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運営への絶望から、新しい運営へ
今日はぼくのアートに関わるキャリアを棚卸ししながら、自身が経験したアートを運営することへの絶望と、新しい運営への希望の話を書く。
アートに関わり始める
高校三年生の頃、『戦争広告代理店』という本を読んでずいぶんと感化された。コンビニで商品のパッケージを見るときも、政党のマニュフェストを眺めるときも、その裏にある他者をコントロールしようとする「思惑」を感じ取るようになっていた。
そんな2005年当時から頃から少しずつ、アートを学びはじめた。といってもアーティストとして作品を作る方法ではなく、より観客に近い立場から、アートを解釈するあるいはアートに介入する方法について考えていた。
見えない深層を見る
アートは、その魅惑的な表層と、歴史・政治・社会とつながる深層の2つの側面を持つ。アートを学ぶことは、表層にとらわれず、深層を見ることを促すだろうと思っていた。
そのために最も良いことは、見るだけでなく、「つくるプロセスに参加する」ことが重要であると考えていた。なぜなら、人は「つくること」でよりよく学ぶからだ。
メディアリテラシー教育においても、番組をつくってみることでメディアがどのように情報を編集しているかがわかるようになる。アートにおいても「つくること」は同じ効用があると考えた。
つくることで学ぶ
具体的には、高校卒業直前からアーティストによるワークショップに運営スタッフとして関わった。それがアートワークショップのキャリアの最初の一歩である。2006年なので、13年前に遡る。
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