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子どもに投影された「大人の欲望」の話

9月もいつの間にか折り返した。今日は朝から台風のニュースでもちきりで、九州に上陸しただけじゃなく関東でも目黒川が氾濫しそうだという情報も入ってきて、ふと窓の外を見ると道路の上に水が踊っていた。高台にあるわけじゃない我が家のことも、どこか不安に感じる。まあ大丈夫だろうと思うが、防災グッズや避難場所を確認する。

そんな日だが、我が家は数日遅れで息子の2歳の誕生日パーティーの準備をしていた。前から気になっていたピープル社の「ピタゴラス ボールコースター」の一番大きなセットを買ってみた。これを4歳の娘がとっても気に入ったようで、没入してコースターをつくりつづけていた。息子も一緒になって、隣で自分なりの試行錯誤ができてよい。素晴らしい玩具だと思った。さすがピープルさんである。

午前中に開封したおもちゃを、昼食後もおふろからあがっても遊び続けていた娘は、そのいじくりまわしかたをだいぶ心得たのか、寝る前になっても制作の手をとめず「あ、ひらめいちゃった」と繰り返しいい、なんだかニマニマと笑いながらパーツを付け足したり取り替えたりしている。

結果として出来上がったのは、説明書にも載っていないなんだかオリジナルな感じのコースターで、こんなものが1日遊んだだけで作れるようになるんだなぁと感心したし、やっぱりこうやって没入できる時間って尊いよなぁと思ったりなどした。

知育玩具で遊ぶ子を見る親の奇妙な優越感

その一方で、ぼくの心のなかで変な優越感が渦巻いているのを感じる。

ピープル社の「ピタゴラス」というシリーズは、もと数学の先生が立体図形の概念を教えるときの教材をアレンジして玩具にしたものだそうだ。そして、このおもちゃで遊ぶことで脳トレや数学の基礎トレになることが宣伝として歌われていたりする。

また、ボールコースター系の玩具は「キュボロ」や「くみくみスロープ」などが他にも多くあるが、これらはプログラミング学習の下地をつくるとされている。

変な優越感とは、「娘がこのおもちゃで遊べているということは、なんらか図形やプログラミングの学習の下地になっているのだ」という満足感なのだろう。つまり、この玩具で遊ぶことで、娘がなんらかの能力を得ていると感じているのだ。その満足感こそ、玩具を販売する側としては与えたいものなのかもしれないが、ぼくは一抹の不安を覚える。

ぼくはなんだかよくわからない欲望を子どもに投影し、内面化を促しているのではなかろうか。

もっと意味不明なものに娘が夢中になっていたとしても「没入すること自体が素晴らしいことだ」と、果たしてぼく自身が思えるだろうか。それがぼくが全く共感できないものであったとしても。

この奇妙な感覚をひもとくために、今日は「メリトクラシー(能力主義)」という言葉について考えてみたい。

メリトクラシーとは何か

最近、「メリトクラシー」という言葉をよく目にする。これはぼくが読んでいる本や情報に偏りがあるのかもしれないが、すくなくとも3つの場所で見かけた。「メリトクラシー」とは「能力主義」のことだ。

フェミニズムと「メリトクラシー」

まず1つめは、今読んでいる『フェミニズムとレジリエンスの政治』という本のなかに現れた。

内容を雑に要約するなら、こんな感じだ。

世界はいま新自由主義社会である。新自由主義社会とは、政府が守ってくれる福祉国家ではなく、自由競争で自己責任論の蔓延る社会だ。こうした社会のなかで、今活躍している女性たちは、仕事も家庭も完璧にこなし、それでいて欠点があることを受容しつつ、あらゆるストレスや不安、逆境に打ち勝つレジリエンスを手にしている。

そのような完璧さ、欠点、レジリエンスの3つの要素を織り交ぜながら生きていける人は「メリトクラシーの梯子」を登れている人だと批判的に描いている。

つまり、能力を学ぶための家庭環境や教育資源に恵まれ、能力を発揮できる環境や仲間に恵まれ、レジリエンスのためにセルフケアする時間や資源を手にできていることが、この「メリトクラシーの梯子」を登れる条件となる。その条件にない人へのケアを、社会はいかにして実践していくのかが、フェミニズムの新しい課題になっているといえるだろう。

「メリトクラシーの梯子」を登れる人が「イクメン」になれる

2つ目は、ちょっとまえに紹介した『新しい声を聞くぼくたち』にも登場した。フェミニズムの声を聞き、男女平等の考え方に基づき、家事や育児に奔走する男性性(イクメン)になっていく男性たちは、ミドルクラスの、学習の機会や資源に恵まれた人たちである。

イクメンという立場もまた「メリトクラシーの梯子」を登れている人たちが手にできる特権であることを描き出している。

その意味では、フェミニズムを学びかじりながら、育児休業の取得をうったえ、家事育児に奔走し頑張っているアピールをSNS上でしているまさにぼく自身、メリトクラシーの梯子を登った特権を手にしているのだ。

この特権を持たない人たちは、「闇落ち」し、女性嫌悪や差別主義に陥るという。そうした男性性をもってしまう人たちをまた、いかにしてケアできるのかがフェミニズム/男性学の課題になっている。

メリトクラシーを自己批判した稀有な例

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