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アルマートイフェル【第一話】



◎あらすじ◎
 高校三年の冬、人生で初めての恋人だった北野夕美をホームレスの男に殺された王島京太は、以来、ずっと抜け殻のようになって生きてきた。
 事件から十二年が経った、夏のとある日、そんな京太のもとに、一通の手紙が届く。
『北野夕美を殺したのは誰だ』
 この手紙の到着を機に、京太の身の回りで不可解な出来事が次々と起こり始める。───果たして手紙を送りつけてきたのは誰なのか。そして夕美を殺した本当の犯人とは……。
 忍び寄る悪意が、次第に京太の心を闇へと引きずり落としていく。
 アルマートイフェル。それは、ドイツ語で哀れな奴を意味する言葉
 これは、死に翻弄された哀れな人間たちの物語である


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 すべての始まりは、今から十四年前、僕がまだ高校一年の秋の頃だった。

 舞台は九州の地方都市、A市の末端に位置する鶴松つるまつ町。A市の市街地である花吉はなよし町の花吉中央駅から電車でおよそ三十分、いくつかの町を跨って稜線を引く城金山しろかねやまの外縁に面した小さな田舎町だ。

 僕と北野夕美きたのゆうみは、その町の高校に通う同級生だった。

 僕の実家も夕美の実家も、城金山の中腹に立つ高校とは山の麓に伸びる鶴松駅の線路を挟んだ向かい側に位置する住宅街の中に建てられていたため、登下校をする際には線路に架かる跨線橋を一つ渡る必要があった。

 その日の放課後、僕がその跨線橋を一人で渡っていると、濡れた足元に膝をつき、欄干の隙間から腕を外に伸ばして、必死になにかを取ろうとしている夕美の姿があった(僕も夕美も帰宅部だった)。通り過ぎしなに彼女の方を一瞥すると、欄干から外に向かって突き出た鉄骨にキーホルダー付きの鍵が引っかかっているのが見えた。だけど、彼女のその白くてか細い腕が宙ぶらりんになった鍵に届く気配は一切なかった。

 夕美の存在自体は僕も前から認識はしていて(僕は元々この町の出身だったが、夕美は中学三年の頃に親の転勤の都合でこの町に越してきていた)、それまで話したことは一度もなかったけれど、なんとなく同じ住宅街に住んでいるらしいということも知っていた。それもあってか、苦悶する彼女の姿を上から見下ろしているうちに近所のよしみのような感情が湧いたのだろう、気付けば僕は後ろから彼女に声をかけていた。

「……あの、大丈夫?」

 その日、朝から続いた雨は昼過ぎのうちには止んでいたけど、依然として天気は鈍く、いつまた降り出してもおかしくはない様子だった。

「家の鍵が、ちょっと、そこに落ちちゃって……」

「僕が、やってみようか。あの……、取れるかは、分からないけど」

 おどおどと言って、彼女の隣に腰を屈めると、跨線橋の骨組みが付け根の部分からミシミシと唸るように軋むのが分かった。というのも、この跨線橋はもう何十年も昔、鶴松駅が開通した当初からここに架かっている古びた橋で、経年と共に老朽化が進み、誰かが上を渡るたびに鉄骨がミシミシ、キーキーと軋むのだ。その音が時折、何者かの不気味な泣き声に聞こえることから、地元の人間からはよく「オバケ橋」という蔑称で怖がられていた。

 僕は地面に体を這わせるようにしながら、持っていた傘の柄の方を欄干の隙間からずいっと伸ばした。すると、何度か傘を上下前後に出し入れしているうちに、偶然、持ち手の湾曲した部分が、空中を彷徨うキーホルダーの輪っかの中に引っかかった。

「取れた!」

 柄にもなく声を跳ね上げてしまったのを今でもよく覚えている。

「わぁ! ありがとう! 本当にありがとう!」

 僕の右手を鍵ごとギュッと握りしめた彼女のその手は、雨水にしばらく触れていたはずなのに、とても、とても暖かかった。

 彼女と正式に付き合うようになったのは、───……いつ頃だったっけ。彼女の方から僕に、「私たち、付き合おうか」と言ってきてくれたのだ。その当時の僕の有頂天ぶりときたら、きっと凄まじかったことだろう。毎日ニヤニヤしていただろうし、声のトーンもいつもより一つか二つは上がっていたような気がする。

 だけど、それもまぁ仕方ない。夕美との出逢いはそれくらい、僕のそれまでの人生の価値観を根底から覆すような出来事だったのだ。それなのに───、そのおよそ二年後、僕の人生の価値観を根底から覆す出来事が、再び起きた。

