見つけるとなぜ握手をするのか、これは今でも疑問だが、夕日さす高校の教室で、花の女子高校生2人が、まるで首脳会談かのように手を握り合っていた。

かくして私はコミュニティを得た。
もちろんバラの花を嗜むこともあったが、それよりも深く「性癖」というものと向き合うことになった。
友達が、私の性癖、という言い回しをやたら口にするからである。
それから性癖というとものを考えるようになった。
性癖という言葉でくくるにはすこし土俵が違う部分もあるので、ここでは「嗜好」という単語で綴ろうと思う。
私の嗜好は、確実に萩尾望都が形成していた。
今まであらゆる推しを推して生きてきたが、大体の推しに少年性や耽美さを求めてきた気がする。(すでに気持ち悪いんだよなあ)
みな、幼なげな面立ちと憂いのある長いまつ毛を所持する、歴代の推し達万歳。
立ち居振る舞いにも少年性のある子が目につく。
少しいたずらっ子で、ふとしたときに達観したような雰囲気を感じる子が好きだ。
女の子も男の子も、総じて。
好きになる作品も、少し含みがあることが多い。
エゴだの愛だの不条理だの、そんなのも大好きだ。
人間をはじめ、この世の摂理や真理を丁寧に、時に乱暴に扱った作品たちは、作り物の中に「本物」、SFに潜む「現実」を見つけることができた。

大学に入ってからも、自分の嗜好は萩尾望都に歪められたと感じる出来事があった。
ある授業で物語を書くことになった。
それまで物語なんてまともに書いたことがあるわけもなく、簡単で面白みもない短い文章を適当にまとめてピリオドを打った。
生徒たちが各々惰性で仕上げた作品に先生がダメ出しをするのだが、私の作品を読んで先生はこういう。
「クラシカルだね、少し古い雰囲気、古典的な作品までいかないけど、新劇みたいな感じ」
またしても挙動不審になった。
声だけは抑えた、危ない。
新劇とはまあ、近代演劇のことだ。
戦後日本で広く興った劇団で扱った作品はだいたい新劇だ。
ドンピシャ萩尾望都が生まれ育った時期なのである。
萩尾望都の少女漫画もコメディも読んできた私には、耽美な男の子、吸血鬼、バラの花以外の部分からも、多大なる影響を受けていたのである。
私の書いた作品に登場する、女の子も、女の子の家族も、その人たちの会話も、全部彼女に影響されている気がして、私はすぐに萩尾望都特選集を読み直し、確信した。
やられた、私の性癖にとどまらず、趣味嗜好のすべてを萩尾望都に壊されている。

そして今、大学も卒業し社会人も3年目である今、見事に壊され歪んだ私の嗜好は今も絶好調に瓦解している。
もはやここまでくると怖いものは何もない。
今は私の嗜好も性癖も、わかってくれる友がいる。(高校の友達とは最近連絡をとっていない)(元気にしてるといいなあ)
嗜好は私のアイデンティティでもあるし、人生を楽しむためのヒントでもある。
大人になった今でも、幼き日母が「間違えて」私の心に咲かせてしまったバラの花を枯らすことなく大事に抱えている。
私はこれからも萩尾望都の作品を楽しむだろうし、さらに壊されるだろう。
それさえも私にとっては楽しみなのである。
オタクとは欲深く、更に強い刺激を求める、もはや一種の中毒者である。
合法的なトビ方を心得よとCreepy Nutsも言っているが、圧倒的に合法だ。
そもそも漫画を合法だと言っている時点で、すでに"壊された側の人間"である証明だろう。

これが、私が萩尾望都に壊された一部始終である。
可哀想な人間と哀れまないでほしい。
なんといってもこの人はこれで幸せなのだから。
これをここまで読んでいる人はぜひ、萩尾望都作品を1話でいいから読んでくれ。
そして一緒に壊れてくれると嬉しい。


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