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育児休業を終えて、これからのこと

3ヶ月間取得していた育児休業が、終わりました。この文章を、この育休期間を支えてくれた多くの人たちに向けた手紙として、書いてみたいと思います。

いま、さまざまな思いが湧いてきて、うまく言葉になりません。この数ヶ月で起こった子どもと妻と自分の心身の変化のこと、生活の変わりよう、考えてきたこと、これからについて感じている不安とか期待とか、そういうさまざまなものです。とりとめもなく、まとまる感じもないのですが、でも、何か書き残しておきたくて、キーボードを叩いています。

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2020年1月末に妊娠がわかり、すぐに妻はつわりで体調をくずしはじめました。嘔吐、頭痛、全身の倦怠感、食欲不振などが激しく、当時1歳半だった子どもの世話と家事とができなくなり、妻の実家に娘と妻は移住し、ケアをしてもらいました。ぼくは週末に通う生活になりました。3月末に新型コロナウィルスによる外出自粛がはじまってからは、ぼくも妻の実家にお世話になり、使っていなかった部屋を借りてリモートワークをするようになりました。とてもありがたいことでした。

社会の転換期にあって、家族も、クライアントの方々も、誰もが不安と葛藤のなかにいました。ぼく自身、仕事も加速度的に忙しくなり、「第二子が生まれても育児休業をとりたいが、こんな状況で休業したいなんて伝えたらどんな風に思われるだろうか」と不安が胸の内に巣食っていました。

春が過ぎ、夏の陽気が見えてきた頃、妻のお腹もおおきくなってきました。そろそろみんなにちゃんと伝えなければと、不安を押し殺して、会社の代表やユニットメンバーに、妻のおなかに子どもがいること、育休を取りたいと思っていることを伝えました。代表は、当然のように「準備をしていきましょう」と言ってくれました。ユニットのメンバーも、「絶対に取った方がいい。とったほうが私たちのためにもなるし、臼井さんが育休を取れるように、工夫していきましょう」と伝えてくれました。代表との1on1ではなんとか涙を我慢できたのだけど、ユニットでの会議では思わず涙が溢れてしまいました。

その後、8月まではフルボリュームで仕事をし、9月の出産前から段階的に仕事を減らしていき、休業に入る準備をさせてもらいました。代表は「目標数値は別に気にしなくていいから、うまく休みに入れるように周りにバトンをわたしていきましょう」と言ってくれ、メンバーもどんどんぼくから仕事のバトンをもらってくれました。

本当に、夢でもみているかのようなスムーズな移行で、安心して休業に入ることができました。こんなふうに休業を取得できるのは、組織の構造をつくる組織デザイン、組織の関係性を耕す組織開発によって、日々みんなで対話をし、調整していることの賜物でした。Mimicry Design、そしてDONGURIのひとりひとりに、心から感謝の気持ちを伝えたいと思っています。

2020年9月14日に第二子が生まれ、1ヶ月間は妻の実家にお世話になりながらリモートワークで段階的に仕事を減らし、10月19日から3ヶ月の育児休業をスタートさせました。

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第二子が生まれて、最初の苦悩は、睡眠不足でした。

生まれたばかりの子は、夜中であろうと泣き、おっぱいをほしがる。うんちも遠慮なくする。そのため、夜の睡眠が2〜3時間の断続的なものになる。それによる睡眠不足で、脳がずっと痺れているような感覚が日中も続く。そんななかで、保育園に行っていない第一子と一緒に遊ばなければならない。子どもと一緒に、公園に行き、走ったり、ボールを蹴ったり投げたり、滑り台を滑ったりする。ご飯もつくらなきゃいけないし、荒れる部屋を常に片付けなければならないし、膨大なタスクが山積するなか、脳は痺れ、子どもたちは不満を泣き声という騒音に変えてさらにぼくたちの脳を痺れさせる。恥ずかしながら、あまりの苛立ちに、声を荒げたことも幾度となくありました。誰も悪くないのに。

こんななかで、何よりもありがたかったことは、友人たちのケアでした。会社のメンバーが隔週で1時間ほど話を聞いてくれました。仕事の話ではなく、ただひたすらぼくの育児の葛藤や工夫を聞いて、面白がってくれました。

わざわざ電車に乗って会いにきてくれた友人もいました。公園で1時間ちょっと、子どもたちと遊びながら、他愛もない話をし、最後に、ぼくたち家族の写真を撮ってくれました。