 夕美が、なんの前触れもなく、殺されてしまうのだ。

 事件が起きたのは、今から十二年前の一月七日。高校生活最後の冬休みの最終日。鶴松町の住宅街にある小さな公園で、だった。花吉町で僕とデートをした帰りだった夕美は、いつものようにその公園を横断しようとした。鶴松駅から彼女の実家までは、そこを通り抜けるのが最短の道のりだったからだ。

 夜の住宅街は人通りも少なく、深閑としていた。とはいえ、今まで何百回と往来してきた歩き慣れたルートだ。まさかこんなところで犯罪が起きるなんて、しかもそれが自分の身に降りかかるなんて、夢にも思っていなかったことだろう。

 だけど、彼女はそこで殺された。後ろから包丁で背中を一突きにされたのだ。振り下ろされた刃先は心臓に至り、ほとんど即死だった、らしい。数十分後に駆けつけた救急車に担ぎ入れられた時にはもう、彼女は息をしていなかった。

 後日、現場から無くなっていた夕美の財布が、凶器に使われた包丁と共に駅沿いに張られたブルーシートの中から見つかった。得られた有益な情報も相まって、警察はそのブルーシートで生活をしていた男を逮捕。困窮したホームレスによる強盗殺人と発表した。

 僕が夕美と再会したのは、事件の翌日。霊安室で眠るように目を閉じる彼女の冷たい手の感触は、今でもまだはっきりと覚えている。出逢ったあの日、跨線橋の上で感じたあの温もりは、もうそこにはなかった。





 夕美の死から十二年後の、八月三日───。

 この日は日本全国、朝から夏らしいうだるような暑さが続き、雲一つない水色の空に我が物顔で浮かぶ日輪が、灼熱のアスファルトに陽炎を焚いていた。

 夜になり、花吉中央駅近くにある映画館でその日の勤務を終えた僕は、くたびれた足取りで徒歩十数分の距離にある自宅アパートに戻った。太陽が沈んでも辺りの空気は一日の残熱に満ちていた。

 暗がりの路地をしばらく進み、自宅アパートに到着した。ただでさえ築年数の古いボロアパートだ。夜闇のレースが掛かると、その寂寥感は余計に増した。

 アパート全体の部屋数は六つ。それぞれ一階と二階に三つずつ並んでいる。日々の物音や空き室ありの看板が立てられていないのを見るに全室埋まっているようではあるけれど、他の住民と鉢合わせたことは一度もない。

 アルミ製の外階段を昇り、歩きながら部屋の鍵を取り出した。僕の部屋は二階の一番奥にある203号室だ。鍵穴に鍵を差し込み、捻ろうとしたところで、玄関に取り付けてある郵便受けの口から一枚の封筒がはみ出しているのに、ふと気が付いた。

 抜き取って見てみると、おもてに「水島京太みずしまきょうた様へ」と書かれているだけの、妙な封筒だった。差出人の名前も住所も、よく見れば消印さえも押されていない。僕が家を留守にしているあいだに誰かがこれを直接ここに投函していった……ということだろうか。

 中に入っていたのは、四つ折りにされた一枚の便箋だった。内容を確認すると、そこにはたった一行、

『北野夕美を殺したのは誰だ』

 不自然なまでに無機質な文字で書かれた、そのたった一行の文章に、僕は戦慄した。全身の毛がぞわっと逆立ち、鳥肌が立った。

 一体誰がこんなものを───。

 夕美を殺した犯人は、すでに警察に捕まったはずじゃないか……。夕美を殺したのは、あの人じゃないのか? 自分たちとはなんら関係のない、あのホームレスの男。あの人が夕美を殺したんじゃないのか?

 耳鳴りがした。手のひらにぬるい汗がじとりと滲む。不規則に跳ねる心臓の音が、この先の凶兆を報せる不協和音のようにも、なにかがこちらに向かって忍び寄ってきている足音のようにも、聞こえた。


アルマートイフェル【第二話】
https://note.com/ustio_de_vol/n/n1ad223d234b0
アルマートイフェル【第三話】https://note.com/ustio_de_vol/n/nea09530da98a
アルマートイフェル【第四話】
https://note.com/ustio_de_vol/n/ndb480d50ca8d
アルマートイフェル【第五話】
https://note.com/ustio_de_vol/n/n69dd252b66f1
アルマートイフェル【第六話】
https://note.com/ustio_de_vol/n/ne08b0bc9838b

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