ユースティオ・デ・ヴォール

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  • アルマートイフェル

     自己保身に走る人間たちが右往左往する姿を見たくないか?  その魔王は、愉快なステップを踏み鳴らし、口笛を吹いて現れる───。

  • ぼくとわたしのいるこの世界

     ───これは、一組の男女が時を越えて心を通じ合わせる、環世界を巡るラブストーリーである。

最近の記事

アルマートイフェル【最終話】

◇  鶴松町の公園は雨上がりの陰鬱とした臭気のせいもあってか、心なしか空気もぼんやりと霞んでいるように見えた。  ちょうど今から一週間前が夕美の誕生日だった。入り口に僕が手向けた彼女への献花が、随分と萎れてはいるものの、辛うじてまだそこに残っていた。公園の右手に手狭な砂のグラウンドがあり、左手にいくつかの遊具が点々としている。鉄棒、雲梯、ブランコ、すべり台。入り口から見て、それらの一番手前にそびえ立つ三メートルほどの、小さな城を模したかのような木組みのアスレチックの天板の

    • アルマートイフェル【第十話】

      ◇  時刻は夕方の六時。晴希のアパートをあとにした僕は、駅の東口にある花吉広場に場所を移した。広場を囲う環状の車道は、その場所柄、バスやタクシーを含めた車両の出入りが多く、そのくせあまり見通しもあまりよくはないので、いつもどこかでクラクションが鳴り響いている。今日のように雨の日となると、尚更だ。  しばらく広場の銅像に背中をもたれて立っていると、ここに来るまでの道中で呼び出しておいた陽が僕の前に姿を見せた。怪我をしていない右手で傘をさし、露骨に気まずそうにしながら、包帯の

      • アルマートイフェル【第九話】

        ◇  八月十六日、土曜日。幸いにも今日は仕事は休みだった。とはいえ仮に今日、仕事のシフトが入っていたとしても、今の僕の精神状態では出勤するのは不可能だったと思う。昨日の無断早退の説明も結局まだしていない。今回ばかりはかなりの叱責を受けるだろうし、それどころか即日解雇を言い渡されても文句は言えまい。だけど、仕方ない。それでもいい。どのみち僕はもう今の職場には戻れない。支配人にも同僚にもアルバイトの子たちにも、そしてなにより大沢さんにも、もはや合わせる顔がなかった。  朝早く

        • アルマートイフェル【第八話】

          ◇  視界一面に、満点の星空が映っている。かなり強めの冬風が吹いているようだが、そこに冷たさは感じない。寝そべる僕の右隣に陽がいる。今よりもずっと小さく、あどけない。だけどよく見ればその幼い顔立ちにも今の面影がよく映っていて……。左隣を見れば月哉もいる。月哉に至ってはまだ───小学生にもなっていない頃だろうか。  どうやらまた過去の記憶を夢に見ているらしい。小学一年の時の記憶で、母を交通事故で亡くしてまだ間もない頃のことだ。  よく晴れた冬の寒い日、夜の八時か九時ごろだ

        アルマートイフェル【最終話】

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        • アルマートイフェル
          11本
        • ぼくとわたしのいるこの世界
          10本

        記事

          アルマートイフェル【第七話】

          ◇ 「もうすぐ夜だってのに、蒸し暑ぃな、おい」  待ち合わせ場所の鶴松駅で、先に来ていた僕と合流するなり、陽は苛立たしげに眉をしかめた。八月十四日、木曜日。病床の恩師と───今や恩師とさえ思っていないけど、武蔵野先生と再会を果たした、翌日だ。この日も相変わらず朝から雨雲がうろついていて、さらに気温も三十三度ということもあって、いつも以上に湿気が多く、息をするだけで体力を消耗するような、そんな一日だった。  夕方に仕事を終えた僕は職場からそのまま電車に乗って、この鶴松町に

          アルマートイフェル【第七話】

          アルマートイフェル【第六話】

          ◇ 「それ、絶対お前のこと好きだって」  八月十二日、火曜日。ベッドの上に腰かける陽が、クッション製の小さなサッカーボールをこねくりながら、そう言った。子供の頃から見慣れた部屋の壁にはひと世代前のサッカー選手のポスターが貼られ、小さな液晶テレビには埃が被り、勉強机には高校の教科書や赤本がいかにもガサツといった感じで雑然と並んでいる。陽が小学校から高校を卒業するまで使っていた彼の子供部屋だ。  この日、仕事を終えた僕は鶴松町の住宅街の中にある、この陽の実家に足を運んだ。西

          アルマートイフェル【第六話】

          アルマートイフェル【第五話】

          ◇  夢を夢だと自覚するのに、そう時間はかからなかった。  眩い白光によって視界のすべてを奪われた世界で、どこからか声が聞こえてきていた。夕美の声だ。無重力の空間に放り出されたみたいに僕の体は宙を浮遊し、ただそこに彼女の声だけが反響している。 『───京ちゃんはなにも分かってないよ。人は誰だって誰かに助けてほしいと思ってるんだよ』 『───でも、他人の揉め事に首を突っ込んでもロクなことないよ』  僕自身の声も聞こえた。自分で自分の声を聞くのは、昔のホームビデオを大人

          アルマートイフェル【第五話】

          アルマートイフェル【第四話】

          ◇ 「お前の方から連絡してくるなんて珍しいよな」  花吉中央駅近くの狭い居酒屋の一席で、僕にとっては唯一の親友であり、幼馴染でもある烏山陽が、どこか緊張を滲ませた様子で焼酎の熱燗を右手であおった。普段飲みに行こうなんて絶対に言わない僕に突然呼び出され、なにかあるんじゃないかと戸惑い半分、警戒しているのだろう。 「ま、たまにはいいかなって思ってさ」 「なんだよそれ、気持ち悪いな」  怪訝に眉を寄せる陽。心なしか彼のその顔には、いつもの彼らしくない心労が溜まっているよう