キッズシッターをするよ!と声をかけてくれた友人もいます。メッセンジャーやtwitter、instagramのDMで、興味関心を送り合う友人たちも多くいました。会社のメンバーがかけてくれる「復帰を待ってるよ」という言葉も、嬉しく、ありがたく感じていました。

コロナ禍の育児で閉塞した生活のなかで、このケアの時間がどれだけありがたかったことかわかりません。

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生まれた子どもが長く眠らないうちは、どうしても眠れない辛さがつきまといます。それによって起こりやすくなる苛立ち、それでもやらなければならない家事に追われる。でも、友人たちによるケアがあって、そんな生活も、なんとか歯を食いしばってやっているうちに、次第に慣れていきました。

11月の半ばからは、毎朝4時には起床し、本を読んだり文章を書いたりして好きなことをして過ごせるようになりました。子どもたちが寝ているあいだのこの時間が、僕の唯一自由な時間でした。貪るように本を読みました。同時に、このnoteのマガジン内で、メールによるワークショップの実験も始めました。この自由時間が何より好きで、毎朝起きるのを楽しみに過ごしています。

朝の6時からは料理をします。ぼくは片付けが苦手なので、家事において中心的に担っているのは料理です。配送サービスを使って毎週食材を仕入れ、冷蔵庫にパンパンに詰まった食材を調理しまくる。授乳期の妻はとにかくよく食べるし、2歳の子は食べムラが激しいので、なるべく品数を多く作るようにしてがんばっていました。買い溜めた食材は翌週にはすっからかんでした。そうしてつくった料理の写真を、鍵付きのinstagramのアカウントに、叩きつけるように投稿していました。映えのために撮りかたを工夫したりせず、無造作に写真を撮り、投稿し続けています。

掃除や片付けは妻が率先してやってくれました。何をどこに置くか、レイアウトから考え直し、徹底してクリアにしていってくれました。お風呂は、二人で二人の子どもを手分けして入れています。2歳の子は、しばらくお風呂を嫌がることが長く続いたのですが、佐藤蕗さんの工作本に載っていたクリアファイルで作るお風呂おもちゃをつくってから、楽しくお風呂に入ってくれています。

晩御飯を食べたら、20時には寝てしまいます。そして4時におきて、また1日が始まる。

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こんなふうにして、ぐるぐると繰り返される生活のなかで、時間というものの感じ方が変わっていきました。

仕事をしていると、ゴールに向かってスケジュールを決め、googleカレンダーの1時間毎のブロックが次々に埋まっていきます。まっすぐな矢印のような時間、積み木もしくはパズルのようなブロック状の時間のなかで生活をします。

しかし、この育休期間の生活は、家事をしたり公園に行ったりオムツを替えたりして繰り返される行為によって、時間というものがまるで円環のかたちをしているように感じられます。

ぐるぐると繰り返される行為のなかで、生後3ヶ月の子どもが手をじっと眺めたり、2歳の子どもが公園で泥に触れて知覚をとぎすましたり、ぬいぐるみと遊んだり、紙にクレヨンで色を塗り分けたりする、やわらかい時間が芽吹いていました。すこしずつ子どもたちはその身振りを変化させ、妻は片付けや掃除の精度を確実に上げ、ぼくは料理の腕を上げていきました。1日2時間の自由時間のなかで、本を読んだり実験をしたりしてアイデアが育っていくのを感じていました。

それは、ほんとうにこの期間でなければできない豊かな時間だったと思います。ときおり、苛立ちの激しいノイズがこの優しい円環状の時間を乱すのですが。

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こうした時間の捉え方のヒントをくれたのは、中村佑子さんの『マザリング 現代の母なる場所』という本でした。

この本を、年末から年始にかけて、ぼくは朝っぱらから、随所で涙を流しながら読みました。この本のことを語ると、この本から受け取っている大切なさまざまなことをかき消してしまう気がして、まだ書けずにいます。

「マザリング/母する」という動詞形の言葉に、ぼくはどれだけ勇気付けられたかわかりません。中村さんは本のなかで「これは誰かへの私信である」という風に書かれていて、ぼくは中村さんからの手紙を受け取り、大切にするような気持ちで日々を過ごしています。そして、ここから書くことは『マザリング』から少なからぬ影響を受けています。ぼくから中村さんへの、勝手な私信であるとも思っています。

