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禍話リライト「猫仙人」【怪談手帖】

つい先ごろまで、高齢者の見守りや支援の仕事に携わっていたというBさんは、いろいろと奇妙な体験をしている。
その中でもとりわけ特異で、できれば思い出したくない一件があるという。

近隣の住民からの相談で、とある男性の一人住まいが俎上に載せられた。

「俗にいう『猫屋敷』ですね、ご本人も軽度の認知症を患っていて、管理できているとは言えない状況だったようです」

少なく見積もっても、30匹程度の猫が出入りしているとのことで、鳴き声や糞尿への苦情が上がっていた。

「高齢化社会の流れもあって、そういう案件は珍しくありません、ただ……」

Cさんというその家族のない男性と彼の猫たちについては、一般的な多頭飼育崩壊による苦情の他に、奇妙な証言がいくつも見られた。

───夜ごとの猫たちの泣き声が、拙い日本語の練習のように聞こえてならない。
───猫の群れが二足で立ち上がり、Cさんと一緒に縁側をぞろぞろ歩いているのを見てしまった。
───しまいには、Cさん自身が大きな猫みたいに変わってきているように思える。

特に、最後の噂は単なる真似などではなく、猫の見た目になっているという、俄かには信じ難いものだった。

「証拠を見てくれ、と言って隠し撮りしたような写真が送られてきたこともありました」

そこには、一応白い人影が写っているのだが、ただでさえ手振れが酷いうえに遠目のため、Bさんにはこじつけとしか思えなかった。

「猫屋敷であるのは事実として、そういう状況ではデマや行き過ぎた中傷などが発生しやすいですから」

Bさんたちはあくまで冷静に対応した。
噂に流されることなく、とりあえず多頭飼育についての現状把握を行うため、ある晴れた日に同僚と二人で件の家へと向かった。
Cさんの自宅は、見た目にはかなり裕福そうな、往年にはさぞ多くの人が出入りしたであろう大きな屋敷だったという。
まずは玄関のチャイムを押すが、反応がない。
よく見ると、どうも壊されているらしい。
悪戯か、あるいは住民自身の仕業か。
いずれにしろ、そのまま放置されていた。
何度か声を掛けたものの返事はなく、裏へ回ろうとしても通り道に板が乱雑に打ち付けられていて叶わなかった。
試しに引き戸へ手を掛けると、入り口の鍵が掛かっていない。

「それ自体は、このようなケースではよくあることなのですが……」

開いた隙間から中を覗き、割れたガラスが玄関にびっしりと散乱しているのを見てBさんは僅かに緊張した。
戸を開けて、今度は強めに声を上げて再び呼び掛けた。
すると、ようやく返事があった。

「どぉぉぉぉぉうぞぉぉぉぉぉぉお……」

長く間延びした声だった。
ギョッとしたが、どうやら「どうぞ」と言っているらしい。

(発語が不自由になっているのか……)

そう思いながら、ひとまず想定していた最悪の事態は免れたことに安堵した。
ガラスを簡単に片づけ、持参したルームシューズに履き替えて、彼らは家へと上がった。
猫の糞尿特有の臭いが酷く、所々に物品も散乱している。
だが、玄関の惨状から予想したほどには荒れていない、というのがBさんの率直な感想だった。

「そういう事例にしては、荒れ方の密度が低いというか、少なくとも足の踏み場がないという状態ではありませんでした」

床に見られる汚れも、無秩序というよりは何らかの規則性を感じたのだという。

「まあ、私の勝手な印象に過ぎないのですが……」

不可解だったのは、あれだけ噂になっていた猫の姿が全く見当たらないことだった。
どこかに集まっているのだろうか。
あるいは隠れているのだろうか。
とはいえ、まずはCさんの状態の確認である。
声掛けをしながら廊下を抜けて、彼らは薄暗い居間へと至った。
家の主はそこにいた。
部屋の真ん中に据えられたリクライニングチェアの上。

「仰向けじゃなくて、背もたれに顔を向けて、腹這いになるような……」

こちらからは、ちょうど斜め後ろの頭が見える角度である。
首だけを出して、すっぽりとほつれたタオルケットに全身包まっていた。
Bさんたちは、ちゃんとした本人の写真も手に入れていたが、その特徴とも概ね一致している。

「ただ、なんというか、妙に白くって……」

電気が点いていないせいもあるのかもしれないが、髪の毛も耳や頬の輪郭も、痩せた首も、病的なまでに白く見えた。
面食らったBさんは照明のスイッチを探したが、見つからない。

「見上げると、照明自体はちゃんとあるのですが、どうも紐が切られているようでした」

普通の状態でないのは、どうやら確からしい。
とはいえ、身体をもぞもぞと動かしていたし、Bさんたちは気を取り直して、Cさんに来訪の意図を説明した。
自分たちの身分から、近隣の住民から心配する声が寄せられていること。
サポートの提案。
しかし、Cさんは向こうを向いたままで今一つ反応が薄かった。
説明の間ずっと、顔の位置を変えないまま、

ふしゅふしゅふしゅ、ふしゅふしゅふしゅ

と、鼻息のような、擦るような音を立てている。

(これは思ったより重度かもしれない……)

方針を整えるため、同僚と目で言葉を交わしていると、携帯電話に着信が入ったため、Bさんは「失礼します」と言って部屋を出た。
電話の内容は、担当している別件のちょっとした連絡事項で、喋ったのはほんの数分程度だったという。
ところが、電話を切って戻ろうとしたとき、不意に同僚が居間から飛び出してきた。
「どうした?」と驚くBさんを尻目に、彼は廊下の向こうへバタバタと駆けていく。
慌てて追いかけると、突き当りに据えられた洗面台に取りついて、げぇげぇと空えづきをしている。
追いついたBさんは「どうした、なにがあった?」と繰り返しながら肩に手を掛けると、同僚は咳き込みながら