          アルマートイフェル【第四話】

          アルマートイフェル【第三話】

          ◇  午後から降り出した雨は次第に激しさを増していた。市立病院から花吉中央駅まではバスを使い、駅から自宅アパートまでは歩いて帰った。ほんの十数分の道のりを歩いただけで全身びしょ濡れになってしまったけれど、なんとなく、道中のコンビニで間に合わせの傘を買う気にはなれなかった。  自宅は、就職を機にようやく実家を離れて越してきた二階建てのボロアパートだ。広さ八畳ほどの1Kで、家賃は3万2000円。決して高くはないけど、湿気の多さや害虫の出没頻度を勘案すると、とても住み良いとは言

          アルマートイフェル【第三話】

          アルマートイフェル【第二話】

          【第一幕】 ◇  天井の蛍光灯が眩しくて、僕は咄嗟に目を閉じた。暗くなった視界に光が弾け、その中にぼんやりと人影のような残像が浮かんだ。 「京ちゃん───」  その人影に名前を呼ばれたような気がして、ハッとまぶたを持ち上げる。  市立病院の大部屋だ。窓際のベッドに横になる父、忍三が、天井から注ぐ白色蛍光灯にさらされた眼窩を鋭く僕の方に向けてきていた。 「おい、京太、聞いてんのか」 「───あっ、ごめん、なに?」 「仕事はどうしたって聞いてんだよ。こんなところで

          アルマートイフェル【第二話】

          アルマートイフェル【第一話】

          ◎あらすじ◎  高校三年の冬、人生で初めての恋人だった北野夕美をホームレスの男に殺された王島京太は、以来、ずっと抜け殻のようになって生きてきた。  事件から十二年が経った、夏のとある日、そんな京太のもとに、一通の手紙が届く。 『北野夕美を殺したのは誰だ』  この手紙の到着を機に、京太の身の回りで不可解な出来事が次々と起こり始める。───果たして手紙を送りつけてきたのは誰なのか。そして夕美を殺した本当の犯人とは……。  忍び寄る悪意が、次第に京太の心を闇へと引きずり落としていく

          アルマートイフェル【第一話】

          【最終話】●わたし● 5

          ◆  助手席のウィンドウを何気なく開けると、秋の心地良い風が車内を吹き抜け、久しぶりに揃えたわたしの前髪をパタパタとなびかせた。 「風が冷たくなってきたねぇ」  隣でハンドルを握る大ちゃんが、鼻から息を吸い上げるように胸を浮かせた。 「あ、ごめん寒かった?」 「ううん、平気平気」  杉並区にあるわたしの部屋を出発した大ちゃんの車は、渋谷区のマンションで美代子さんを拾って、そのまま成田方面に向かっている。  半年ほど前に突然、外国に行くと言い出した美代子さんが日本

          【最終話】●わたし● 5

          【第九話】◯ぼく◯ 5

          ◇  目が覚めた。  体感では夜に目を閉じた次の瞬間に朝が来たような、あの感じ。  汗もかいていない。息も上がっていない。久しぶりに目覚めの良い朝だった。  ここ最近、記憶に累積しない、だけどなんとなく嫌だったという感覚だけが喉の内側にざらざらと残るような、悪夢といえば悪夢のような夢を見続けていたから、それがなかっただけでも今日一日がなんだかいつもより楽しくなりそうな気がして、ぼくは空気の詰まった風船が地面に触れて軽々と跳ね上がるように、ベッドから上体を起き上がらせた

          【第八話】●わたし● 4

          ◆  黒い、大きな蝶が飛ぶ夢を見た。  その黒蝶はヒラヒラと空気を掻くように羽を動かしながら、自らの体を淡く光らせ、暗闇の中を飛んでいた。  夢の中で今わたしがどこにいるのか、目の前の黒蝶がどこに向かって飛んでいるのか、それはなにも分からない。  だけど、なんだかとても、懐かしい感じがした。 「雄馬ッ!」  わたしはその黒蝶に向かって、なぜか雄馬の名前を呼んでいた。  もちろん黒蝶はわたしの方には振り返らない。  振り返らないまま、ひたすら前を目指して飛んでい

          【第八話】●わたし● 4

          【第七話】◯ぼく◯ 4

          ◯ ぼく ◯ ◇  夢の中で、ぼくは知らない部屋で知らない男と話していた。  もちろん、いつものように記憶に留まらない刹那的な一連の夢を見たあとで、だ。  知らない部屋の、知らないダイニングテーブル。食事中だろうか。向かいに座る知らない男がナイフとフォークを手にして、ぼくに笑いかけている。なにやら楽しげなのは分かるが、声は聞こえない。  男がキッチンで皿を洗いはじめる。ぼくもそこに少し遅れて合流し、二人で肩を並べて皿を洗う。  洗剤の泡が男の鼻先についていたので、

          【第六話】●わたし● 3

          ● わたし ● ◆  目を覚ますと、天井にできた小さなシミと目が合った。二つの黒いシミが点々と横並びになっているせいで、いつも上から誰かに睨まれているような感じがする。  いつからあるのか、ここに引越してきた当初はあんなシミ、なかったはずだ。そろそろまた引越しをするべきだろうか。  溶け落ちるようにベッドから下りて、寝室を出た。  洗面所で顔を洗って歯を磨く。  鏡を見ると、青黒いクマを目元に滲ませた自分の顔がそこに映っている。とても人に見せられる状態ではないが、

          【第六話】●わたし● 3