「アート思考」における「鍛錬」と「免疫」について
不確実な時代に、人間の直観的な創造力が突破口になる。だからみんなアートを学ぶべきだ・・・
という背景から「アート思考」がブームになっている。いったいアート思考とはなんなのか。なぜその必要性がうたわれているのか。どのような具体的事例があるのか。記事や書籍を読み漁るなかで、一冊のピンとくる本に出会った。
その本についての感想を前回のnoteに書いた。
「アート思考」への違和感
正直、どんな「アート思考」の本や記事を読んでも心がときめかなかったのだが、この本には希望を感じてしまった。
しかし、違和感もおぼえた。
ここからは、ぼくが感じている「アート思考への違和感」を書く。「アート思考」に関する文献や記事を読んでいて、ぼくが違和感をおぼえることが2つある。
一つは「アーティストの内発性/衝動性を、ビジネスに生かす」という文脈だ。アーティストは単なる衝動のかたまりではない。衝動の背景には鍛錬がある。アーティストに感化され学ぼうというのであれば、衝動性よりも鍛錬にこそ目を向けるべきである。
もう一つは、「新規事業を生み出す思考法」としてアートが安易に流通することへの懸念だ。失敗すれば「アートなんてダメで無駄じゃん」という雑な批判につながってしまう。アートの「毒素」に対する「免疫」をつけながら導入する中長期計画が必要である。
まずは、アーティストは「無から有を生み出す錬金術師」でも「たんに衝動から物作りをする人」でもないと言う話から。
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