「モヤモヤしていることは?」という質問の3つの価値
レクチャーやトークイベントなどで質疑応答の時間があります。このとき、即座に手が上がり質問がはじまることってそんなに多くないですよね。
参加者同士の関係性ができていて空気が解れていれば質問が出やすいですが、そうじゃないと最初の1人は恐る恐る手をあげます。あるいは質問が出なくて、登壇者が話を続けるシーンもよく見かけます。
そんなとき、たとえば、「近くの人とグループをつくって、気づいたこと、あるいはモヤモヤしたことについて、1人2分ずつ話してください」と、投げかけてみます。
さらに「話しているうちに質問したいことが出てきたら、あとで教えてください」と加えておきます。
こうすると、話しているうちにモヤモヤしたことが「質問」の形になってくることがあります。レクチャーの場で、口を閉ざして座っていた状態から、2分でも自分の考えを言葉にするために口を動かすことで、ちょっとしたアイスブレイクになり、そのあと活発に質問が飛び交うことがあります。
今日は、こうして"モヤモヤ"について問うことの3つの価値について考えてみます。
1. 「モヤモヤしていいんだ」という安心感を生む
新しい知識を得るとき、知らなかったことが頭の中に流れ込んだり、今まで知っていたことが崩れていったりして、脳が興奮します。理解しようとすればするほど、気づきと混乱、発見と不可解さがまざりあってモヤモヤするはずです。
ここでもし「今日の"気づき"について話してください」と投げかけたとします。"気づき"について話す参加者は、自分が理解できていることについて話します。そして、「本当はモヤモヤしている部分もあるけど、今日は話さなくていいや」と心のなかで処理してしまうことも多いでしょう。
この"モヤモヤ"をその場で出さないと、よくないことが起こる場合があります。溜め込んだモヤモヤが、不満に変わり、イベントやテーマへの印象が悪くなってしまうことです。
ですが、「モヤモヤについて話してください」と投げかけることで、「あ、自分がモヤモヤしてたことについて、話をしていいんだ」という安心感が生まれます。そして、「このファシリテーターは他人のモヤモヤを聞いてくれるタイプの人だ」という信頼にもつながります。
その安心感+信頼感は、自分のモヤモヤが受容されている感覚に変わり、不満なものに変わりにくくなるはずです。
2. "モヤモヤ"の言語化によって「気づき」が芽生える
「今日の"気づき"を話してください」という問いかけは、もう一つデメリットがあります。"気づき"のみの言語化をうながすことによって、"モヤモヤ"を忘れることもうながすのです。
もし本当に"モヤモヤ"がなく、"気づき"ばかりであった場合は「今まで知っていたことに言葉が与えられた」と感じている状態かもしれません。しかし、与えられた借り物の言葉は自分のなかに根付きにくく、忘れられたり、あるいは誤解したまま使ってしまったりする場合もあります。もちろん、後日すぐ実践し役立つ場合もあると思いますが。
一方、"モヤモヤ"とは、未整理な葛藤状態なので、語ろうとしてもすぐに言葉が見つかりません。でも、人に聞いてもらうことで自分の葛藤状態を見つめ、言葉を探しながら語ることで、少しずつ思考が整理されます。
"モヤモヤ"について語るなかで、"気づき"が芽生える場合もあります。ここで芽生えた"気づき"は、与えられた言葉よりも自分に根付きやすい気づきになっているはずです。
3. "モヤモヤ"の言語化によって「問い」が芽生える
もし"気づき"には至らなかったとしても、"モヤモヤ"を語るなかで「問い」が芽生えてくることもあります。
たとえば、ぼくが先日「対話型鑑賞」(1つのアート作品をめぐってナビゲーターの問いかけをもとに参加者同士が対話をする活動)の第一人者である福のり子先生の講座に行ってきました。
めちゃくちゃ面白かったんだけど「対話型鑑賞によって何が学べるのか、ってことがよくわからない」という"モヤモヤ"を抱えたまま帰宅しました。
これ「わからない」で終わらせるのではなく「対話型鑑賞によって何が学べるのか?」という問いが芽生えているととらえることができます。(気づいたら「対話型鑑賞 学習」でJ-Stageで論文を検索し、ひまをみつけては読みあさっています)
こんなふうに、モヤモヤしたことを言語化するとき、「自分がよくわかっていないこと」について言語化し、「わかっていないということがわかる」という状態を目指します。そして、わかっていないことはそのまま「問い」になるはずなのです。
「なぜ〇〇なのか?」とか「〇〇における⬜︎⬜︎とは何か?」など、問いの構文に言い直すと、新たなリサーチクエスチョンの誕生です。
「変容的学習」から考える"モヤモヤ"の意味
「変容的学習」という概念を提唱したジャック・メジローは、学びの過程で生じる心理的な葛藤や動揺のことを「痛み」あるいは「混乱的ジレンマ」と表現しました。
大人が新しい知識を学ぶとき、価値観がゆさぶられ、対処の仕方が判断できなくなるような状態が生まれます。レクチャーを受けたあとに生じる"モヤモヤ"は、この「混乱的ジレンマ」に似ていると言えます。
またこのような「ジレンマ」の自覚は「語ることによって生まれる」とする考え方があります。「ナラティブ学習論」という考え方です。
この考え方では、学習者は語ることによって「痛み」の存在に気づいていくと考えます。その際、教育者(語りを聴く人)は、好奇心と思いやりをもって寄り添い、語り手が伝えられなかったことに着目する必要性があるとされています。
こうした考え方を借りれば、レクチャー後にモヤモヤ/混乱的ジレンマにあまり気づいていない参加者に「モヤモヤしていることはなんですか?」と問いかけてみます。
この問いによって、参加者同士が、お互いの"モヤモヤ"について好奇心と思いやりをもって聞き合えば、その"モヤモヤ"に光が当たり、存在があきらかになります。この"モヤモヤ"が"問い"や"気づき"となり、新たな学びの入り口になるはずです。
レクチャーやワークショップ、あるいはミーティングで進行役を務める方にはぜひ、モヤモヤの言語化を促してみてほしいと思っています。
友達と映画を見たあとなんかも、良さそうですね。トッド・フィリップス監督の『JOKER』を観たあとに「モヤモヤを語る」飲み会なんて、楽しそう。
参考論文:相互作用性に着目した変容的学習論の再評価ー「痛み」概念の変遷を手がかりにー 正木遥香,2016
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