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イムズって、何歳だっけ?という話。

イムズって何歳だっけ。

1989年、4月生まれ、32歳。

人間だったら現役バリバリどころか、さてこの先、次の10年はどうしようかって、将来に想いを馳せるような歳なんじゃないかとか。

この建物が出来たとき、この空間が30年そこそこで無くなってしまうなんて、一体誰が想像出来たんだろう。

それでも、閉館が決まったからには、お疲れさま、ありがとう、次が楽しみだねって言って、
どうして、なんでって、水をさすようなことを言っちゃいけないような空気がこの街にはあるような気がして。

でもやっぱり思ってしまう。
どうしてって。

特区になって、天神ビッグバンによる容積緩和があるからに違いないけど、築30年そこそこの建物がこうやって建て替えられるのであれば、それは天神ビッグバン自体がビルの老朽化とは言うほど関係ないのだろうし、

いかにそれぞれが容積を積んで経済効果を上げれるか、ソフトの施策と合わせて、アジアで最も創造的なビジネス街を目指せるか、ということの結果が、この建替えなのだろうか。

確かに、中心に大きな吹き抜けを持つ現在の構成はバブル期の象徴みたいな作りで、建物のボリュームに対して取れている床面積が必然的に少なかったりする。

だけど問題は本当にこの建物単体の問題だけだろうか、容積を積んだら変わるのかというと、それだけでもない気がしている。

(そんなことは、開発の専門の人がとっくに詰めてるんだろうけど)

歩いてみてもわかるし、googlemapで見てもあらためて感じるけど、渡辺通り挟んで東側は、西側の人の流れの連続性みたいなものとは一気に空気が変わる。

特にイムズのある街区の4面は、八角形というイムズの多面構成にも関わらず、実はオモテ面として機能している通りは、渡辺通り側の1面だけだと個人的には思う。

正確に言うとイムズ自体がオモテ面として作っていても、通り挟んで向かいの建物や敷地がオモテ面としての設えをもっていなかったら、それは結果的に人通りになりにくく、周囲に引っ張られて裏通りの空気を生んでしまうということ。

そして渋滞問題との裏表感はあるけれど、建物のまわりを囲む道路が広ければ広い程、建物が持つ道行く人に対する訴求力は下がる気がする。

具体的には、イムズの建物の周りを見ると、コア側は運搬車両のための道路になっていて、市役所側と信用金庫側の通りは広く空間が抜けていて、比較的幅広い道になっている。

こういった状況を考えると、イムズの建替えはイムズだけの問題ではなく、建て替え後、向かい合う周囲とどういう関係性をつくれるか。そのことが、イムズはもちろん、東側街区全体の空気に、人の流れに影響する気がする。あとはありきたりだけど、上層階で隣り合う建物との連絡通路があったらどうだったのかなとか、、

ただ、有田焼という贅沢な外壁はもとより、特に建物の中に関してイムズはやっぱり圧倒的だったし、天神の他のどの建物よりも記憶に残る建物であったことは間違いない。

そのみんなの記憶に残っているであろう建物が、たった32年でその幕を下ろす。

今みたいに東京との行き来も安くなかった学生時代、アルティアムで知る新しい世界は余計に貴重でワクワクしたし、デザニイング展の学生スタッフとのきの記憶も、森本千絵さんのクリスマスイベントの設営に入らせてもらって、はじめて触れる第一線の空気や夜な夜な組み上がる世界観に興奮したのもイムズだった。

そのイムズにとって、
どうしてそれが今必要だったのか。
何の権限もないけど、
やっぱりわたしは知りたい。

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