「毛が…毛が生えてた」

と零した。

「何に毛が生えてたんだ?」

というBさんの問いかけには答えず、

「…カビかもしれない」

と、よく分からないことを言う。
とりあえず、持参した水を飲ませて落ち着かせると、彼は首を振りながら説明した。

「彼が言うには、Cさんの顔が…びっしりと白い毛のようなもので覆われていたっていうんです」

Bさんが席を外したあと、同僚は念のためにと思い、リクライニングに近づいて「Cさんでお間違いないですよね?」と声を掛けた。
それに対しややあって、ゆるゆると振り返った老人の顔が、頬も首も耳も鼻も、両方の目さえも白に埋まっていた。
まるで、カビに埋められたチーズの塊かなにかのようでもあった、と。

「いやぁ、さすがに呆れましたよ、ホラー映画じゃないんですから」

同僚を落ち着かせようと、あれこれ言い聞かせてはみたものの、同僚も譲らない。
Bさんは、同僚がふざけているのかとすら思ったのだという。
ただ同時に、彼が安易な見間違いや悪ふざけをするような人間ではないという気持ちも感じていた。

逡巡するBさんと青くなっている同僚。
彼らが不毛な押し問答を続けていた、ちょうどその時、居間のほうで

ずずずっ

ぎしっ

と、立て続けに音がした。

「直感的に、Cさんがイスから降りたのだと思いました、音の重みからしても」

(しまった!放置してしまった!)

なんという失礼を、と焦ったBさんは部屋へ戻ろうとしたのだが、同僚が強い力で腕を掴み、引き留めようとする。
「痛い、なにをするんだ!」と怒ると、すごい形相で「やめろ!」と返された。
同僚のあまりの剣幕に困惑するしかない。
そんなBさんの後ろで、

ぞぞぞぞ……

しゅっとととととと……

音を立てながら、居間から何かが出てくる気配がした。
反射的にそちらを向こうとするBさんを、やはり同僚が「見るな!」と怒鳴る。
ぎょっとして硬直したものの、そちらを向きかけた視界のほんの端っこで、床に近い低さに、白い後ろ頭が長いタオルケットを引き摺りながら廊下へ出ていくのが辛うじて見えた。

「…立って歩くんじゃなくて…這っていました……」

それは奇妙なくらい滑らかな動きに見えた。
床を滑るような、少なくともタオルケットに包まって四つん這いで歩く高齢者のそれではない。
なにか異様な感覚がBさんの背中に這い上がってきていたが、さすがにこれはそのままにできない。
呻いたまま固まっている同僚の腕を力任せに振り切って、彼はあとを追いかけた。
さほど行かないうちに、視界の先に白いタオルケットの端が見えた。

とととととととっ

と、音を立てながら、Cさんの奇妙な後ろ姿は廊下から和室へと入っていく。
少しタイムラグを置いて、その中を覗き込むと、開け放たれた縁側からタオルケットの端がちょうど家の庭に降りるところだった。
そして、立ち尽くしたBさんの目の前で、それは庭を横切り雑草の向こうへと見る間に消えていった。

「動きはそんなに速くありませんでした、追いつこうと思えば追いつける程度で…たぶん私も…追いつきたくなかったんでしょう……」

そのあと付近の捜索もそこそこに、彼らは警察へと届け出をし、そのごたごたでかなりの大わらわとなった。
奇妙なことに、そもそもの問題であったはずの大量の猫たちは、そのあとの調査でも家のどこにも見つからなかったらしい。
Cさんには捜索願が出されたが、この手の話の多くがそうであるように、結局発見されることはなかった。

ただ……

「そのあとも、時々、近隣でCさんを見たって声が上がるんです、大抵は草叢の間に顔があったとか、壁の破れ目から覗いていたとか、その程度のものなんですが……」

そうした目撃談は、今でも続いているという。
話がそのまま終わりそうになったため、僕はどうしても気になっていた点について最後に質問した。
家から外に出ていくくだりのCさんの様子である。
なんとなくBさんがその部分を、巻いているというか、肝心なところを言いあぐねているような、そんな気配を感じたのだ。
「どういう印象を抱いたんですか?」という僕の問いかけで、やがてBさんは腹を決めたようにふぅっと息を吐いて

「獅子舞、ですかねぇ……」

と呟いた。
曰く、追いかける視界で床を這うCさんの後ろ姿が敷居を跨ぐ瞬間、捲れあがったタオルケットの下に、猫の脚のようなものが無数にぞろぞろと蠢いているのを見てしまった気がするのだと、彼はそのように言ったのである。




この記事は、毎週土曜日夜11時放送の猟奇ユニットFEAR飯による禍々しい話を語るツイキャス「禍話」から書き起こし・編集したものです。

禍話インフィニティ 第四十七夜(2024/6/8)
「猫仙人」は51:47ごろからになります。(余寒さんの補足メモ付き)

『怪談手帖』について
禍話語り手であるかあなっき氏の学生時代の後輩の余寒さんが、古今東西の妖怪(のようなもの)に関する体験談を蒐集し書き綴っている、その結晶が『怪談手帖』になります。
過去作品は、BOOTHにて販売されている『余寒の怪談帖』『余寒の怪談帖 二』又は各リライトをご参照ください。

電子版はいつでも購入可能です。
禍話放送分の他にも、未放送のものや書き下ろしも収録されています。
ご興味のある方はぜひ。

※「猫仙人」については、まだ収録されていません。

参考サイト
禍話 簡易まとめWiki 様

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