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円環状の時間のなかで、やわらかい遊びの時間が芽吹いていく。この、パステルカラーの風景は、いわゆる「家族のあたたかさ」のようなものに思われるかもしれません。確かにそういう面もあるかもしれませんが、ぼくは、ある種の幸福を感じるとともに、このやわらかい時間は、あまりにも繊細で傷つきやすい、表皮のめくれた粘膜のようなものに感じられ、そこに居合わせることに不安を感じることが少なくありませんでした。

手を伸ばし、珍しそうに拳を見る。声の出し方を覚え、うーくー、きゃーあ、くぅっくぅ、と、はつらつとした声をかけてくる。眠り方がわからず、泣きながらだんだんと眠りに落ちていく。ぼくが抱っこ紐をつけて「散歩に行こう」と声をかけると、ぐずぐず泣くのをやめて、はっはっはっと息を吐きながら両手をバタバタさせる。

クレヨンで画用紙に丸を描いてそのなかにシールを貼る。これを繰り返す。自分の手を動物に見立てて、親指とそのほかの指をパクパクさせて話しかけてくる。興奮して昼寝ができず、ご飯を食べながら寝落ちしてしまう。どんぐりころころよろこんで〜、と、なぜか二番の歌詞が好きで繰り返し歌う。

挙げればキリのない、子どもたちの様々な身振りは、命がはつらつと育っていくのを見せてくれて、愛おしい気持ちになる。一方で、その時間に浸る喜びを感じながら、身体の半分では、これからの生活と仕事のことを予測し、スケジュールを組んで進めていかなくてはならないと感じる。

子どもが育つ傍に居合わせる「親」という存在は、こんなふうに円環状の時間と矢印/ブロック状の時間に引き裂かれながら生きているのだということをひしひしと感じました。そして、この愛おしい身振りたちは、コロナ以後の社会を、そして気候変動の世界を、資本主義の仕組みと折り合いをつけながら生きていくにはあまりに弱く、生々しく、そしてそこに居合わせる親の存在もまたその弱さ/生々しさを半分以上引き受けています。

「ワークライフバランスのための時短家事」とか、「VUCA時代を生き延びる子どものSTEAM力を育てる」とか、そういった言説は資本主義経済のなかでは合理的な家事・育児の方法なのでしょう。ゴールに向かってスケジュールをブロック状に組み立てながら、どうにかこうにかこなしていく。でも、ぼくが居合わせ、引き受けているた、傷つきやすい粘膜のような柔らかい時間は、「効率」とか「マネジメント」「〇〇力」といった経済合理性の言説からはこぼれ落ちてしまう、大切なものに溢れているように感じました。

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ぼくは、このなんだかうまくいえないけど大切なものを、これからもどうにか掬い取りながら生きていきたいと感じています。育児休業のなかで感じられたそれらのものが、仕事に復帰した途端に忘れられていくことが、今はなんだかとても怖いのです。

それは、子どもがその弱さ、生々しさのなかにある生きる喜びのようなものを持ち続けながら、どのように遊び、生きていくかということ。そして、ぼくを含め、その弱さや生々しさに居合わせる人のケアのあり方を考えることでもあります。それは子どもに限らず、経済的な合理性からこぼれ落ちるような行為を日々している人たちのケアの問題系ともつながるかもしれません。

ケア論研究者のノディングズは、人は他人をケアするとき、同時にケアされているとしています。ケアされることは、同時にケアすることでもある。

ぼくはこの期間、友人たちにとりとめもない話を聞いてもらうことや、友人たちが見知った新しいものを教えてもらうことで癒され、触発され、それが間接的に影響して子どもの生をつぶさに見ることにつながっていきました。友人たちがぼくにケアされたと感じているかはわかりませんが、こうした関係性を、多くの人たちと、遠くにいながらつくることはできないかと考えています。

メールによるワークショップは、その手段の一つになりうるのかなと思っています。

多くの人との往復書簡のような、私信を交換するようなやり取りの場をつくることはできないかと考えています。オンサイトでのワークショップは、子連れにはなかなかやさしくなく、移動の不安や集中できない葛藤が伴います。オンラインのワークショップもZOOMという場に集まる点において同様です。そうではなく、ちょっとした隙間時間に、ケアの環と繋がれるような、そして1対多数ではなく、一対一の私信の交換ができる安心感があるような、そうした場所作りについて、考えています。

まだ、どのような場所になるかはわかりません。でもそのような場をつくることをぼくはやりたいし、使命のように感じています。このマガジンのなかで実験を積み重ね、かたちにしていきたいと思っています。

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あらためて、この文章はこの育休期間を支えてくれたさまざまな人たちへ、感謝の手紙として書いてみました。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。これからもどうぞよろしく。

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